日本が「倭国」という国家として形成された時代。
「飛鳥時代」は、地方で豪族たちが権勢を誇った古墳時代の末期とも重なる。時代的には、推古天皇が即位した592年から、平城京に遷都する710年までの期間である。小規模になりはしたが、古墳も造営されていたため、古墳時代とも重複するわけだ。
政治の中心地が現在の奈良県明日香村付近にあったために「飛鳥時代」と呼ばれているのは有名だが、この期間に日本初の「律令国家」が誕生するなどの重要なイベントが集中していた。
飛鳥時代 の中心地
古代の飛鳥地方の範囲は現在よりも狭く、南北約3km、東西に約700mの盆地を「飛鳥」と呼んだ。聖徳太子が政治改革を行った「小墾田宮(おはりだのみや)」、中大兄皇子や中臣鎌足らが蘇我入鹿を暗殺した「乙巳の変(いっしのへん)」の舞台となった「板蓋宮(いたぶきのみや)」など、天皇の宮がいくつも置かれた。
※小墾田宮見取図
この飛鳥時代に、倭国(日本)はひとつの国として成立し、古代国家としての仕組みが形成されたのである。
「古事記」や「日本書紀」に記されたような、それ以前の歴史は神話と史実が混沌として実像がつかみにくい。しかし、天皇を中心としたヤマト王権は存在し、一時は関東から九州までを支配下に置いたのだが、絶対的な王としての天皇が国の頂点に立つのは飛鳥時代になってからである。
聖徳太子や中大兄皇子の活躍
そのため「日本」という国名や「天皇」という呼び方はこの時代に生まれたという説もある。そして、645年からは「大化の改新」が始まり、唐を手本とした中央集権国家の建設が進んでいった。
大陸から新しい制度や文化が伝わってくる一方で、国内では皇族や有力豪族の権力争いが巻き起こり、政治的には分裂状態であった。それをまとめるために大王(天皇)を中心とする中央集権国家の必要性を感じたのが、蘇我馬子や聖徳太子らであり、国家の構築のために指導力を発揮したのだ。そこには、当時の最先端文化として扱われた仏教思想が取り入れられ、新時代が到来したことを伝える宣伝材料となったのである。
※7世紀初めの隋と周辺国
また、当時の東アジアにおいては中国が中心であり、周辺国はそれに従うという国際常識を覆すべく、聖徳太子は中国(隋)と対等な関係を求めた。
この中国との臣従関係からの脱却も、飛鳥時代を語る上で欠かせない要素の一つである。
飛鳥時代の古墳
古墳時代の「前方後円墳」といった巨大な陵墓に対して、飛鳥時代の古墳は小さいが特徴的なものが多い。
「都塚古墳」は2014年の調査により、現在は埋もれている下に極めて珍しい「ピラミッド型の古墳」があることがわかった。日本にはピラミッド型の古墳はほとんど例がない。発掘はされていないが、都塚古墳は一辺が約40mで高さは4.5m以上と推測されている。この形状は高句麗でよく見られるものだったので、同国と日本の縁が深い蘇我稲目の墓といわれている。
7世紀には正八角形の古墳「八角墳」が天皇陵として築かれるようになった。このような古墳が築かれるようになった理由はハッキリしていないが、「天下八方の支配者としてふさわしい」という古代中国の政治思想の影響があったようだ。八角墳には天武天皇や持統天皇陵の野口王墓などがあるが、2009年からの調査で明日香村にある「牽牛子塚古墳(けんごしづかこふん)」も八角墳であることが判明し、斉明天皇の陵墓であることがほぼ確定した。
※牽牛子塚古墳の墳丘復元模型 (明日香村埋蔵文化財展示室)
日本で2つしか確認されていない壁画古墳の一つである「キトラ古墳」も飛鳥時代の古墳であり、石室の壁には四神(玄武、青龍、白虎、朱雀)が描かれていたことで有名だ。さらに天井には「星縮図(せいしゅくず)」が描かれているが、これは世界最古の本格的な「円形星図」であった。
飛鳥の自然との調和
古代の日本を牽引してきた奈良県明日香村には、飛鳥時代の面影を残した遺跡がいくつもある。発掘調査が本格化したのは昭和に入ってからの事で、1972年の「高松塚古墳」における壁画の発見は考古学ブームをもたらした。
また、飛鳥時代は天皇が代替わりするたびに都を遷したので、「板蓋宮(いたぶきのみや)」のような王宮の跡もある。もっとも、聖徳太子が政務を行ったとされる「小墾田宮(おはりだのみや)」の具体的な場所はまだ特定されていない。その他にも、蘇我馬子の墓といわれる「石舞台古墳」や、日本最古の本格的仏教寺院である「飛鳥寺」などもあり、狭い範囲に多くの歴史遺産が残されているのだ。
※石舞台古墳
日本最古の和歌集「万葉集」では、飛鳥の美しい自然が詠まれたが、その風景も残っている。
これは明日香村全体が古都保存法の対象地域になっており、開発規制が行われているためだ。松下産業の創業者である松下幸之助も文化財や歴史的風土の保護に準力したため、その功績が称えられて明日香村名誉市民の称号が贈られている。現在では当時を思わせる自然の中に、発掘・調査された遺跡が整備されており、観光地としても有名なのはご存じだろう。
最後に
飛鳥時代の大きな出来事としては「仏教の伝来」と「大化の改新」が挙げられるだろう。また、聖徳太子の偉業も忘れられない。だが、実際のところ「冠位十二階」や「憲法十七条」などは政策としては新しいものだったが、大化の改新までの40年ほどで形骸化してしまい、それを再度構築したのが大化の改新の柱ともいえる。
飛鳥時代もまた、多くの登場人物により彩られた時代であった。
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