幕末明治

明治時代、徴兵された兵隊はどんな暮らしをしていたのか?元自衛官が解説!

現代の陸海空自衛官は当人の意思に基づく志願制ですが、敗戦までの大日本帝国陸海軍では、徴兵制度が採用されていました。

20歳の成人年齢に達した男性は徴兵検査を義務づけられ、選抜された者は陸軍2年、海軍3年の兵役が課せられたのです。

今回は、兵役に行った軍人たちがどんな生活を送っていたのか、明治時代の絵本『大日本帝国軍人画譜(だいにほんていこくぐんじんがふ)』を紹介。

現代の自衛官とどんな違いがあるのか、元海上自衛官である筆者が、自身の体験と比べながら解説したいと思います。

入営・入隊式

画像 : 静舟『大日本帝国軍人画譜』より

兵役に就く者は指定された兵営に赴任します。

当時の入隊者は地元の吏員(自治体職員)に付き添われて営門をくぐりました。

現代の自衛官≒筆者のケースでは地方協力本部の事務所へ出頭し、みんなまとめてバスで横須賀教育隊へと向かいます。

また、人によっては地元を旅立つ前に、盛大な壮行会が開かれました。

みんなの期待を一身に背負い、お国のために奉公する決意を固めたことでしょう。

誓文式・軍旗奉迎式

画像 : 静舟『大日本帝国軍人画譜』より

私服から軍服に着替えただけでは、まだ民間人のままです。そこで身も心も軍人として奉公するための誓いを立てなければなりません。

現代の自衛官も服務の宣誓を行い、署名押印します。いざ有事に際しては危険を顧みず、身をもって任務を完遂する決意を表明するのです。

また部隊を編成(創設)する際、象徴となる軍旗を迎え奉る≒天皇陛下より賜るのですが、これは現代の自衛官≒筆者は体験しませんでした。部隊によっては行うのでしょうか。

術科・検閲

画像 : 静舟『大日本帝国軍人画譜』より

これは日々の訓練と、朝夕の点呼を指します。

兵営内は起床から消灯まで、日常のさまざまなタイミングがラッパの音で指示されました。

現代の自衛官も概ね同じで、術科という言葉は兵科(職務の種類)に応じた技能を習得する術科学校などにも使われています。

また、検閲は自衛隊だと整列や巡検などと呼ばれました。各員の体調(具合の悪いヤツはいないか)や在否(逃げ出したヤツはいないか)、施設の状況(掃除は行き届いているか、設備が破損していないか)などがチェックされます。

もちろんご想像どおり、不備があったらどうなるかは言うまでもないでしょう。

炊事場・酒保

画像 : 静舟『大日本帝国軍人画譜』より

炊事場は1個連隊(3個大隊)あたり3ヶ所設けられ、1ヶ所で約300~1,000名の食事を用意します。

陸軍では調理の専門職がおらず、全員が交代で食事を提供したらしいので、担当者によって味に大きな差があったことでしょう。海軍では調理の術科があり、それは海上自衛隊にも継承されています。

酒保とは兵営内の売店および食堂の役割を果たし、外出が出来なくてもここで日用品を調達したり酒を呑んだりできました。提供される酒は一日あたり日本酒2合、蒸留酒5勺(0.5合)だったそうです。

現代の自衛隊だと、地上にはPX(陸上航空だとBXらしい)、艦艇内にも一応「酒保室」がありました。

しかし昨今はあまり使われず、その酒保室はタバコ倉庫と化しています。新しい艦艇についてはどうでしょうか。

歩兵ノ進出射撃

画像 : 静舟『大日本帝国軍人画譜』より

射撃を中心とした戦闘訓練は、兵士たちにとって戦意が昂揚するものでした。軍隊の最大任務はいざ有事に備えることであり、平時においてもたゆまぬ訓練が欠かせません。

精強で即応性・柔軟性の高い軍隊こそ、平和を守る大きな力(他国からの侵略を防ぐ抑止力)となるでしょう。

たまに撃つ 弾がないのが 珠に瑕(きず)……なんて自衛官川柳もありますが、国防に対する予算はどうかケチらないで欲しいものです。

観兵式

画像 : 静舟『大日本帝国軍人画譜』より

天長節(天皇陛下お誕生日)や軍旗祭(奉迎した軍旗を祭る、部隊創設記念日)などの特別な日には、士気高揚を目的とする観兵式が行われました。

ただのパレードと侮るなかれ。整然とした部隊の挙動に平素重ねた訓練の成果が表れ、それが部隊の精強さを物語ります。

筆者も儀仗隊に派出されたことがあり、挙動がピッタリ合った時は、なかなかテンションが上がりました。

もし自衛隊や各国軍隊の式典などを見る機会があったら、そういう視点で観察すると面白いでしょう。

衛生隊・輜重兵・除隊帰郷

画像 : 静舟『大日本帝国軍人画譜』より

陸軍の兵科は戦場の花形である歩兵・騎兵・砲兵だけではありません。

陣地構築などを担当する工兵や物資輸送を担当する輜重兵、そして負傷した兵士を治療する衛生兵などがありました。

彼らの貢献無くして軍隊はその戦力を最大限に発揮することはできません。互いが助け合ってこそ、精強な軍隊組織となりうるのです。

そして任期を満了した兵士は除隊して地元へ帰り、いざ戦時には再び召集されるのでした。いわゆる「赤紙」は誰かれ構わず届くのではなく、原則こうした兵役経験者に限られました。

現代では、退官した自衛官の全員が有事に招集されるわけではなく、志願した予備自衛官または即応予備自衛官のみが対象です。

(※)召集は天皇陛下の命令で、招集は政府の命令によって集められることを指します。

終わりに

画像 : 静舟『大日本帝国軍人画譜』より

今回は、明治時代に徴兵された兵隊たちの日常生活を描いた『大日本帝国軍人画譜』を、自衛隊経験と比べながら紹介してきました。

起床ラッパで飛び起きて、巡検ラッパでため息をつく……そんな日々が思い出されます。

こんなことを書いている最中にも、日本各地ひいては外国各地で、自衛官の皆さんが国防のために励んでいるのだと実感しました。

日本の平和と独立を守る自衛隊に感謝すると同時に、往時の軍人たちにも敬意を払いたいものです。

参考文献 : 『大日本帝国軍人画譜』
文 / 角田晶生(つのだ あきお)校正 / 草の実堂編集部

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