江戸時代

「罪人切り捨て、磔刑」江戸初期のリアルな日本 〜外国人2人の正反対の記録

画像:豊後国に漂着したウィリアム・アダムズは、江戸時代の日本をどのように見たのか? ※イメージ

江戸時代初期、日本を訪れたイギリス人が当時の体験を書き残した記録が残されています。

三浦按針の名で知られるウィリアム・アダムスの書簡や、司令官ジョン・セーリスの航海記などが、その代表的な資料です。

いずれもイギリスの学術団体ハクルート協会が原資料に基づいて刊行したもので、当事者の記録に直接あたることができます。

日本に定住したアダムスは「内側」の視点から、初めて足を踏み入れたセーリスは「外側」から、まったく違う日本を語りました。

彼らは江戸時代初期の日本をどのように見ていたのでしょうか。

死の淵から家康の側近へ

画像 : リーフデ号 public domain

1600年4月19日、アダムスを乗せたオランダ船リーフデ号が、豊後国(現在の大分県)に漂着しました。

漂着地は臼杵湾の黒島とされ、この出来事は後に「リーフデ号事件」と呼ばれています。

1598年にロッテルダムを出航した5隻の船団のうち、日本にたどり着いたのはこの1隻だけで、乗組員110名中生存者はわずか24名、その多くが病に倒れていました。

漂着後まもなく臼杵城主の太田一吉が船と積荷を差し押さえ、乗組員の身柄を確保しています。

その後、ポルトガルのイエズス会宣教師たちがアダムスらを海賊であると訴え、処刑を求める出来事も起きました。

彼らにとっては危機的な状況でしたが、転機となったのは徳川家康との対面です。

アダムスは書簡に「漂着から9日後、この国の大王が私を呼び寄せた」と記しています。

画像:徳川家康と面会するウィリアム・アダムズ public domain

同年5月から6月にかけて大坂城へ送られたアダムスは、家康と三度の会見を行いました。

このとき世界地図を示しながら、出身国や航海の経緯を説明したと考えられています。

家康はイエズス会による処刑の要求を退けましたが、すぐに自由の身になれたわけではなく、約6週間の拘束を経てようやく解放されました。

やがてアダムスは西洋式帆船の建造を任され、家康の外交顧問として重用されるようになります。

1612年頃、日本からイギリスへ送った手紙のなかで、アダムスは「これほど立派に治められている国は世界にない」と書き残しています。

造船や貿易に関わりながら、日本社会の内側を長く見つめる立場になったアダムスは、都市や街道の秩序、商取引の規律、領主による統治の徹底ぶりに驚いたようです。

宗教対立と戦乱が続くヨーロッパから来た彼にとって、日本の安定ぶりは際立って見えたのでしょう。

来訪者が目撃した異質な世界

画像 : ジョン・セーリスが乗っていたクローブ号を手配した東インド会社の代表、トーマス・スミス。public domain

1613年、イングランド東インド会社の艦隊を率いた司令官ジョン・セーリスが平戸に到着します。

彼はアジア貿易の拠点を求めて派遣された人物で、日本との通商関係を開くことがその任務でした。

アダムスの手紙には日本への称賛が満ちているのに対し、セーリスの航海記には、初めて足を踏み入れた異国への驚きと戸惑いが克明に記されています。

最初の異質な場面は船室で起きました。
セーリスが招き入れた日本人女性たちが、壁に掛かっていたヴィーナスとキューピッドの絵を聖母マリアと幼子イエスだと思い込み、ひざまずいて祈り始めたのです。

彼女たちは、ポルトガルの宣教師に改宗させられたキリスト教徒でした。
キリスト教への取り締まりが強まる時代、異国の船室で異教の絵にひそかに祈る光景に驚き、セーリスは航海記に書き留めたのです。

刑罰についての記述はさらに強烈です。

「怒りにまかせて刀を抜いただけで処刑の対象になる」「不義密通を犯した男女がその場で斬り捨てられる」などの場面が綴られています。

平戸に滞在していたセーリスは、不義密通の罪により男女3名が処刑される場面を実際に目にしました。
遺体は通りすがりの者たちに試し斬りにされ、鳥の餌として放置されたといいます。

アダムスが日本社会の内側から秩序を称えたのに対し、セーリスは外から訪れた者として、その秩序の苛烈さに衝撃を受けたのです。

駿府への旅と残された遺産

画像:アダムスが平戸からロンドンの東インド会社本社へ宛てた手紙。1613年12月1日付になっている。

セーリスが1613年6月に平戸へ到着した時、アダムスはすでに平戸を離れ、江戸に滞在していました。

そこでセーリスがアダムスに手紙を送ると、約1か月半後の7月末、アダムスは江戸から平戸へ戻り、両者は合流します。

このあと二人は家康の隠居先である駿府(現在の静岡市)へ、貿易の許可を得るために旅立ちました。

駿府へ向かう道中では、磔にされた罪人の遺体が街道沿いに晒されていたことが記されており、当時の日本では磔刑が日常的に行われていたことが分かります。

一行は駿府で家康との謁見を果たし、イギリス商館の設立許可を得ることができました。

またアダムスにとっても大きな転機が訪れます。10年以上にわたって帰国を許さなかった家康が、ようやくその許可を与えたのです。

しかし、アダムスは帰国の道を選びませんでした。
日本で妻子を持ち、領地も与えられていた彼は、すでに生活の基盤を日本に築いていたからです。
さらに当時の航海は危険であり、帰国には大きな困難が伴いました。

また、セーリスの態度が傲慢だったため同じ船での帰国を拒んだことも理由の一つとされており、アダムスは帰国を断念する心境を手紙の中で率直に綴っています。

1620年5月16日、アダムスは平戸で55歳の生涯を閉じました。

死の直前、平戸イギリス商館長のリチャード・コックスらを証人に遺言を残し、自らの遺産をイギリスと日本の妻子の両方へ半々に分け与えるよう指示しています。

二つの家族を平等に扱ったこの遺言からは、故郷への深い未練を抱えながらも、20年以上を過ごした異国での暮らしに愛着を持っていたことが伺えます。

コックスは東インド会社への報告で「このような人物を失ったことを悲しまずにいられない」と書き残しました。

アダムスの書簡とセーリスの航海記を突き合わせると、当時の日本に対する生々しい認識のズレを追体験できます。

このように様々な視点から歴史を捉えることで、日本史を問い直す新しい学びが生まれるのではないでしょうか。

参考文献 :
William Adams, The Original Letters of the English Pilot, William Adams(Hakluyt Society, 1896)
John Saris, The Voyage of Captain John Saris to Japan, 1613(Hakluyt Society, 1900)
Richard Cocks, Diary of Richard Cocks, 1615–1622(Hakluyt Society, 1883)
Letters from Richard Cocks to the East India Company(British Library, India Office Records)
文 / 村上俊樹 校正 / 草の実堂編集部

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