安土桃山時代

「安土桃山時代」は間違いだった?学界で広がる「織豊時代」とは

安土桃山時代が織豊時代に変わりつつある?

画像 : 狩野光信画『豊臣秀吉像』 public domain

日本史の時代区分として、私たちは次のような名前を当たり前のように覚えてきました。

旧石器・縄文・弥生・古墳・飛鳥・奈良・平安・鎌倉・室町・安土桃山・江戸・明治・大正・昭和……。

飛鳥から江戸までの多くは、その時代に都が置かれた地名、あるいは幕府や政権の本拠地の名が由来となっています。

現在放映中の大河ドラマ『豊臣兄弟!』が描いているのも、いわゆる「安土桃山時代」です。
つまり、織田信長と豊臣秀吉が中心になって天下統一を進めた時代でした。

この時代は、一般的には応仁の乱をきっかけに始まった戦国時代の終盤、16世紀後半から17世紀初頭にかけての約30年前後を指す時代区分とされています。

ところが近年、この「安土桃山」という呼び名は、学界ではあまり使われなくなってきているのをご存じでしょうか。

代わって用いられることが増えているのが、「織豊時代(しょくほうじだい)」という名称です。
織田信長の「織」と、豊臣秀吉の「豊」を合わせた言葉です。

なぜ、呼び名を変えようとする動きがあるのでしょうか。

安土大坂時代という時代名がよりふさわしい

画像:安土城図 public domain

まず、「安土桃山」のうち「安土」について見てみましょう。

安土とは、信長が築いた安土城(滋賀県近江八幡市)に由来します。
これは信長の政権中枢そのものであり、次代の呼び名としては、特に問題はありません。

問題視されているのは、秀吉の時代である「桃山」のほうです。
桃山とは、秀吉が晩年に築いた伏見城があった地を指し、現在の京都市南部にあたります。

ところが、「桃山」という地名が生まれたのは、実は江戸時代に入ってからのことでした。

伏見城は関ヶ原の戦い後に失われ、江戸時代に入って城跡一帯に桃の木が植えられたことから、「桃山」と呼ばれるようになったと伝えられています。

つまり、秀吉が生きていた当時、「桃山」という地名は存在していなかったことになります。

画像:伏見城 模擬大天守、小天守 public domain

秀吉は出世のたびに居城を移しました。

長浜城、姫路城、大坂城、聚楽第、そして伏見城。

しかし、いずれも長期間にわたり固定的な本拠であり続けたわけではありません。

なかでも伏見城は秀吉晩年の拠点として築かれた城で、実際に政権の中心が置かれた期間はおよそ5年前後にとどまります。
その短い時間、そして後世に生まれた地名をもって一時代を代表させることに、疑問が呈されるようになったのです。

現在の大阪城は、1615年(慶長20年)の大坂夏の陣で豊臣秀頼が滅亡したのち、徳川氏によって徹底的に破却され、その上に新たに築かれた城郭で、いわゆる「徳川大坂城」です。

画像:大坂夏の陣図屏風に描かれた大坂城天守 public domain

しかし秀吉の大坂城は、1583年(天正11年)に築城が開始され、彼が亡くなる1598年(慶長3年)まで普請が続けられた大規模な城郭でした。

しばしば大坂城は秀頼と淀殿の城と語られ、秀吉が政治を行った中心は京都の聚楽第であったとされます。

けれども、織田信長が「そもそも大坂は日本一の境地なり」と称したその地に築かれた大坂城こそ、豊臣政権の軍事・政治の中枢であったと見ることもできるのではないでしょうか。

そのように考えるならば、秀吉が実質的に権力を振るった時代の名として、その本拠地を冠するのであれば、やはり「大坂」がふさわしいと筆者は考えます。

すなわち「安土大坂時代」と呼ぶほうが、実態に即しているともいえるでしょう。

歴史的名称の多くは後世につくられた

画像:明治天皇伏見桃山陵の墳丘(撮影:高野晃彰)

私たちはごく自然に「安土桃山時代」という言葉を口にしています。

しかし「桃山」という名が、実は秀吉の生きた時代には存在しなかったことを知ると、少し不思議な気持ちになります。

そもそも「安土桃山時代」という呼称自体、近代歴史学の成立過程のなかで整理・定着していったものであり、同時代の人々が自覚していた時代区分ではありません。
歴史に用いられる名称の多くは、実は後世の認識から生まれたものなのです。

「桃山」という名は、江戸時代以降、現在に至るまで確固たるものとなりました。
伏見城本丸跡につくられた明治天皇陵が「伏見桃山陵」と呼ばれるのも、その要因の一つといえるでしょう。

『豊臣兄弟!』を始めとするドラマや映画の世界に胸を躍らせながら、ふとその時代の名前にも思いを巡らせてみる。

そんな小さな視点の変化が、歴史をもう一歩、身近で豊かなものにしてくれるのかもしれません。

※参考文献
日本史深堀講座編 『豊臣兄弟と天下統一の舞台裏』青春文庫
文 / 高野晃彰 校正 / 草の実堂編集部

  • Xをフォロー
好きなカテゴリーの記事の新着をメールでお届けします。下のボタンからフォローください。
アバター画像

高野晃彰

投稿者の記事一覧

編集プロダクション「ベストフィールズ」とデザインワークス「デザインスタジオタカノ」の代表。歴史・文化・旅行・鉄道・グルメ・ペットからスポーツ・ファッション・経済まで幅広い分野での執筆・撮影などを行う。また関西の歴史を深堀する「京都歴史文化研究会」「大阪歴史文化研究会」を主宰する。

✅ 草の実堂の記事がデジタルボイスで聴けるようになりました!(随時更新中)

草の実堂Audio で聴く

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事

  1. 明智光秀の有能さと戦歴について調べてみた
  2. 家紋はなぜ生まれたのか? 「公家と武士の家紋の違い」
  3. 織田信長に仕えた黒人・弥助は武士か否か? その生涯をたどる
  4. 「人たらし」 豊臣秀吉の人心掌握術
  5. 「有名なのに実は謎だらけ」明智光秀とは何者だったのか?出自と若き…
  6. 津軽信枚について調べてみた
  7. 天下統一に至るまでの豊臣秀吉
  8. 「本能寺の変」の後、明智光秀は何をしたのか?秀吉に討たれるまでの…

カテゴリー

新着記事

おすすめ記事

「二十五菩薩が極楽から来迎する」大阪・大念仏寺の“万部お練り供養”とは

大阪市平野区には、融通念仏宗の総本山として知られる大念仏寺があります。この寺院では毎年5月の…

【第2次世界大戦後】日本の分割統治計画がなくなった理由とは?

第二次世界大戦終結後、日本は連合国によって占領され、その将来を巡る様々な計画が議論された。そ…

『三国志の異才』賈詡は本当に冷酷な軍師だったのか? ~史料から見る真の姿

三国時代には、諸葛亮や司馬懿といった名軍師が数多く登場する。彼らは知略を駆使し、戦乱の世を生…

サヴァン症候群の能力とは 「異常な聴覚、嗅覚、8000年分のカレンダーの日付がわかる」

あなたはこういう人を知っていますか? 例えば、見たものを全て記憶する瞬間記憶能力。2009年…

『世界で評価されたプリマドンナ』 三浦環 ~日本人初の国際的オペラ歌手

明治から昭和にかけて活躍した三浦環(みうらたまき)は、日本人として初めて世界的な名声を得たプリマドン…

アーカイブ

人気記事(日間)

人気記事(月間)

人気記事(全期間)

PAGE TOP