【皇帝になってしまった凡人】西晋を滅亡へ導いた愚帝・司馬衷の悲劇

歴史に残る愚帝?

画像 : 「パンがなければケーキを食べればいいじゃない」と言ってそうで言ってないマリー・アントワネット public domain

マリー・アントワネットの名言として知られる「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」。

歴史への興味が薄い方でも、一度は聞いたことがあるだろう。

しかし、この言葉を彼女が発した記録はない。
哲学者ジャン・ジャック・ルソーの『告白』に、庶民の困窮を知った「ある身分の高い女性」の発言として似た話が出てくるだけで、マリー・アントワネット本人との関係は薄い。

それでも彼女のイメージとして定着してしまったわけだが、約1700年前の中国にも「穀物がなければ肉粥を食べればいいではないか」という逸話を残した皇帝がいた。

今回は、歴代屈指の愚帝として名が伝わる晋の恵帝こと、司馬衷(しばちゅう)を紹介する。

名門、司馬一族に生まれた愚帝

画像 : 司馬衷(しばちゅう 恵帝)西晋の第2代皇帝 public domain

まずこの司馬衷だが、彼の死から1700年経った今日まで、好意的は評価はほとんどない。

暗愚な君主としては三国時代の蜀の皇帝・劉禅もよく知られるが、蜀は諸葛亮や蔣琬、費禕らが政権を支えている間は、一定の安定を保っていた。

それに対して司馬衷のもとでは、皇帝を中心に政権をまとめる体制が築かれず、各地に配置された諸王が争う「八王の乱」に加え、宮廷内部でも妻の賈南風(かなんぷう)を中心に身内同士の権力争いが続いた。

17世紀の歴史家、王夫之(おうふし)からも

惠帝之愚,古今無匹,國因以亡。(恵帝の愚かさは匹敵する者がおらず、国が滅んだ)

と酷評されており、正に「歴史に残る愚帝」として今日までその名を轟かせている。

三国志の勝者であり、優秀な人物を多数輩出した超名門の司馬氏から、なぜここまで酷評される皇帝が生まれてしまったのだろうか。

皇太子廃立の危機と代筆事件

画像 : 司馬炎(聖君賢臣全身像冊 晉武帝)public domain

晋の武帝こと司馬炎の次男として生まれた司馬衷だが、兄の司馬軌(しばき)が早くに亡くなったため、皇太子の座が転がり込んでくる。

司馬衷の性格と素質を表す証言として、西晋の重臣・和嶠(わきょう)は「皇太子(司馬衷)は素直すぎるため皇帝には向いていない」と司馬炎に述べており、同じく重臣の衛瓘(えいかん)に至っては、宴席で玉座を撫でながら「この座を司馬衷に渡すには惜しい」と遠回しに廃太子を促す始末だった。

ここまで周囲に言われては司馬炎も無視する事は出来ず、278年に臣下と話し合い、司馬衷の素質を確かめるべく、政治文書の作成を命じた。

案の定、司馬衷はその場で答える事が出来ず、持ち帰りの宿題となる。

妻の賈南風は代筆によって司馬炎を納得させようとしたが、あまりに立派な文章では本人のものではないと疑われてしまうと考え、配下に命じて、司馬衷でも書けそうな程度の文章を用意させた。

司馬衷はそれを書き写して提出し、廃太子の危機を乗り切ったという。

味方なき皇帝

画像 : 賈南風 Flickr public domain

290年に司馬炎が崩御し、予定通り司馬衷が即位した。

しかし皇后となった賈南風を初め、周囲の人間は誰も司馬衷を皇帝として見ていなかった。
皇帝でありながら、彼らの作成した文章を詔書として承認させられる日々で、政治的な決定権もほとんどない置物同然であった。

その構図は宮廷内にとどまらず、やがて諸王を巻き込んだ権力争いへと広がっていく。

司馬衷の在位中に起きた「八王の乱」により、晋は崩壊への道を辿る事になる。

画像 : 八王の乱 封国分布図 public domain

一時は八王の一人である司馬倫に帝位を奪われるなど、司馬衷自身に主導権はなかった。(司馬倫政権は短期間で終わり、後世の歴史でも正式な皇帝としては認められていない)

乱の詳細を辿ると長くなるので別の機会に触れるが、各地に配された諸王の多くが皇帝を名分として利用する中で、長沙王・司馬乂(しばがい)は司馬衷を奉じて戦った数少ない存在だった。

その司馬乂も東海王・司馬越(しばえつ)の動きによって捕らえられ、やがて処刑される。

以後、司馬衷は司馬穎(しばえい)、司馬顒(しばぎょう)、司馬越らの争いに翻弄され、洛陽、鄴、長安へと移されることになった。

そして乱の終結を見る前に、司馬衷は餅を食べた後の中毒によって謎の死を遂げる。

司馬越による毒殺という説もあるが、確たる証拠はなく、約1700年が経った現在も真相は謎のままである。

皇帝になってしまった凡人

先述したように、正史において司馬衷の政策や実績に関する好意的な記述はほぼ皆無である。

一般人であれば庶民として幸せな一生を送れた可能性もあったが、皇帝の嫡男として生まれた事が司馬衷の悲劇の始まりであろう。

司馬衷の生涯を記した『晋書 恵帝紀』には、冒頭にも述べた「米がなければ肉を食べればいいじゃない(意訳)」の発言に加え、華林園で発見した蛙に対して「この蛙は宮仕えの蛙か、民間の蛙か」と大真面目に質問したという話が残っている。

画像 : 蛙について質問する司馬衷(しばちゅう)イメージ

蛙に宮も民もないのだが、司馬衷が真剣に聞いているため、ある者が「公の土地にいるのは宮仕えの蛙、民間の土地にいるのは民間の蛙ですよ」とからかったが、冗談が通じない司馬衷は納得したという。

また、宮中で遊んでいた長男の司馬遹(しばいつ)を自分の子と気付かず、他の皇子と同じように手を取っていたところ、司馬炎に「それはお前の子だぞ」と言われて初めて気付いたという逸話もある。

司馬炎は統一を成し遂げた有能な皇帝だったが、晩年には政務を怠り、体制の歪みを残したまま次代へと引き継いでしまった。

せめて司馬衷の周囲を信頼できる重臣で固めておけば、無難な政権運営もあり得たはずである。
しかし、各地に強い権限を持つ諸王を配置したのも司馬炎であり、その制度設計が司馬衷を追い詰める一因となった。

司馬炎は統一後の堕落で国を傾けた皇帝であり、司馬衷は皇帝の器ではなかった。
晋は建国直後からすでに大きな危うさを抱えていたのである。

参考 : 房玄齢ほか『晋書』卷四 帝紀第四 孝恵帝, 王夫之『読通鑑論』他
文 / mattyoukilis 校正 / 草の実堂編集部

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