西洋史

古代ローマのファッションについて調べてみた

古代ローマのファッション

古代ローマは、時代ごとに国の形態が変わっている。

紀元前509年〜紀元前27年は共和制国家、紀元前27年〜307年を帝政ローマ、307年からは東西に分裂後に東ローマ帝国(ビザンツ帝国)になっており、古代ローマと言えども時代によって大きな違いがある。

2000年近く前に素晴らしい文明を築いたローマのファッションは、現在の西洋文化に影響を強く与えている。

今回は共和制ローマから帝政ローマまでの、約800年のファッションについて調べてみた。

古代ローマのファッション

ウールが最も中心的な衣服の材料であった。男女の服装に大きな違いはなく、共にトゥニカという簡素なチュニックの上に、トガという一枚布を体に巻きつけ着付けるものであった。後にトガは徐々に長大化・複雑化していき、女性はギリシア風の衣装を採用するようになった。

古代ローマのファッション

トゥニカ

ギリシアでは人の身分によっての服の違いは無かったが、ローマの時代では服によって身分の違いがはっきりするようになっていった。

一般男性はギリシアのキトンから派生したトゥニカを着用しており、無染色の生地が一般的であった。
トゥニカはウールでできた大判のTシャツのような服である。

特権階級の男性はトゥニカの上からトガを着ていた。

特権階級の人は色とりどりの生地を着ており、皇帝に至っては「貝紫」を使用していた。貝紫の染料は地中海沿岸に生息するツブリボラという小さな巻貝からとれたが、1gの染料を採るのに2000個の貝が必要で、布地一枚に50000個の貝が必要であった。別名「帝王紫」と呼ばれている。

トガは時代とともに長くなり6メートルを超えるものまで出てきた。あまりに大きなものとなっていたので奴隷に着せてもらわないと着ることが出来なかったようだ。

古代ローマのファッション

トガ

一般女性はギリシアの模倣が基本であったが、特権階級の女性に至っては「」を使用した服が使用された。

絹は他の生地と比べ様々な色に染色可能であり、非常に美しい色合いが特徴である。

古代ローマの履物

靴はサンダルの「ソレア」という物を履いており。農作業をするものは厚手の革靴「ペロ」を履いていた。

正装用の靴は「カルケウス」といい、四本の組みひもで足の甲を固定するもので、これは市民だけが履くことができた。

軍用長靴である「カンパグス」は、軍隊と皇帝が強く結び付いてからは皇帝の履物ともなっていた。女性は「ソックル」といって踵を留めないサンダル状の靴を履いた。

古代ローマのヘアスタイルとメイク

髪は男子は短く刈り込み、女子は長く伸ばしてギリシア婦人のように結いあげていた。ギリシア人は愛と美の女神を美しい金髪と想像していたが、ローマ人も波打つ金髪の女神のイメージを引き継いだ。

古代ローマのファッション

女神フローラ

ローマの人々も髪の毛を明るく金髪に染める事に励んでいたようで、身分に関係なく染色していた。特にローマ時代の美容師は脱色の技術が高かったと言われている。
古代ローマでは髪を脱色するためにハトの糞や、ブナの木の灰、かなり髪を傷めるがミョウバンや石灰を酢で溶いたものを髪に塗ることもあった。

支配領域が拡大してゲルマン民族も支配下に置いた事によって、天然のブロンドの髪が手に入るようになり、ブロンドのカツラを作ったりもした。
ローマ人はラテン系で髪は黒髪か茶髪が多く、ゲルマン系は金髪の人が多い。
濃い赤色の髪も人気で、ヘナという天然の植物染料を使用した色も人気であった。

古代ローマではファンデーション、口紅、脱毛クリームなども使われており、健康的に見せるために、頬骨の辺りに赤みを入れる化粧法が流行していた。

「大きな目」と「長い睫毛(まつげ)」が美人の条件だったようで、アイライナーには象牙やガラス、動物の骨や木片などを使用したもの、方鉛鉱(ほうえんこう)や煤(すす)、アンチモンなどを水に溶いたものが用いられた。

アイシャドーは黒と青が人気で、灰やアズライト(藍銅鉱)が使われた。またエジプトの影響で、深緑色のマラカイトなども用いられた。

更に特権階級の女性の間では肌を白くすることが流行し、「美白」は美しさと労働をしていないことの象徴であった。
肌を白くするために、ロバの乳を使って顔を洗っていた。

古代ローマのファッション 現代への影響

・美白に対する意識は、ローマ時代に出来上がったと言われている。

・髪の毛の染色に使われる植物染料のヘナに関しては、現在の美容室の白髪染めに使用されており、赤やオレンジの仕上がりになる。

・婚指を付ける習慣はローマから始まったと言われている。

さいごに

ローマ時代は、化学や学問に関して当時の人類が経験してこなかったスピードで進化していたようである。

キリスト教の影響を受けたビザンツ帝国以後は、聖書の記述にないもの、キリスト教会の認めていないものは扱いにくくなったため、どんどん質素になっていった。

この先の中世の時代は暗黒時代といわれており、文明が一気に衰退してしまう。

1600年代のルネッサンスはギリシヤ、ローマ時代の文化復興であり、それ以降の文明の発展を待つことになる。

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草の実堂編集部 新井弘樹

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