江戸時代

林子平 〜黒船来航の60年以上前に海防を説いた慧眼

時代を先取りした著作

林子平

※林子平 銅像

林子平(はやししへい)は、天明5年(1785年)に「三国通覧図説」を、その3年後の天明8年(1788年)には「海国兵談」を世に問うた江戸時代後期の人物です。
「三国通覧図説」の三国とは朝鮮琉球蝦夷のことを指しており、その時代において外国からの日本への侵略を防止するために、それらの地域の重要性を説いた著作でした。

「海国兵談」は実効的な海防の在り方を提唱した内容で、どちらの書も実際の黒船来航の60年以上も前にその脅威に警鐘を鳴らした先進的なものでした。

その林の慧眼には驚かされますが、これだけ重要な示唆を含んだ内容でありつつも、その時代には注目されるどころか幕府から疎んじられ、発禁処分に処されたという悲劇の書となりました。

子平の生い立ち

子平は元文3年(1738年)に幕臣・岡村源五兵衛の次男として江戸で生まれました。父・源五兵衛も学者として優秀な人物だったと伝えられていますが、子平が幼いころに浪人の身となりました。

このため子平と兄・嘉膳は、叔父である林従吾の下に預けられて林姓を名乗ることになったとされています。

子平の姉が仙台藩の六代藩主・伊達宗村の側室となっいたことから子平も先代に移り住み、兄とともに仙台藩に仕えるようになりました。

この時、子平はちょうど20歳で、仙台藩において教育や経済政策を提言したものの受け入れられず、藩医となった兄の世話受けて暮らしたとされています。

ロシアの南下政策の脅威

子平は安永4年(1775年)長崎へ赴くと、その地でオランダ人を通してロシアの南下政策を知り、四方を海に囲まれた日本の海防の重要性に気付いて地理や兵学を学ぶことを決意しました。

子平はその後二度に渡って長崎に遊学し、また江戸においては大槻玄沢、宇田川玄随、桂川甫周などの著名な蘭学者に教えを請いました。

奇しくも子平が生きた江戸後期は、世界的にもロシアの南下政策に他の列強各国が脅威を感じ始めた時代でした。このことから蝦夷地域が注目を集めた時期でもありました。

こうして子平は「海国兵談」の執筆を始めました。日本が江戸の平和を享受している間に、他のアジアは次々と列強諸国の植民地にされており、ゆくゆくは日本への浸食も予想されることを世に訴えようとしたものでした。

著作は発禁処分

子平は、天明5年(1785年)に「三国通覧図説」、続く天明8年(1788年)に「海国兵談」を出版しました。殊に後者の「海国兵談」は版元の成り手がなかった為、子平自らが版木を彫って自費出版を実施したものでした。

子平の想いに反して、当時の幕府は一介の市井の人物が政策を唱える事に危惧を抱き、ふたつの書物に対する発禁処分を科しました。特に軍事的な内容を含む「海国兵談」は危険視され、版木までも没収される事態となりました。

子平はその後も自身で書写本を作るなどし、その本が更に書写本されることで何とか後世にこれらの書は伝えられました。

子平は幕府から仙台の兄の許へ送られて蟄居の処分となりました。その無念さをから自らを六無斎(ろくむさい)と号しました。
こうして時代を先取りし過ぎた子平は、寛政5年(1793年)誰に顧みられることもなく享年56にて世を去りました。

林子平

※仙台市龍雲院にある林子平の墓

小笠原諸島の帰属

因みに「三国通覧図説」は、長崎からオランダを経由してヨーロッパへ伝えられ各国語に翻訳されました。記されていた地図は当時まだ正確なものが存在しなかったことから本州・四国・九州以外は大雑把に描かれていました。

巷説では1832年に出版されたフランス語版において、その書に付けられていた「無人島之図」によって幕末に諸国との間に小笠原諸島の領有権が問題となった際に日本側の証拠資料となったとも伝えられていますが定かではありません。

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