天皇陛下のお住まいは?と訊かれたら、誰でも「皇居でしょ?」と答えることでしょう。
もちそんそうなのですが、皇居のある東京はあくまでも奠都(※)であり、実は京都もいまだ日本の首都であり、京都御所も依然「皇居」であることに変わりありません。
(※)てんと。完全に都を移す=前の都を廃止する意味の遷都(せんと)と異なり、「そっちにも都を置く」意味があります。
さて、東京都の皇居は徳川将軍家の本拠であった江戸城をそのまま利用しているため、石垣や水堀などの防御施設がある一方で、本来の皇居である京都御所には、四方に塀が巡らされているくらいで、ほとんど守りがありません。
他国の君主や元首を見ると、そのほとんどが堅牢な城砦や武装で守りを固めているのに比べて、ちょっと隙だらけな印象。これは一体どういうことなのでしょうか。
京都御所の造営について、あえて守りを固めなかった思想について記録した史料は寡聞にして存じませんが、あえてそんなものを必要としなかった理由を偲ばせるエピソードを、今回は紹介したいと思います。
天明の大飢饉で、京都御所の周囲に異変が!?
時は天明2年(1782年)、東北地方の冷害によって7年間にわたる飢饉(天明の大飢饉)が起こり、全国的に一揆・打ちこわしが相次ぎました。
その勢いはとどまることを知らず、挙げ句の果てには徳川将軍家のお膝元である江戸でも打ちこわしが起こるほど、世は大混乱を窮めます。
当時の天皇陛下であった第119代・光格天皇(在位:安永8・1780年~文化14・1817年)は、幕府に対して「民の窮状に心を痛めてならない。どうか備蓄している米を放出・配給してはもらえまいか」と申し入れたのです。
現代的な感覚であれば、そんなに不自然なことでもないように思えますが、当時は禁中並公家諸法度(きんちゅう ならびに くげしょはっと)でも知られる通り、朝廷や公家が幕府にモノ申す事などままならず、今回の申し入れは異例中の異例でした。
従来、しかも平時であれば幕府もこれを一蹴したでしょうが、いかんせん今は非常事態である上に、京都御所では更なる異変が起きていると言うのです。
「何と……百姓どもが、御所の周りをお千度参りとな?」
京都御所を囲む築地塀はおよそ1.3kmありますが、それをぐるりと民衆が取り囲み、御所に向かって一心不乱に祈りを奉げているとのこと。
その数はお千度参りが始まった天明7年(1787年)6月7日からわずか3日後(6月10日)には3万人にふくれ上がり、10日後(6月17日)には7万人を突破。さらには京都だけでなく、大阪など隣国からも続々と集結したそうです。
ちなみに、お千度参りとは文字通り神社仏閣などを千度お参りするのですが、ここでは御所の正門からスタートして祈りを奉げながら周囲を歩き、一周したら紫宸殿に拝礼してお賽銭(※)を投げるというもの。
(※)現代的な感覚では「そのカネで何か食べ物を買えよ」と思ってしまいそうですが、いくらカネがあってもロクに食べ物が買えないほどの凶作であったこと、また、仮に何か買えたとしても、いっとき糊口をしのぐより、みんなが幸せに暮らせるよう祈ることを重んじる公共心を持つ者が少なからずいたのです。
この様子を見るに見かねて、天皇陛下をはじめ皇族や公家らはなけなしの食糧などを民衆に振る舞い、結局このお千度参りは3ヶ月間にわたって続けられたのでした。
皇室と日本人の信頼関係・絆を象徴
このエピソードは、何を意味しているのでしょうか。
日ごろは権力者として威張り散らしていた幕府も、その権力は朝廷の権威によって裏づけられているものであり、いざ有事に幕府の威信がゆらいだとき、本当に頼りになるのは真の支配者たる天皇陛下であることを、かつては誰もが知っていました。
だからこそ庶民は将軍家の住む江戸城ではなく、やんごとなき方のお住まいである京都御所にお千度参りをしたのですが、天皇陛下や朝廷の権威によって将軍や幕府などの世俗権力を裏づけたからこそ、庶民は幕府などの権力に服してきたのです。
では、なぜ天皇陛下や朝廷の権威を誰もが疑わなかったかと言えば、皇室は天照大御神(アマテラスオオミカミ)に最も近い子孫であり、神々と人間との媒(なかだち)として、民のために祈りを奉げる公正無私な存在であったからに外なりません。
そんな尊い存在であれば、なおさら厳重にお守りしなければ……と思ってしまうのは過酷な生存競争にさらされ続けた外国人の感覚であって(むしろこっちの方が常識ではあるのですが)、日本人は往々にして
「こんなに尊い存在を、よもや害し奉ろうなどという愚か者がいるはずはない」
と思ってしまうようで、どこまでもお人好しな庶民が庶民なら、皇室も皇室で、どこまでも庶民を信用してしまうのでした。
第一章 天皇
第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
日本国憲法の条文にも謳われているように、皇室と国民の信頼関係こそが日本国の、そして国民統合の象徴であって、時にアメリカ大統領すら最敬礼させしめた天皇陛下の国際的権威を裏づけているとも言えます。
もちろん現代ではセキュリティ技術の向上によって京都御所も安全対策には万全を期しているものの、一見無防備なその姿は、建国以来二千年以上にわたって培ってきた皇室と日本人の絆が表れていると言えるでしょう。
※参考文献:
青山繫晴『誰があなたを護るのか――不安の時代の皇 (扶桑社BOOKS)』扶桑社、2021年6月
小林よしのり『ゴーマニズム宣言SPECIAL 天皇論 平成29年: 増補改訂版』小学館、2017年2月
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