昔から蛇は執念深い生き物とされ、軽々に傷つけたり殺したりして祟られた事例は枚挙に暇がありません。
藤原道兼の長男・藤原福足君(ふくたりぎみ)も蛇の犠牲となった一人で、平安時代の歴史書『大鏡』にその記述が残っています。
果たして藤原福足君とはどんな人物で、どんな生涯を送ったのか、『大鏡』を読んでみましょう。
無理やり舞をやらされて……。
藤原福足君は生没年不詳、母親も不明のようです。
福足君とは幼名のため、元服(一般に13~17歳)を待たず亡くなったものと考えられます。
なのであまり詳しい事績は伝わっていません。公的な活動をしていないため、無理もないでしょう。
さて、『大鏡』によると福足君は祖父・藤原兼家の祝宴で舞を披露しようとしていたそうです。
もちろん福足君自身が考えたのではなく、道兼が余興に思い立ったものでした。
「さぁ、しっかり覚えるのだ」
「はい……」
まだあどけない福足君は、一生懸命に稽古したことでしょう。
しかし、よほど幼かったのか、なかなか上手く覚えられません。
「父上、もう嫌です!」
「ワガママを申すな!」
「……はい」
泣く泣く舞の稽古を続けた福足君は、どうにかこうにか当日を迎えたのでした。
「さぁ、しっかり舞うのじゃぞ」
「はい……」
果たして舞台に上がった福足君。しかし復讐はこの時とばかり、いきなり叫び出したのです。
「もう嫌だ、舞なんかやらない!」
せっかく美々しくあつらえた装束を脱ぎ捨ててしまいました。
これを見た道兼は真っ青。人々は泣きわめく福足君の姿に、かける言葉もありません。
(よほど無理やりやらせたのだな。気の毒に……)
さぁ、せっかくの宴席が台無しです。いったいどうしたものか……と思っていたら、藤原道隆が舞台に上がりました。
(一体どうされる気だろう。叱りつけるのかな。それとも、つまみ出すのかな……)
周囲の者たちが心配げに見守る中、道隆は福足君を優しく抱き寄せたのです。
「よしよし。おじさんと一緒に遊ぼうか」
道隆は福足君の手をとり足をとりながら、一緒にお遊戯をしてあげます。
「ほら、楽しいね。そーれ、そーれ……♪」
二人でしばらく舞っていると、福足君のご機嫌も直ったようで、無邪気に笑い出しました。
「これは愉快、愉快!」
兼家も楽しげに笑い出し、これで周囲の空気も和んだということです。
めでたしめでたし。
蛇(くちなは)陵(れう)じ給ひて……
……この粟田殿の御男君達三人ぞおはせし。太郎君は福足君と申しゝを、幼き人は、さのみこそはと思へど、いとあさましくまさなく悪しくぞおはせし。東三条殿の御賀に、この君舞をせさせ奉らむとて、ならはせ給ふ程も、あやにくがりすまひ給へど、よろづにおこづり、いのりをさへして、教へ聞えさするに、その日になりて、いみじうしたて奉り給へるに、舞台の上にのぼり給ひて、物の調子吹きいづるほどに、わざはひかな、「あれはまはじ」とて、びむづらひきみだり、御装束をはらはらと引きやり給ふに、粟田殿、御色真青にならせ給ひて、あれにもあらぬ御けしきなり。ありとある人、「さおもへることよ」と見給へど、すべきやうもなきに、御をぢの中ノ関白殿の、おりて舞台に上らせ給へば、いひおこづらせ給ふべきか、又にくさにえたへず、追ひおろさせ給ふべきかと、かたがた見侍りし程に、この君を、御腰の程にひきつけさせ給ひて、御手づからいみじう舞はせ給ひしこそ、楽をまさりおもしろく、かの君の御恥もかくれ、その日の興もことの外にまさりたりけれ、祖父殿もうれしと思したりけり。父おとゞはさらなり。よその人だにこそ、すゞろに感じ奉りけれ。かやうに人のためなさけなさけしき所おはしましけるに、など御末かれさせ給ひにけむ。この君、人しもこそあれ。蛇(くちなは)れうじ給ひて、その祟により、頭に物はれてうせ給ひにき。……
※佐藤球『大鏡』右大臣道兼より
伯父・道隆の機転によって窮地を脱した?福足君。しかし、道兼は子供に無理強いをしたことで評判を落としてしまいます。
その後、福足君は蛇を陵(りょう)じた=殺した祟りによって、生命を落としてしまいました。
何でも頭に腫瘍ができてしまったそうで、当時の医療技術ではいかんともし難かったことでしょう。
蛇を殺したことと、病気との因果関係は分かりません。
ただ言えるのは、当時の人々が福足君が蛇をいじめ殺したことを見知って「きっと罰が当たる」と感じたのは間違いなさそうです。
かくして福足君は世を去ってしまったのでした。
終わりに
以上、藤原道兼の長男・藤原福足君について紹介しました。
NHK大河ドラマ「光る君へ」に登場するかどうかは微妙なところですね。
劇中では、自業自得?とは言え、とかく不憫なキャラとして描かれている道兼。
彼がささやかでも幸せを感じているシーンを、少しでも見せて欲しいところです。
※参考文献:
佐藤球 校註『大鏡』国立国会図書館デジタルコレクション
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