平安時代、ケガレに触れてしまう「触穢(しょくえ)」は重大な禁忌とされていました。
ケガレに触れた者も同じくケガレたものとされ、様々な制限がかけられてしまうのです。
例えば死体に触れてしまったり、出血をともなう怪我をしてしまったりすると、ケガレが収まるまで物忌(ものいみ。謹慎)を余儀なくされます。
たとえ大事な公務があろうと、ケガレを周囲に伝染させるとすべて台無しになってしまうため、当人抜きで行うか延期するよりありません。
※それをいいことに、ケガレをサボりの口実に使う手合いもいましたが……。
しかし、中にはケガレを気にせず公務を優先する者もいたそうです。今回はそんな藤原道長のエピソードを紹介したいと思います。
流れ込んだ童子の死体
時は長和2年(1013年)2月のこと。藤原説孝(ときたか)の邸宅に、遣水(やりみず)を通じて童子の死体が流れ込んで来ました。
藤原説孝とは藤原宣孝の兄で、紫式部の義兄に当たる人物です。
遣水とは庭園に川の水を引き込む造り。上流で死んだ童子を、誰かが流したのでしょう。
庭先の池にいきなり死体が浮かんでいたら驚くでしょうが、説孝は慌てず騒がず。童子の死体を水から引き上げることなく、そのまま流し出させました。
日頃からこうした死体を見るのは珍しいことではなく、取り扱いには慣れていたものと思われます。
童子がかわいそうとか、せめて弔ってやろうとか、そんな感覚はありません。人の(特に身分の低い者の)生命がとても軽い時代でした。
気を取り直して説孝は考えます。邸内に死体が流れ込んできたのはケガレだけど、すぐに流し出したからケガレじゃない……うん。そうに違いない。
現代で言う3秒ルール(食べ物を地面に落としてもすぐに拾えば汚くないから食べても大丈夫という思い込み)みたいな感覚でしょうか。
説孝は一人で納得し、道長の住んでいる土御門第(つちみかどてい)へ行きました。
何食わぬで内裏へ上がる道長
「先刻、こんなことがありましてな……」
黙っておけばよかろうに、説孝は道長に話してしまいます。
これから内裏へ上がろうとしていた道長としては、そんな話を聞いてしまったら、何としてもケガレでないと言い張るよりありません。
「うむ。すぐに流し出したのであれば、ケガレではなかろう。大丈夫、大丈夫……」
もうすぐ祈年祭(としごいのみまつり/きねんさい。豊作祈願の祭礼)と、石清水八幡宮の臨時祭が控えているので、ケガレ如きで物忌などしている場合ではないのです。
道長は何食わぬ顔で内裏へ上がりますが、やはり事の次第を話してしまうのでした。
「実は先刻、藤原説孝が自宅を訪ねて来たのだが、説孝の邸宅に童子の死体が流れ込んで……」
でもまぁ、すぐに流し出したからケガレではなかろう?と周囲に同意を求めた道長。しかしこれはやはりケガレではないか?と周囲がざわつき始めます。
ただちに公卿たちによる「童子の死体が流れ込んだけど、すぐに流し出したらケガレかセーフか問題」、そして「そういうヤツと接触してしまったら、やっぱりアウトなんじゃないか問題」が議論されました。
結果はやはりアウト。すぐに流し出そうがケガレはケガレということで、ケガレた説孝と接触してしまった道長もケガレ。
そして道長が来てしまった内裏も、ケガレということで決着します。
ケガレた以上、どこにいても同じ
「では、神事は延期ということで……」
この決着を聞いて、一同はガッカリしたのかホッとしたのか。まぁケガレたまま神事を強行するのに比べたら、間違いがなくてよかったよかった。
「では、ケガレてしまった道長殿はお帰りに……あれ?」
当然帰って物忌するのだろうと思いましたが、道長は平気な顔で政務を始めます。
「ケガレているのに、お仕事などなさってよいのですか?」
訝しむ周囲に対して、道長は言いました。
「ケガレておっても仕事はできる。そもそも内裏がケガレてしまった以上、私がここにいようがいまいが影響はなかろう」
「はぁ、そういうもんですかね」
「そういうもんじゃ。さぁ、せっかく時間が出来たのだから仕事じゃ仕事。方々、通常業務に戻られよ」
「ははぁ……」
せっかく触穢の物忌で帰宅できると思ったのに、道長が帰らないんじゃ先に帰るのも気が引けてしまいます。
物忌は明日からということで、その日は通常業務になったのだとか。
終わりに
……とまぁそんな事があったそうで、流石はケガレを恐れない道長と言ったところでしょうか。
それにしても、なぜ説孝は迷惑がかかると承知で直接道長を訪ねたのか、ちょっと疑問ですね。
ちなみに流れて来て流されて行った童子は何者で、どんな末路をたどったのかも気にはなるものの、おおかた魚のエサにでもなったものと思われます。
当時は無数の子供たちが生命を落とし、弔う者もなく汚穢(おわい。きたなく、ケガレたもの)として片づけられていきました。
NHK大河ドラマ「光る君へ」でもわずかに言及されましたが、今後庶民の子らが登場することはあるのでしょうか。
※参考文献:
- 倉本一宏『平安京の下級官人』講談社現代新書、2022年1月
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