いろはにほへとちりぬるを(色は匂えど、散りぬるを)……すべての平仮名を一度ずつならべて美しく詠み上げた「いろは歌」。
それぞれの頭文字にさまざまなテーマの標語をつけた「いろはかるた」が各種アレンジされていますが、その一つに「蕎麦歌留多(そばかるた)」というものがあります。
『新編そば物語』の著者として知られる岡沢木一郎(おかさわ きいちろう)が昭和8年(1933年)に蕎麦食の普及を目的に作った「蕎麦屋あるある集」で、お店側もお客側も共感できる標語が勢ぞろい。
今回はこの「蕎麦歌留多」を紹介し、特に興味深いものをピックアップしていきたいと思います。
目次
岡沢木一郎「蕎麦歌留多」を一挙公開
まずはこの「蕎麦歌留多」をすべて見ていきましょう。中にはピンと来ないものもあるかも知れませんが、気楽にザっと流し読みすればOKです。
岡沢木一郎「蕎麦歌留多」
い 勢いを つけよお客の 迎え声
ろ 緑青(ろくしょう)に 気付け銅鍋 銅杓子(あかしゃもじ)
は 繁盛の 木の根油断の 虫が喰い
に ニコニコの 店に閑(ひま)なし 客の山
ほ ほめられて 気をゆるめるな 塩加減
へ 平常に よく気をつけよ 初得意
と 遠くとも いやな顔すな 客大事
ち 散らかった 店にお客は 寄りつかず
り 流行は 着物にきずに 店へかけ
ぬ 塗物は 手置き(=取り扱い)一つぞ 倍保つ
る 留守にして 客待たせるな 釜の前
を 岡持ちも 光らせておく 気働き
わ 傍道(わきみち)へ 寄るな出前の 往きもどり
か 勘定に 注意、お札も ていねいに
よ 用心は 病気・戸締り ・火のまわり
た 畳から 拭いて清めよ 酒のしみ
れ 料理場に 錆びた包丁、 赤い恥
そ 損得は 二の次にして 親切に
つ 追従(ついしょう)に 乗るな世間の 口車
ね 値で売るな 味と仕事と 品で売れ
な 流し尻 浚(さら)わぬ人は 借りも溜め
ら 来客に 頭は重く 尻軽く
む 無理のある ことにも堪えよ 主仕え
う 運は天に 任せて働く 人へ向く
ゐ 居眠りは 不体裁ぞや 店の番
の のびたそば 売る店だんだん 縮こまり
お おいしさも、 まずさも一つは 店気分
く 組合は 仮の兄弟 むつまじく
や 約束を 守れ、信用は 資本なり
ま 真っ白な 顔、真っ黒な 足の裏
け けんどんな 挨拶、客も 逃げて行き
ふ 拭き込んだ 格子に客も 吸い込まれ
こ 広告の 奥の手、味もよく、 もりもよく
え 衛生の 頭でかける 拭き掃除
て ていねいは 下手も上手の 仕事をし
あ 愛嬌が 看板になる 新のれん
さ 災難に 我をば折るとも 気を折るな
き 切手にて 注文格別 愛想よく
ゆ 有名に なるほど店の 腰低く
め 麺棒で そばも身上も 打ち伸ばせ
み 磨け腕、 自慢は道の 逆戻り
し 仕入れ物 すべて現金 借りぬよう
ゑ 営業に 上下はないぞ 勇気出せ
ひ 控え目に 費わぬ財布 足を出し
も もったいな、 ゆめ忘れるな 客の恩
せ せかれても あわてず急げ 落ち着いて
す 吸い殻は すぐ片づけよ 煙草盆
……お疲れ様です。以上、ここから特に興味深いものをピックアップしていきましょう。
中には蕎麦屋だけでないものもあるので、ここでは蕎麦屋ならではのものを優先していきます。
ろ 緑青に 気付け銅鍋 銅杓子
どういう訳か、蕎麦屋の鍋は銅製品が多いもので、手入れを怠るとすぐに十円玉のような緑青が浮いてきます。
「こちとら毎日忙しいんだ。鍋の中はいつも洗っているから、蕎麦の味には影響ないだろう」
そんな声もあるでしょうが、そういう細部のこだわりが、意外と蕎麦の味にも影響を及ぼすものです。
ぬ 塗物は 手置き一つぞ 倍保つ
蕎麦屋の器に塗物を使っている店は多く、和の上品さを演出してくれる一方で、扱い(手置き)が乱雑だとすぐに漆が剥げてみっともなくなり、塗り直しもなかなかコストがかかります。
お客さんに「丁寧に扱え」とは言えないものの、日ごろから丁寧に扱っていることが伝わる手置きをしていれば、お客も自然と丁寧に扱ってくれるものです。
ね 値で売るな 味と仕事と 品で売れ
古来「買う理由が値段なら買うな、買わない理由が値段なら買え」と言われる通り、安さを売りにしていると、コスト削減に走らざるを得なくなり、相応に蕎麦の質も低下していくもの(お客の質も、これに比例します)。
適正価格と言う通り、お客さんが満足して十分な金額を支払ってくれるよう、美味しい蕎麦と気分のよいサービスを提供したいものです。
ま 真っ白な 顔、真っ黒な 足の裏
いつも一生懸命に蕎麦を打つから、顔は蕎麦粉で真っ白に。そして、お客の声に応えて店内はもちろんのこと、出前にも引っ張りだこで、足の裏は真っ黒に。
汗水流してお客さんに喜んでもらうことを身上とする蕎麦屋さんは、どんどん美味しくなって繁盛するものです。
け けんどんな 挨拶、客も 逃げて行き
つっけんどん(突慳貪)の語源でもあるように、不愛想な挨拶のお店には、お客もわざわざ入りたくありません。自然と寂れていくのは当然でしょう。
ちなみに、江戸時代初期に売り出された蕎麦も慳貪と呼ばれ、一杯盛り切りでお代わりを出さなかったこと(倹飩)から、サービスの悪い「下賤の食(※『守貞漫稿』)」とされています。
ふ 拭き込んだ 格子に客も 吸い込まれ
よく「汚い店ほど美味しい」などと言って、あえてボロボロの店を好む方もいますが、出来ることなら食事は最低限清潔な場所で摂りたいもの。
経験則ながら、店が汚い蕎麦屋が美味しかったという事例は寡聞にして知りません。
こ 広告の 奥の手、味もよく、 もりもよく
基本的に五七五で揃えている「蕎麦歌留多」の例外的な標語。五九五と突き出ています。
それはそうと、どんな広告を打つよりも、蕎麦自体が美味く、そして美味そうな盛りつけを客に示すことこそ、何よりの宣伝になるもの。
現代で言えば「インスタ映え」も大事ということですね。
き 切手にて 注文格別 愛想よく
切手と言っても別に郵便を出すのではなく、蕎麦切手(そばきって)と呼ばれる回数券を言います。
あらかじめ代金を払ってくれていること、そして今後も利用してくれるお得意中のお得意ですから、逃がさぬよう大切にしなくてはならないのは言うまでもありません。
め 麺棒で そばも身上も 打ち伸ばせ
これは文字通り、自分の身上(身体、転じて技量や才能、そして財産)を伸ばすつもりで、しっかりと腰を入れて生地も伸ばし、美味い蕎麦を出して成功せよとシンプルです。
まさに「腕一本で食っていく」職人さんの心意気がよく表れていて、未来への希望が力強く感じられます。
す 吸い殻は すぐ片づけよ 煙草盆
これはまた、時代を感じさせる標語ですね。今では店内に灰皿を置いている店は、すっかり稀になりました。
でもまぁ、吸い殻に限らず前のお客が置いた食器などは素早く片づけて、次のお客を気持ちよく迎えることが大切なのは、言うまでもありませんね。
終わりに
以上「蕎麦歌留多」を紹介して来ましたが、よく見ると他の商売、また自営業でなく勤め人であっても、サービスの向上につながる標語がたくさんありました。
たまに「自分は蕎麦屋じゃないし、あまり蕎麦屋もいかないから関係ない」なんて方もいますが、どんなことからも学びを得ようとする心がけを持っておくと、身の回りの色々な物事が興味深く感じられるので、おすすめです。
今後、蕎麦を賞味する機会があったら「蕎麦歌留多」を思い出すと、蕎麦がより美味く感じられるかも知れません
※参考文献:
- 鈴木健一『風流 江戸の蕎麦―食う、描く、詠む (中公新書)』中公新書、2010年9月
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