アンパンマンを知らない日本人はほとんどいないだろう。
お腹を空かせて泣いている子供に自分の顔を食べさせるという、珍しいタイプのヒーローである。
このアンパンマンの作者であるやなせたかしさんと、その妻・小松暢さんをモデルにしたNHKの朝ドラ「あんぱん」が、2025年春から始まる。
今回はその朝ドラの予習も兼ねて、やなせたかしさんがアンパンマンに込めた強い思いに迫っていきたい。
作者・やなせたかしの生涯
やなせたかし(本名:柳瀬崇、以下やなせ)は1919年、新聞記者の父・柳瀬清と母・登喜子の長男として東京に生まれた。
弟の千尋とは非常に仲が良く、いつも兄であるやなせの後ろをついて歩いたという。
1924年、やなせが5歳の頃、特派員として単身中国に渡っていた父が中国・厦門で急死。
これを機に柳瀬家は両親の故郷であった高知県に移住し、弟・千尋は医者である伯父の家に養子に入った。
やなせは母と祖母と3人で暮らしていたが、小学2年生の頃、母は再婚のためやなせを伯父の家に預けた。幼年期のやなせは両親のいない寂しさを、書や絵を描くことで埋めたという。
やがて東京高等工芸学校(現・千葉大学工学部)図案科(デザイン科)に進学し、田辺製薬宣伝部に入社。
1940年に戦争で召集され小倉野戦重砲部隊に入隊し、1943年には中国・福州に派遣された。
ここでの戦争体験が、後のやなせの作品に色濃く反映されることとなる。
終戦を迎え復員したやなせは高知新聞社に入社し、ここで出会った小松暢と後に結婚する。
1946年、高知新聞社を退社して上京し、三越宣伝部に入社。
1953年に三越を退社し、漫画家として活動を始めるが仕事は思うように来ず、主にデザインや放送作家の仕事をしながら漫画を描き続ける日々が続いた。
やなせがアンパンマンを描き始めたのは50歳の時であり、絵本が初めて出版されたのは1973年、やなせが54歳の時であった。
その後、卒寿を迎えてもアンパンマンを描き続け、2013年10月13日、心不全のため94歳で死去した。
アンパンマン誕生秘話
初代アンパンマンはボロボロのマントをつけた太ったおじさんであった。
子供たちにあんパンを配るのだが、「ソフトクリームの方がいい」などと言われる始末。
つまり、かっこ悪い正義の味方だったのだ。
やなせがヒーローをわざわざカッコ悪く描いた理由は、スーパーマンやウルトラマンのような「悪人や怪獣をやっつけるだけのカッコイイ正義の味方」をインチキ臭いと感じていたからだという。
この思想は、やなせの戦争体験に基づいている。
日本軍に召集されたやなせは小倉の部隊に入隊し、中国・福州へ派遣された。
日本が行っている戦争は「正義のための戦い」だと言い聞かされ、若かったやなせはそれを信じて疑わなかった。しかし、戦争が終わるとアメリカ兵に罪人のように扱われ、「正義とはいい加減なものだ」と悟ったという。
やなせの戦争体験において何よりも辛かったのは空腹だったようだ。運よく激戦地を免れたが、軍の作戦上、食料を節約せざるを得ないことも多かった。一日に2杯の薄いおかゆしか食べることが出来ず、野草などを食べて耐え忍んだという。
「正義と悪」は、立場が違えば簡単に入れ替わる。
しかし「飢えている人に食べ物を与えることは、どの国でも正義である」とやなせは思った。
さらに「正義とは痛みを伴うもの」だと考えた。
アンパンマンには弱点があり、汚れたり濡れたりすると力が出ない。つまり食べられない状態になるとパワーダウンするのだ。
それでもアンパンマンは、お腹を空かせた人に自らの顔を差し出す。
やなせは、「自分の身を犠牲にしてでも人を助けようとすることが、本当の正義である」と、アンパンマンを通じて表現しているのだ。
アンパンマンのマーチ
もうひとつ興味深いのは「アンパンマンのマーチ」だ。
この歌詞を読むと、幼児向けの作品にしては重たいテーマであることがわかる。
”そうだ うれしいんだ 生きるよろこび
たとえ 胸の傷がいたんでも
なんのために生まれて なにをして生きるのか
こたえられないなんて そんなのはいやだ!”
引用:アンパンマンのマーチ
アンパンマンのマーチは「やなせが弟に捧げたものだ」と指摘する人もいる。
やなせは弟・千尋を、太平洋戦争で亡くしている。
千尋は色白でぱっちりとした瞳のハンサムであり、性格は明るく、誰からも好かれる人気者だった。そんな弟に比べてやなせは暗く、いつも劣等感を感じていたという。
千尋は海軍に入隊し、後に特攻隊員に志願してフィリピン沖で戦死した。
やなせは戦争から無事に帰還し、様々な職業をこなしたが、漫画は全然売れなかった。
優秀で誰からも好かれる弟が死んで、なぜ自分が生きているのか? そう考えたのかも知れない。
やなせが作詞した「手のひらを太陽に」にも似た歌詞があるが、喜びや悲しみを感じられるのは生きている証拠でもある。
アンパンマンのマーチには、やなせのシンプルで力強いメッセージが込められている。
「アンパンマン」と「ばいきんまん」の共依存関係
やなせによると、『それいけ!アンパンマン』シリーズにおいて、アンパンマンとライバル役のばいきんまんは共依存関係にあるという。
アンパンマンは「パン」で、ばいきんまんは「菌」だ。
菌は食べ物を腐らせるが、食べ物がなければ繁殖できない。一方、パンは酵母菌からできており、菌なしでは存在しえない。
つまり、パンと菌は「表裏一体」なのだ。
アンパンマンはアンパンチでばいきんまんをやっつけるが、ばいきんまんは死なない。彼らの戦いは永遠に終わらないのだ。
悪人にも良い部分があり、善人にも悪い部分はある。嫌いだからと言ってやっつけてしまうと戦争になってしまう。
世界平和を実現するには「嫌いな相手とも共に生きる方法を考えなければならない」と、やなせは語っている。
終わりに
やなせたかし氏は、弱点のあるカッコ悪いヒーローこそが、本当の正義だと考えた。
さて、アンパンマンはかっこ悪いヒーローだろうか。筆者にはアンパンマンがカッコ良く思えて仕方がない。
アンパンマンに詰まっているのは、単なるあんこではない。やなせ氏の戦争体験、平和への祈り、壮大な哲学、人々に希望を与える愛と勇気が詰まっている。
そしてやはり、お腹を空かせた子どもたちを笑顔にするあんこが詰まっているのだ。
参考 :
「何のために生まれてきたの?希望のありか」やなせたかし
「みんなの夢まもるため」やなせたかし
「ぼくは戦争は大きらい」やなせたかし
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