アンパンマンと聞けば、まん丸笑顔に赤いほっぺ。
愛と勇気で助けてくれる正義のヒーローというイメージが浮かぶのではないでしょうか。
しかし、初代アンパンマンは、私たちが想像するヒーローとは少々異なる存在でした。
初代アンパンマンは、なんと「普通のおじさん」であり、あんパンを配るだけの人物だったのです。
この意外なキャラクター設定には、作者・やなせたかし氏の深い思いが込められていました。
初代アンパンマンは、あんパンを配る小太りのおじさん

画像 : パン屋のおじさん イメージ パブリックドメインQ
アンパンマンのビジュアルが初めて公開されたのは、昭和44年(1969年)、月刊誌『PHP』に掲載された童話『アンパンマン』です。
この『アンパンマン』はパンではなく人間で、小太りでハンサムとは言い難く、ややお腹の出た、一般的にどこにでもいるようなおじさんでした。
自分の顔をちぎって他者に食べさせることは不可能なため、おじさんは自ら焼いたあんパンを人々に届けていました。
しかし、パンを焼く時に焦がしてしまったのか、焦げたボロボロのマントでヨロヨロと空を飛び、お腹をすかせた人を見つけては、あんパンを差し出すのです。
この『アンパンマン』は大人向けに書かれた物語でしたが、残念ながら世間で話題になることはなく、小太りのヒーローは静かに退場して行きました。
真のヒーローは無名の人

画像 : スーパーマンの看板 wiki c Jeremy Thompson
やなせ氏が平凡な男性をヒーローとして描こうとした理由は、正義の担い手とは人々の日常生活を守り、安定をもたらす存在であると信じていたためです。
スーパーマンやウルトラマンといったヒーローは、悪を倒すことはあっても、飢えた人を助けに行くことはありません。
戦いの後に残されるのは、壊された街や傷ついた人々であり、彼らは街を復興することもなければ人々を助けることもないのです。
派手なアクションで敵をやっつけても、困難に直面する人々に手を差し伸べてくれないヒーローや、彼らが唱える正義に、やなせ氏は違和感を覚えたのでした。
もともと弱い存在である人間は、思いもかけない場面に直面すると強い力を発揮することがあります。
例えば、川で子どもが溺れている場面に遭遇したとき、迷うことなく飛び込んで助けようとしたり、電車のホームに落ちてしまった人を自分の身の危険も顧みず救おうとしたり。誰もが正義の味方になる瞬間があるのだと、やなせ氏は考えていたのです。
「本当のヒーローとは何者なのか?」という問いを繰り返す中で辿り着いた結論は「真のヒーローとは、日々の営みの中で目立つことなく、しかし確かに他者を支え、救い続ける名も無き人々である」ということでした。
こうして初代『アンパンマン』の主人公には、地味なおじさんという設定がなされました。
おじさんは、無名の人そのものだったのです。
また、やなせ氏は自分がヒーローの物語を作るとしたら「飢えた人を助ける正義の味方を描きたい」と強く願っていました。
その背景には、自身が戦争で体験したことが深く関わっているのでした。
戦争体験で知った飢えの辛さ

画像 : 日出生台演習場で馬に乗るやなせたかし(1940年ごろ) public domain
やなせたかし氏は、1941年(昭和16年)22歳で召集され、小倉大12師団西部73部隊に配属されました。
部隊は昔ながらの「ばん馬」方式で榴弾砲(りゅうだんほう)と呼ばれる大砲を運ぶ、野戦銃砲隊です。
武器は一世代前の古いドイツ製で、訓練といえば実戦ではなんの役にも立たないような練習ばかり。
やなせ氏は、これでは戦争には勝てないだろうと思っていたそうです。
その後、伍長として暗号班に配属され、1943年(昭和18年)には、台湾の対岸にある福州へ派遣されました。
そこで宣撫班(せんぶはん)として活動し、のどかな農村で2年を過ごした後、上海決戦への移動命令が下ります。
行軍の間いくつかの戦闘を経験し、やっとの思いで上海に到着したものの、食糧は残り少なく、食事は朝晩二回のうすいおかゆのみという粗末なものでした。
弾丸を込めた大砲とともに移動するのは重労働でしたが、当時20代だったやなせ氏は、若さで一晩寝ればなんとかなったそうです。
つらい訓練も毎日殴られることもケガも、たいていのことは我慢できました。
しかし、空腹だけは耐えられません。
「ひもじさだけは、どうにもできない。一番つらいのは飢えることだ‥‥」
戦場で、飢えの辛さを身をもって経験したやなせ氏は、正義の味方が第一にやるべきことは、飢える人を助けることだと確信します。
戦争による苛烈な体験が、人々の飢えを救うためにあんパンを配るヒーローを生み出す契機となったのでした。
なぜ「あんパン」だったのか

画像 : あんパン パブリックドメインQ
お腹をすかせた人に配る食べ物として「あんパン」を選んだ理由について、やなせ氏は著書『わたしが正義について語るなら』の中で次のように述べています。
あんパンは日本人が発明したものです。
いかにも日本的で、かたちもいいし、ファストフードにもなればスナックみたいにも使える。おやつになります。
ぼくは子どもの時にあんパンが好きでした。そうやってアンパンマンが誕生しました。
やなせたかし著『わたしが正義について語るなら』より引用
アンパンマンには、やなせ氏のあんパン愛も一役買っていたようです。
初代アンパンマンの登場から4年後の1973年、幼児向け絵本『あんぱんまん』が出版されます。
この時、『あんぱんまん』の主人公は、人間からパンへと変わりました。正義の味方『アンパンマン』が、自分の顔を食べさせる物語へと変化したのです。
「ヒーロー」という言葉には、派手さや注目を集めるイメージが伴うことが多いものです。
しかし、初代アンパンマンには、目立たなくとも他者を助ける無名の人々の姿が込められていました。
飢える人にあんパンを配り続けた初代アンパンマンは、意外な結末を迎えます。
『アンパンマン』は、やなせたかし氏の短編童話集『十二の真珠』に収録されています。興味のある方は、手にとってみてはいかがでしょうか。
参考文献
・やなせたかし『わたしが正義について語るなら』ポプラ社
・やなせたかし『十ニの真珠 (ふしぎな絵本)』復刊ドットコム
文 / 草の実堂編集部
この記事へのコメントはありません。