朝ドラ「ばけばけ」では、主人公トキの元夫・銀次郎が、月に200円を稼ぐやり手の商人となって松江へ戻ってきました。
上京後に人力車夫として汗を流し、そこから起業して成功をつかんだというまさにサクセスストーリーです。
しかし現実の人力車夫は、当時“下層民の象徴”とされた過酷な職業でした。
最底辺の労働者から成り上がった銀次郎は、まさに例外的な存在といえます。
人力車夫は、誰でもすぐに始められ、手っ取り早く日銭が稼げる仕事として多くの人が流れ込みました。
元駕籠かき、没落士族、農村からの流れ者。行き場を失った人々が車を引き、生計を立てていたのです。
それでも彼らの社会的地位は低く、車夫の世界の中にも厳しい階層がありました。
とりわけ最下層の車夫は「もうろう」と呼ばれ、貧民窟に暮らす車夫の8割がこの階層に属していたといいます。
今回は、そんな下層民の代表的職業「人力車夫」の知られざる日常に迫ってみたいと思います。
人力車夫の階層

画像 : 人力車(1886)年 public domain
1899年(明治32年)刊行の横山源之助『日本の下層社会』によると、東京の細民(貧民)の職業で最も多かったのは「人足、日傭取(ひようとり、日雇いのこと)」で、次いで「人力車夫」が多くを占めていました。
ひと口に「人力車夫」といっても形態はさまざまで、階層によって明確に区別されていました。
階層は上から順に「おかかえ」「やど」「ばん」「もうろう」の4つです。
・「おかかえ」
政治家や華族など然るべき地位にある人に雇われている車夫。給料は月給制で住居も食事も主人から提供されるので、車夫のあこがれの存在でした。
ラフカディオ・ハーンもお抱え車夫を雇い、転居する際には同行させたといいます。
・「やど(宿)」
待合所や料理屋、官舎、会社の近くに店を構える「車宿」に所属する車夫で、住居も車宿が用意することから「部屋住み車夫」と呼ばれました。
・「ばん(番)」
車夫の労働組合のような組織で、加入には「アシアライ」と呼ばれる酒一升金十銭と、月々の積立金が必要でした。
本来は互助資金として機能するはずの積立金も、実際には飲食に使われてしまい役に立たなかったそうです。
・「もうろう(朦朧)」
「番」に加入していない流しの車夫で、人力車夫の中で最多数を占めていました。
貧民窟に住んでいる車夫の8割が、この「もうろう」に属していました。
車夫の生活費 日給30銭でも貧困から抜け出せない理由

画像 : 人力車(1897年)public domain
車夫の一日の労賃は約30銭。貧民の生活費としては、比較的高い収入でした。
しかし、そこから車のレンタル代やわらじ、ロウソクなどの諸費用が、毎日10銭以上差し引かれるため、実際に手元に残るのは22〜23銭ほどにしかなりません。
このわずかな収入から、米や薪を買い、家賃に損料(リース代)など支払うと、ほとんど残らず、車夫はその日暮らしを余儀なくされていました。
特に損料屋(衣服や夜具・器物などを貸す店)への支払いは大きな負担で、貸布団は1枚8厘から2銭、貸衣裳は1枚3銭から5〜6銭ほどしました。
中には、商売道具の股引(ももひき)や法被(はっぴ)を貸車業者から借りる者もいたそうです。
布団や衣服は本来、借りるより買った方が長期的には安く済みます。
しかし、彼らにはまとまった金を用意する余裕がなく、結局借りるしかなかったのです。
車夫の稼ぎ方のリアル

画像 : 博多駅前で客待ちする人力車 public domain
・徹夜で稼ぐ夜業車夫「ヨナシ」の実態
徹夜で仕事をする車夫は「ヨナシ」と呼ばれ、「夜寝ない人は東京に5000人、そのうち車夫が4000人を占める」と言われるほど、車夫の仕事は夜に集中していました。
これは、夜のほうが昼間より客をつかまえやすく、より多くの収入を得られたためです。

画像 : 徹夜で客を待つ車夫 松原岩五郎著『最暗黒の東京』民友社 明26より
車夫は、新橋駅や京橋・両国橋などの橋詰、浅草・上野広小路・九段坂下といった交通の要所、吉原や品川の遊廓や新橋・柳橋などの妓楼の路地にたむろして、客を待ち続けました。
寒い夜は股の間に提灯をはさんで暖をとり、夏は幌の内で仮眠をとって夜明けを待ちます。
雨の晩には毛布を首に巻き、軒下で雨露をしのぎながら、寒さと暑さに耐え、辛抱強く客を待つのです。
雨で道がぬかるんだり、雨脚が強くなったりすると、通常より高い料金を請求できるうえ、遊廓へ向かう客から花代(ご祝儀)をもらえることもありました。
こうした事情から、車夫たちは健康を損なうことも顧みず、夜通し闇の中をさまよい歩き、客を求め続けたのです。
・上客だけを狙う「玄人」と、端銭を追う「素人」

画像 : 乗らぬ気7分の客 松原岩五郎著『最暗黒の東京』民友社 明26より
車夫の稼ぎ方には、「玄人」と「素人」という二つのタイプがありました。
「玄人」はヨナシ専門で、夜半の雑踏にいる客には目もくれず、1時間50銭、雨天3日で3円といった上客だけを相手にする車夫です。
短距離の客は賃金が安いため相手にせず、1厘も稼げない日があっても焦らず、体を酷使することもなく、悠然と仕事をしていました。
一方の「素人」は「玄人」とは対照的に、夜半の雑踏で客を見つけると、あせって息を切らせながら、我先にと乗車をすすめます。
彼らは5町(1町は約109 m)、8町、12町といった短い距離で2銭、5銭、7銭など端銭を集めて奔走し、深夜0時〜1時を過ぎる頃まで働いて、引き上げるのが常でした。
3町で息切れ、5町で倒れる寸前「高齢車夫の過酷な日常」

画像 : 高齢の車夫 松原岩五郎著『最暗黒の東京』民友社 明26より
人力車夫になるのは、体力に自信のある若者だけではありません。
60歳前後の高齢の車夫も少なくなく、18歳から30代半ばの若い車夫が、日に177町走って65銭稼ぐのに対して、彼らは71町を走るのが精一杯。16銭5厘の日銭を稼ぐのがやっとでした。
こうした高齢の車夫は、下谷万年町や四ツ谷鮫ケ橋、芝、麻布などの貧民窟のあばら家に住み、破れた半てんに古毛布をまとって仕事に出かけます。
しかし、使い古された車の梶棒を握って貧民街をウロウロし、運良く客を乗せられても、虫がはうようにノロノロと進むことしかできません。
2町走れば腰を伸ばし、3町で息が切れ、4~5町も行けばほとんど倒れそうになりながら、それでも車を引き続けます。
それほどの苦痛に耐えて稼いだわずかな賃金で、やっと一椀の飯にありつけるのです。
彼らは仕事をしなければ生きていけないため、警察の取締りがある際には代わりの者を立てて検査を切り抜け、密かに営業を続けていたといいます。
車夫の食と酒 〜不潔な飯屋と“シロウマ”という名のあやしい酒

画像 : 飯屋で順番を待つ車夫 松原岩五郎著『最暗黒の東京』民友社 明26より
・この世の不潔を集めたような飯屋で食べる車夫たち
車夫は食事中であっても客を探して周囲を見回し、客の姿を見つけると急いで食事を切り上げ、箸を置くや否や、一町ほど全力で追いかけるような生活を送っていました。
そのため、彼らの食事は短時間で食べられるものが中心で、両国橋のえびす餅、浅草橋のぶっかけ飯、鎧橋の力鮨、八丁堀の馬肉飯、新橋の田舎そば、深川飯などが好まれていました。
行きつけの店は、当然ながら最下層の安飯屋です。

画像 : 不潔な安飯屋. 松原岩五郎著『最暗黒の東京』民友社 明26より
どんな店かというと、まず建物は軒が朽ち、柱がゆがんで傾いています。
店内は、厨房から出る煙が店全体に充満して暗く、飯台の四隅はほこりまみれ。
とりわけ一面にゴミをぶちまけたような厨房は、感染症の温床となりそうなほど不潔でした。
またカワウソでも這わせたのかと思うほど水浸しになった土間に、カビの生えた水桶、汚泥の沈殿したタライが無造作に置かれています。
長屋続きの便所と、ゴミ捨て場と井戸が一か所に集まっており、下水は詰まり、洗い場の水は流れずにたまり放題、壊れた汚い窓からは雨水が台所にぽたぽたと滴り落ちる。
そんな環境で調理が行われていたのです。まさに「清潔」とは無縁な店でした。
・「シロウマ」という異名をもつあやしい濁り酒

画像 : 居酒屋で酒を飲む車夫 松原岩五郎著『最暗黒の東京』民友社 明26より
車夫たちが好んで飲んだのは、夏は焼酎、冬は「シロウマ」とよばれる濁り酒でした。
ひどくまずい酒で、銘酒を飲みなれた人には耐えられない代物だったといいます。
濁り酒は一合2銭で5〜6本を空けるものが多く、中には衣服を質にいれて10本以上を飲む者もいました。
濁り酒屋は浅草、芝、神田などの肉体労働者が集まる場所に多く、店の前は常に人力車で埋まっていたそうです。
力仕事の労働者にとって、この強い酒は、体に鞭を打つための一時的な興奮剤であり、疲れを紛らわせるための薬でもありました。
健康を害するのは明らかでしたが、下層社会で生きる車夫にとって、このまずい酒は日々を支えるための欠かせない存在だったのです。
人力車の衰退

画像 : 人力車夫の扮装をした皇太子時代のエドワード8世 (イギリス王)。1922年 public domain
明治中期、人力車は安価な移動手段として全国に普及し、多くの車夫が都市交通を支えました。
しかし、明治20年代後半から30年前後を境に、鉄道や馬車、路面電車との競争が激しくなり、人力車は次第に衰退していきます。
大正期には全盛期の半数ほどに減り、時代とともに人力車夫は静かに姿を消していったのです。
参考文献
松原岩五郎『最暗黒の東京』岩波書店
横山源之助『日本の下層社会』岩波書店
文 / 深山みどり 校正 / 草の実堂編集部
























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