西洋史

【チョコレートの知られざる歴史】飲むことを禁じた司教の衝撃的な最期

画像:『朝のチョコレート』(ピエトロ・ロンギ画) public domain

大人から子どもまで、広く口にされ愛されるチョコレート

これほどポピュラーな食べ物にも関わらず、その原料となるカカオの木は限られた環境でしか上手く生育しません。

カカオが成長するためには、赤道から南北20度以内の地域に位置し、標高300メートル以下であることが望ましいとされています。また、強い直射日光を避けるために背の高い木々の樹影が必要であり、高い湿度と気温が16度以上に保たれる環境が適しています。

こうした特定の条件が求められるカカオですが、それにも関わらず、チョコレートは世界中に広まり、多くの人々に愛される食べ物となりました。

その歴史をたどることで、チョコレートがどのようにして広まったのかを探ってみましょう。

最初期のチョコレート

画像:メソアメリカで栄えたオルメカ文明の巨石人像 wiki c Madman2001

いわゆる「チョコレートの木」であるテオブロマ・カカオと人間とのつながりは古く、紀元前1500年から紀元前400年頃にメキシコ湾岸で栄えたオルメカ文明では、既に関係があったとされています。

カカオの木は高温多湿な環境で育つため、この時代の遺物は風化しやすく、直接的な出土品はほとんど残されていません。

しかし、言語学的な研究や、先古典期マヤ文明のベリーズの遺跡から発見されたカカオ成分が付着した土器などが、当時のカカオ利用の手がかりとなっています。

その後、オルメカ文明から派生したイサパ文明を経て、カカオはマヤ人に受け継がれました。

西暦250年頃までには、マヤ人はカカオが繁茂する土地に次々と壮大な都市を築いていきました。まさにカカオによって都市の繁栄がもたらされたのです。

カカオは、飲料として消費されるだけでなく、神への献納品としても重要視されていました。また、カカオ豆は貨幣のような価値を持ち、商取引にも使用されていたのです。

そして、時代が下り1519年、スペイン人のコンキスタドール(征服者)がアステカ帝国に到達した際、皇帝モンテスマ2世の宮殿には大量のカカオ豆が貯蔵されていたことが記録に残されています。

カカオは単なる食品ではなく、富と権力の象徴でもあったのです。

宣教師とチョコレート

画像:メキシコ南東に位置するチアパス wiki c TUBS.png

スペインによってアステカ文明が征服された後、現地の社会や文化に新たな役割を果たそうとしたのが、キリスト教の宣教師たちでした。
彼らは布教活動を進める中で、現地の習慣を理解し、受け入れる必要がありました。その中には、チョコレートを飲む習慣も含まれていたのです。

イギリス人のドミニコ会士だったトマス・ゲイジも、そうした現地文化を体験した一人でした。

彼がメキシコのベラクルスに到着した際、現地の人々が飲んでいた「チョコレートなる飲み物」で歓迎を受けました。その後、彼は南東部のチアパスへと滞在し、チョコレートをめぐる驚くべき騒動を書き残しています。

ゲイジが滞在していた教会で司教を務めていたベルナルディーノ・デ・サラサールは、教会内に広まっていた悪しき慣習を改めようと尽力していました。

彼が特に問題視していたのは、貴婦人たちがミサや説教の最中にチョコレートを飲む習慣でした。

彼女たちは「自分たちは胃が弱いため、長時間のミサや説教の間、チョコレートを飲まなければ調子が悪い」と主張し、ミサの最中にも女中に命じてチョコレートを運ばせていたのです。

この習慣によって、司祭は何度も説教を中断せざるを得ませんでした。

司教は当初、穏やかに注意を促しましたが、貴婦人たちはそれを受け入れようとしませんでした。いかに説得を試みても、誰も耳を貸そうとはしなかったのです。

チョコレート禁止の悲惨な結末

画像:トマス・ゲイジによる著作『イギリス人 アメリカ人の海と陸での苦労:あるいは西インド諸島の新調査』のオランダ語訳されたタイトルページ(1700年アムステルダム) public domain

司教ベルナルディーノは、ついに業を煮やし、典礼中の飲食物の持ち込みを厳しく禁止し、それを教会の扉に掲示しました。

この厳しい方針に驚いたのは信者たちだけではありませんでした。あまりに急進的なやり方に、トマス・ゲイジや聖堂の小修道院長も、司教に対し再考を促したのです。

彼らは「この国では女性の弱さをいたわることが重要であり、それを無視すれば、かえって反発を招くことになる」と説得しようとしました。

しかし、司教は断固として方針を変えようとはしませんでした。

そしてついに、ゲイジたちが恐れていた事態が現実のものとなります。怒った信者たちは聖堂で騒動を起こし、女性たちは聖堂を去る決意を固め、寄付を完全に停止してしまったのです。

これにより、教会の運営は大きな打撃を受けました。

さらにその翌月、司教は突然病に倒れました。あちこちから医師が呼ばれましたが、彼らの見立ては一致しており、「毒を盛られた可能性が高い」とのことでした。

そしてまもなく、司教はこの世を去ってしまったのです。

ゲイジによれば、司教の小姓と深い仲になっていた貴婦人が、小姓を使って毒を仕込んだチョコレートを用意し、言葉巧みに司教に飲ませたというのです。

皮肉にも、飲食を厳しく禁じたはずの司教が、そのチョコレートによって命を落とすことになりました。

世界に広がるチョコレート

画像:スペインから嫁いだ王妃マリア・テレサ(フランス名マリー・テレーズ・ドートリッシュ) public domain

ヨーロッパ本土には、16世紀にスペインを経由してチョコレートがもたらされました。

当初は珍しい異国の品として扱われていましたが、17世紀に入ると特権階級の間でも愛飲されるようになります。やがてチョコレートを飲む習慣は、スペインからフランスやイタリアへと広がっていきました。

この時代のチョコレート飲料は、甘みを加えるために今と同じく砂糖やハチミツが使われていました。また、香り付けには、それまで熱帯雨林で用いられていたイヤフラワーに代わり、ローズウォーターや麝香、シナモンなどが使われるようになります。

そして、17世紀半ばにフランス王ルイ14世がスペイン王女マリア・テレサと結婚すると、チョコレートを飲む習慣はフランス宮廷でさらに広まりました。

やがてチョコレートの消費が拡大するにつれ、特権階級のシンボルから徐々に大衆へと広がっていきました。そして、現在では大量生産され、世界中で楽しまれる食品となったのです。

普段何気なく口にしているチョコレートですが、その歴史を振り返ると、長い時間をかけて人類とともに歩んできたことがわかります。その背景を知ることで、より味わい深く感じられるのではないでしょうか。

参考:『チョコレートの歴史物語』/ サラ・モス(著)・アレクサンダー・バデノック(著)・堤 理華(翻訳)
文 / 草の実堂編集部

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草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子。
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