西洋史

『ムッソリーニを撃った貴族の娘』ヴァイオレット・ギブソンはなぜ暗殺者になったのか?イオレット・ギブソンはなぜ暗殺者になったのか?

1926年4月7日、イタリア・ローマのカンピドリオ広場で、ファシスト党党首ベニート・ムッソリーニが何者かに銃撃される事件が起こりました。

発砲したのは、アイルランド出身の女性ヴァイオレット・ギブソン

ムッソリーニ暗殺未遂事件の実行犯として、彼女の名は後に広く知られることとなります。
いったい彼女は何者で、なぜ独裁者に銃口を向けたのでしょうか。

今回は、アイルランド貴族の娘、ジ・オーナブル・ヴァイオレット・アルビナ・ギブソン (The Honourable Violet Albina Gibson。以下ヴァイオレット)の生涯をたどってみたいと思います。

信仰に生きた半世紀

画像 : 社交界にデビューしたヴァイオレットだったが……(イメージ)

ヴァイオレットは1876年8月31日、アイルランドのダブリンで誕生しました。

父親のエドワード・ギブソンは政治家や弁護士、アイルランド大法官として活躍した貴族で、のちに初代アシュボーン男爵に叙せられています。

母親のフランセス・マリア・アデレード・コリーズはクリスチャン・サイエンスの信奉者であり、母親の信仰がヴァイオレットの思想に影響を与えたと考えられます。

※クリスチャン・サイエンスとは、1879年にアメリカのマサチューセッツ州で生まれた新興宗教。

ヴァイオレットは四男四女という8人きょうだいの次女でした。これだけ人数が多いと、きょうだい同士の人間関係も複雑だったことでしょう。

成長したヴァイオレットは年頃になると社交界にデビューを果たしました。
しかし生まれつき病弱であったためか、なかなか良縁に恵まれなかったようです。

また、あまり社交的な性格ではなかったようで、なかなか自分から一歩を踏み出せなかったのかも知れません。

そんなヴァイオレットは母の影響か、神智学を学んだのち、26歳となった1902年に正式なローマン・カトリックとなりました。

※神智学とは、神や宇宙の真理とのつながりを通じて叡智を探求しようとする思想体系。
※ローマン・カトリックとは、ローマのカトリック教徒という意味。

貴族の娘として不自由のない生活こそ送ってはいたものの、今ひとつ満たされないまま歳月を重ねたヴァイオレット。
46歳となった1922年には、神経衰弱によって精神病院へ2年間入院します。

そして50歳を目前にした1925年、彼女は自殺を図りました。

幸い未遂に終わったものの、自殺の動機や手段、後遺障害の有無などについては不明です。

生死の狭間を垣間見る経験から、翌年の犯行につながる「啓示」を受けたのかも知れません。

鼻をかすめた銃弾

画像 : 犯行に使われた拳銃と同型のもの。Public domain

ともあれ1926年4月7日、ヴァイオレットはムッソリーニを暗殺するために、カンピドリオ広場へと向かいます。

黒いショールにムデレ1892リボルバー拳銃(Modèle 1892 revolver)を隠し持ち、もしムッソリーニが自動車に乗っていた場合、その窓ガラスをたたき割るための石も用意していました。

虎視眈々と待ち構えていると、国際外科医協会の講演を終えたムッソリーニのパレードが広場にやってきました。
ムッソリーニは徒歩です。

この好機を逃さず、ヴァイオレットはムッソリーニを撃ちました。

しかし犯行の詳細については証言が異なっているため、それぞれ確認してみましょう。

① ヴァイオレットが一発目を発射、その弾丸はムッソリーニの鼻をかすめたものの、致命傷には至らず。すかさず二発目を撃とうとしたが不発となり、そのまま取り押さえられた。

② ヴァイオレットが一発目を発射したものの、ムッソリーニには当たらなかった。すかさず発射した二発目がムッソリーニに鼻をかすめ、彼女は取り押さえられた。

当時、イタリア国内におけるムッソリーニの人気は高く、支持者たちがムッソリーニの仇をとらんばかりにヴァイオレットを襲撃します。しかし警察が介入してヴァイオレットを逮捕、結果的に保護される形となりました。

ヴァイオレットの弾丸で鼻を負傷したムッソリーニは、支持者たちに動揺を見せまいと「ほんのかすり傷だから心配いらない」と言い張ります。

そして鼻を手当してもらってから、パレードを続行しました。

「神を讃えるため」と供述、不起訴処分に

画像 : 逮捕されたヴァイオレット・ギブソンの写真 Public domain

逮捕されたヴァイオレットは、ムッソリーニ暗殺未遂の動機について「神を讃えるため」と供述します。

加えて「神は親切心で、私の(銃撃がぶれないように)腕を固定するため、天使を遣わしてくれた」などとも供述したそうです。

供述の真意はともかく、今回の暗殺未遂が反ファシズム運動のキッカケになったら困ると考えたムッソリーニは、ヴァイオレットが精神異常であることを理由に不起訴を要請しました。

もし、ヴァイオレットを厳罰もしくは極刑に処したら、彼女は反ファシズムの象徴として利用されてしまったでしょう。

かくして釈放されたヴァイオレットは強制送還され、イングランドのノーサンプトンにあるセント・アンドリュース精神病院へ入院することになりました。

その後、30年間にわたって退院することなく、1956年5月2日に満79歳で世を去り、ノーサンプトンのキングスソープ墓地に埋葬されたのです。

暗殺未遂事件の影響

画像 : 鼻を手当してもらったムッソリーニの写真 Public domain

「神を讃えるため」にムッソリーニを撃ったヴァイオレット。しかし皮肉なことに、この事件によって国民はムッソリーニへの支持を強める結果となりました。

そしてファシスト政権を強化する法律が可決され、ムッソリーニの独裁政権を長期化させる一助として利用されてしまったようです。

果たしてヴァイオレットの讃えたかった神が、その展開を望んでいたのかは知る由もありません。

それでもヴァイオレットの死後、彼女を反ファシズムの闘士として功績を顕彰する動きがあり、そのいくつかが以下のような形となりました。

・ラジオドキュメンタリー「ムッソリーニを撃ったアイルランド人女性」シオバン・ライナム
・ドキュメンタリー映画「ヴァイオレット・ギブソン ムッソリーニを撃ったアイルランド人女性」バリー・ダウダル
・戯曲「ヴァイオレット・ギブソン ムッソリーニを撃った女」アリス・バリー
・楽曲「ヴァイオレット・ギブソン」リサ・オニール
・短編小説「ディア ユー(Dear You)」エヴリン・コンロン

そして2021年3月にはダブリン市議会で、ヴァイオレットを「献身的な反ファシスト」として記念することを承認。

2022年10月には、ヴァイオレットが幼少期を過ごした邸宅に記念碑が設置されました。

終わりに

画像 : ヴァイオレット・ギブソンの墓 wiki c Ian Macsporran氏

今回はムッソリーニを撃ったアイルランドの女性闘士ヴァイオレット・ギブソンについて、その生涯をたどってきました。

ちなみに彼女のフルネームは、先述した通り、ジ・オーナブル・ヴァイオレット・アルビナ・ギブソンです。

ジ・オーナブル(The Honourable)とは「名誉ある者」を意味し、閣下と和訳されることもあります。

またアルビナ(Albina)とは「白」「高貴な美しさ」などを意味する言葉で、彼女が高貴な使命を果たしたことを称えているのか、あるいは生涯独身であったことを示しているのかも知れません。

総合すると彼女の名前は「名誉あるヴァイオレット・高貴なるギブソン」と言えるでしょう。

こうして生涯をたどってみると、辛く苦しい時期がほとんどだったようですが、その名誉と高貴さは今も人々に慕われています。

参考 : 『Richard Drake, “The Woman Who Shot Mussolini”2011』他
文 / 角田晶生(つのだ あきお) 校正 / 草の実堂編集部

角田晶生(つのだ あきお)

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