西洋史

イギリスでも行われた打ちこわし「ラッダイト運動」とは?機械を壊した謎の英雄たち

江戸時代、追い詰められた庶民たちが、大挙して悪徳商人らを襲撃した打ちこわし。

米を買い占めて不当に価格を吊り上げ、暴利を貪るなど、社会的責任を果たさない者に対する制裁が各地で行われました。

一揆との大きな違いは、その名の通り「打ち壊す」すなわち相手の生産手段を奪うところにあります。

無益な殺傷や略奪は行わず、秩序立った襲撃に、ある武士は「誠に礼儀正しく狼藉」に及んだ旨を記すほどでした。

そんな打ちこわしは他国でも行われており、今回は19世紀のイングランド(イギリス)で行われたラッダイト運動(Luddite movement)について紹介したいと思います。

労働者の怒りが暴発

画像:資本主義のピラミッド。上から支配者・騙す者(聖職者)・撃つ者(軍隊)・食う者(富裕層)がおり、最下層で働き養う者(労働者)が支えている Public Domain

西暦1811年3月11日、イングランド・ノッティンガムの工場で産業機械が破壊されました。

当時は産業革命によって生産性が大幅に向上した一方、労働者に対する酷使や搾取が深刻化していたのです。

そのため労働者の生活環境は悪化の一途をたどり、多くの労働者が生活苦にあえいでいました。

まさに人間が機械を使うはずが、人間が機械に使われる状態です。

「もっと働け!機械は待ってくれないぞ!」

あまりに技術が進みすぎて、人間の方が追いつけないのはよくある話。

しかし経営者としては高額な機械への投資を早く回収したいので、労働者に構わず煽り立てたことでしょう。

「お前らなんか、いくらでも替えがきく。失業したくなかったら、機械に負けないよう、もっと働け!」

「……そんなに機械が偉いと言うなら、いっそ機械に働かせればいい!」

鬱屈した労働者の怒りがついに暴発、機械の破壊運動が行われました。

「そうだ!俺たちは生きるために働くのであって、働くために生きているんじゃない。まして機械に使われて過労死するなどまっぴら御免だ!」

破壊運動は酷使・搾取に苦しんでいた労働者たちの共感を呼び、瞬く間にイングランド北部から中部に拡大します。

1811年12月20日付「ノッティンガム・レビュー」でネッド・ラッドのエピソードが紹介されたことから、機械の破壊運動がラッダイト運動と名づけられたのでした。

謎に包まれた英雄たち

画像:ラッダイト運動のリーダー。ネッド・ラッドがモデル?Public Domain

ネッド・ラッド(Ned Ludd)は生没年不詳、実在性も定かでない伝説上の人物です。

※ただし完全に架空の人物とも言い切れません。

彼はイングランドのアンスティで生まれた織物職人と推定され、1779年にトラブルが理由で織機2台を破壊したと言われます。

【機械破壊の動機】

・雇用主から鞭で打たれた?
・地元の若者らに侮辱された?

※これらの説は「ノッティンガム・レビュー」より。

・ラドラム(Ludlam)少年が父親に叱られた?

※この説はジョン・ブラックナー『ノッティンガムの歴史』より。

その後、ネッド・ラッドがどのような生涯をたどったかは、詳しくわかっていません。

しかし、織機などの機械が破壊される度に

「俺じゃないよ。これはネッド・ラッドがやったのさ」

「そうさ、俺も見たぜ。たぶんネッド・ラッドの仕業に違いない」

などと嘯(うそぶ)く労働者たちが増えたようです。

こういうジョークが広がるくらいには、ネッド・ラッドが労働者たちの間に浸透し、支持されていったのでしょう。

他にも各地でラッダイト運動が起こると、その指導者たちは「ラッドの一族」を名乗りました。

・キング・ラッド(ラッド王)

・ジェネラル・ラッド(ラッド将軍)

・キャプテン・ラッド(ラッド船長)

彼らが残した手紙や各種文書には、ラッドの署名が記されています。

厳罰化(機械破壊法)で火に油

画像:ラッダイト運動に共感し、社会的な是正を求めたバイロン Public Domain

さて、ネッド・ラッドはじめラッド一族は機械を破壊するだけでなく、各地で武力蜂起や暗殺なども繰り広げました。

例えばランカシャーの工場では、ラッダイト勢力とイングランド陸軍が衝突します。

またミッドランド州では、かつてチャールズ2世(17世紀)の発した勅許に基づく労働者の権利を掲げながらの機械破壊が展開されました。

他にも、ハダースフィールドの工場を経営するウィリアム・ホースフォールを、ジョージ・メローら4人が襲撃。暗殺する事件も発生しています。

急速に激化するラッダイト運動に対して、イングランド当局もただ手を拱いていたわけではありません。

年が明けて1812年、イングランド議会では機械破壊法を制定。

これは、経営者に対する抗議や産業妨害を目的とする機械破壊行為を死刑とする法律であり、よほどラッダイト運動を脅威と感じていたかが分かるでしょう。

この機械破壊法に対して、貴族院議員であり詩人のジョージ・ゴードン・バイロンは反対の意を表明します。

「今日の事態は労働者の苦境を顧みず、貪欲に搾取を続ける経営者や、政府の無慈悲な弾圧が招いたものだ。厳罰をもって脅しても、この動きが止まることはない(大意)」

「私はイスラム教徒によって抑圧されたトルコ各州を訪れたことがある。しかしどれほど独裁的で不信心な政府下でも、母国に戻ってから目にしてきた光景ほど見すぼらしく惨めではなかった。我がイングランドがキリストの恩寵を受けている地とは、到底信じられない(大意)」

バイロンの懸念どおり、機械破壊法による脅しはラッダイト勢力の反骨精神に火をつけ、機械破壊運動はますます激化していきました。

切り崩し工作で相次ぐ密告

画像:イメージ

苛酷な労働で野垂れ死にするか、抵抗して死刑になるか……どうせ死ぬなら、人間の尊厳を訴え抜いた方がマシというもの。

ただ目先の生命をつないだところで、それに何の意味があるのでしょうか。

子供たちはどうなるって?彼らが運よく大人になれたとして、待っているのは搾取と弾圧の未来しかありません。

だったら苦しい期間は少しでも短くしてあげた方が、むしろ親心と言うものでしょう。

人間死ぬ気になったら最後、怖いものなんて何もない無敵状態です。

文字通り死に物狂いのラッダイト勢力に、イングランド当局は打つ手がありませんでした。

しかしいつの世も悪知恵がひらめくもので、当局は内部の切り崩しを謀ります。

「奴らが死を恐れないのは、失うモノが何もないからだ。ならば失いたくないモノを与えてやれば、その決心はおのずと揺らいでくるだろうよ」

そこで何をしたかと言えば、ラッダイト運動の指導者たち、ラッド一族に高額の懸賞金をかけました。

「なぁ、一生遊んで暮らせるカネが欲しくないか?」

となれば、100人中の1割くらいは心が揺らぐかも知れません。

誰だって、本当は死にたくなんてないのです。追い詰められているからこそ、マシな死を選んで(恐れずに)いるものの、裕福に暮らせるならそっちの方がいいでしょう。

それで実際に仲間を売るか?となればもう1ハードルありますが、それでも超えてくる手合いは一定数いるものです。

この策が功を奏して、ラッダイト勢力内部で密告が相次ぎ、多くの逮捕者・処刑者が出たのでした。

最後のラッダイト運動(ペントリッチ蜂起)

かくしてラッダイト運動は次第に弱体化し、各地で鎮圧されていきます。

しかし1815年にナポレオン戦争が終結し、翌1816年にイングランドを「夏のない年(冷害)」が襲うと、飢餓に苦しむ労働者の怒りが再燃しました。

1817年には失業者のジェレマイア・ブランドレスが、ノッティンガムで武装蜂起。燎原の火よろしく叛乱の機運が全国に伝播します(ペントリッチ蜂起)。

武装勢力は機械の破壊よりも襲撃や略奪を主体に行ったことから、厳密には異なりますが、これが最後のラッダイト蜂起と見なされました。

このペントリッチ蜂起は軍隊によって鎮圧され、また景気も徐々に回復の兆しを見せたため、ラッダイト運動は終焉を迎えたということです。

終わりに

今回は19世紀のイングランドで勃発したラッダイト運動(労働者による機械破壊)を紹介してきました。

江戸時代の打ちこわしとは、かなり様相が異なるものでしたね。

機械などの新技術を駆使して生産効率は上がったものの、人間がついて行けず置き去りにされた結果と言えるでしょう。

しかしカール・マルクスは『資本論』でラッダイト運動について「機械を破壊(新技術を否定)するよりも、搾取的な労働システムこそ改善すべき(大意)」と批判しています。

また、マルコム・L・トーミスは「労働者が経営者に対抗し得る数少ない手段であり、労働者の連帯を生み出した。機械を破壊したのは必ずしも新技術の否定ではなく、搾取の象徴として破壊できるからしたに過ぎない」と評しました。

搾取を憎んで機械を憎まず……新技術は、より多くの人が幸せな暮らしを営むために活用したいものですね。

※参考文献:
・マツクス・ベーアら『社会主義史 第4篇 (近世労働階級の擡頭)』国立国会図書館デジタルコレクション
・並木 信義『産業・経済通説のウソとマコト』日本経済新聞社、1986年9月
文 / 角田晶生(つのだ あきお) 校正 / 草の実堂編集部

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