西洋史

奴隷貿易大国だったポルトガルと戦い続けた女王・ンジンガの凄絶な闘争史

16〜17世紀、アフリカ南西部の現在のアンゴラ地域に存在したンドンゴ王国とマタンバ王国には、卓越した政治的・軍事的才能を持つ女性指導者がいました。

彼女の名は、ンジンガ・ムバンデ

画像:手彩色のリトグラフで描かれたンジンガ public domain

当時、女性が国家の実権を握ることはきわめて稀でしたが、ンジンガは約37年間にわたって王国を率い、強国ポルトガルなど外部勢力に果敢に立ち向かい、外交の場で卓越した交渉能力を発揮しました。

のみならず、彼女は文化的・宗教的リーダーとして国内の統治においても、カリスマ的とも言える卓抜した才能を発揮します。

華やかな英雄譚として語られることの多いンジンガですが、その生涯の背後には、実兄との権力闘争や、国の存亡を賭けた絶え間ない戦いが存在していました。

今回は、苛烈な運命に翻弄されながらも、不屈の精神で生き抜いた女王ンジンガの生涯に焦点を当てていきます。

暗示された運命

画像:ンドンゴ王国は現在の北アンゴラに位置した。画像は現在のアンゴラ wiki c L’Américain FileAfrican Union

ンジンガは1583年頃、ンドンゴ王国の王キルワンジと、側室の1人であったケンゲラの間に生まれました。

彼女の名はムブンドゥ語で「へその緒が絡まっている」という意味を持ち、生まれた時、へその緒が首に巻きついていたことに由来すると伝えられています。

当時、このような出生をした子は強い霊的力を授かり、誇り高く育つと信じられており、将来女王になる運命を予言されたとも語られています。

ンジンガは幼いころから王族としての教育を受け、政治・外交・軍事に関する知識を身につけていきました。

というのも、兄のムバンデは気が小さいうえに傲慢な性格だったため、父であるキルワンジは、むしろンジンガに期待し、溺愛したのです。

実際彼女はムバンデよりも優秀で、男の子がさせられるような狩や弓にも長けていただけでなく、捕虜になっていたポルトガル人宣教師を家庭教師につけられると、見事にポルトガル語も習得してみせました。

ンジンガは背が高く、スラリと美しい姿でしたが気性は激しく、兄のムバンデが彼女のネックレスを盗んだ際には、国民の面前で彼が泣き叫ぶほどに叩きのめしたという逸話もあります。

兄の醜悪な仕打ちと国を脅かす敵たち

画像:ンドンゴ王国の領域 wiki c KillOrDie

成長してからも、ンジンガと兄ムバンデとの関係は良好とは言えませんでした。

一方で、妹たちとは良好な関係を保っていました。

しかしその様子を見て、兄のムバンデはさらにコンプレックスを拗れさせます。

彼女たちに過酷に当たるだけでなく、王位継承を脅かしかねないンジンガの息子を殺害したのみならず、ンジンガや妹たちの下腹に薬草を混ぜた煮えたぎる油を浴びせ、2度と子どもが産めない身体にしてしまったのです。

そのような非道な虐待にも関わらず、1617年に父であり王であるキルワンジがこの世を去ると、女性であるンジンガは王位を継ぐことができず、表面上は兄に従うほかありませんでした。

ムバンデの方もンジンガが決して自分を許すことが無いことは理解していました。

しかし当時、ンドンゴを取り囲む政情は深刻で、王族同士内で対立をしていては立ち行かない状況でした。

まず、第一の敵であったのが強国ポルトガルでした。

大航海時代の最中、ポルトガルは海岸地帯を占拠し、海岸都市ルアンダからは何百万と言う黒人が奴隷として連れ去られていました。

そして更なる奴隷を求め、その手をンドンゴに伸ばしてきていたのです。

さらに、インバンラガという拠点をあえてもたない武装集団も、国の存亡を脅かす存在でした。

おそらくは元戦争孤児であった彼らは、イニシエーション(通過儀礼)を経て集団化し、時にポルトガルやンドンゴを敵方とみなして、領土への略奪を繰り返していたのです。

このような複数の危機が迫る中で、ンジンガは王族の一員として立ち向かわなければなりませんでした。

ポルトガルの侮辱を凌駕

画像:ンジンガがポルトガル総督と交渉している様子を描いた同時代のイラスト(1657年) public domain

1622年、兄ムバンデの命を受け、ンジンガはポルトガルとの和平交渉に使者として参加し、巧みな交渉術でポルトガル側を驚かせることになります。

ポルトガル総督の滞在するルアンダに向けたンジンガ一行の行列は、威厳に満ちた豪奢なものでした。

武装した軍と大勢の美しい小姓たちを引き連れたンジンガは、自らの足ではなく、屈強な男奴隷たちに肩車させた姿で列を進めました。

この姿は評判が評判を呼び、ルアンダにンジンガ一行が到着した際には、現地の民衆だけでなく、軍事や政治・宗教界のエリートまでが中央広場に集い、彼女を大歓迎で迎え入れたのです。

しかし交渉の場はタフなものでした。

ポルトガル側は権力の差を見せつけようと、ンジンガのための椅子すら用意していなかったのです。これは偶然ではなく、彼女を下位の立場に見せようとする意図的な演出でした。

床に座らせることで「あなたは我々より下だ」というメッセージを突きつけたかったのです。

しかし、ンジンガはこの侮辱を真正面から受け取ることはしませんでした。

彼女はしばし状況を見つめると、静かに側にいた従者に命じました。従者は四つんばいになり、彼女はその背中を堂々と「椅子」として用いて着席したのです。

その姿勢は、あくまで落ち着き払っており、威厳さえ漂っていたと伝えられます。

ポルトガル側が仕掛けた上下関係の演出は、この瞬間に意味を失い、逆にンジンガの機転と誇りの高さを印象づける場面となったのです。

この交渉において、ンジンガはポルトガルに完全な和平を認めさせることはできませんでした。

しかし、ンジンガの振る舞いは圧倒的な威厳を示し、ポルトガルに「軽んじてはいけない相手」という印象を刻んだのです。

ついに女王に即位、しかしそこからが本当の戦いだった

画像:ローマ教皇アレクサンデル7世 public domain

1624年、兄ムバンデの死を受け、ンジンガはついにンドンゴ王国の王位に就きました。

しかし当時、女性君主はほとんど例がなく、彼女の即位は内政・外交の両面で激しい抵抗を招きました。

そして1626年、ポルトガルは彼女を正式な統治者と認めず軍事介入に踏み切ります。

ンジンガは勇敢に戦いましたが、圧倒的な軍事力を前に亡命を余儀なくされます。

亡命先で彼女が目を向けたのは、女性統治の伝統をもつマタンバ王国でした。彼女はそこで有力者たちと巧みに同盟を結び、政治的基盤を着実に築いていきました。

1630年代前半、ンジンガはマタンバ王国を征服し、その地に正式な王位を確立します。

彼女は既存の政治体制を尊重しつつも着実に権力を強化し、宿敵ポルトガルに対抗するため、オランダ西インド会社との同盟を模索しはじめました。

1641〜1644年にはオランダの支援を受け、失われていたンドンゴ領の一部を奪還するという快挙を達成します。

しかし1648年、ポルトガルがルアンダを再占領すると情勢は一変。オランダ勢力は撤退し、彼女は再び厳しい局面に立たされました。

それでもンジンガは諦めませんでした。

粘り強く外交交渉を続け、1656年にはついにポルトガルとの和平条約を締結。マタンバ王国の正統な女王としての地位が国際的に認められたのです。

彼女はカトリックへの再帰依を誓い、教皇アレクサンデル7世からの認証も受けました。

晩年、そして遺されたもの

画像:2002年、独立27周年を記念し当時のサントス大統領によってルアンダに建てられたンジンガの像 wiki c Erik Cleves Kristensen

1663年12月17日、ンジンガは80歳の長い生涯に幕を下ろします。

妹バルバラが王位を継ぎましたが、1666年には内乱が発生し、その後は将軍ジョアン・グテレス・ンゴラ・カニニの子孫が王位を引き継ぐこととなりました。

しかし、ンジンガの名声が薄れることはありませんでした。

彼女の統治は軍事・外交面でだけでなく多面的なリーダーシップの象徴として今なお語り継がれています。

ンジンガは現代のアンゴラにおける「国母」として、誇り高き女王として、そして女性の力と独立心の象徴として今も深く敬愛されているのです。

参考文献:『世界史の中のヤバい女たち』/黒澤 はゆま(著)
文 / 草の実堂編集部

草の実堂編集部

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草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子。
編集、校正、ライティングでは古代中国史専門。『史記』『戦国策』『正史三国志』『漢書』『資治通鑑』など古代中国の史料をもとに史実に沿った記事を執筆。

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