「勇気」「忠誠」「礼節」
「騎士」には、このような言葉がイメージされやすい。
しかし、これはキリスト教的な観念によって生み出された騎士道の精神を表した場合である。
騎士という存在は西洋と東洋では解釈が異なる部分もあり、イメージだけを先行させてしまった原因かもしれない。
本来の騎士とは、どのような存在だったのか。
宗教や文明による騎士観の違いを調べてみた。
1.騎士 のはじまり
現代の日本において一般的にイメージされる騎士というものが生まれたのは、中世ヨーロッパである。
封建制が成立し、君主が臣下に対して爵位を与え、領地を治める権限を与える代わりに、臣下は戦時において君主のために戦うという制度が生み出したものであった。
騎士とは文字通り「馬に乗り戦う者」を指す。
中世初期において戦いの主力は歩兵であったが、時代が進むにつれ馬具などの改良により騎乗しながらも十分な戦闘ができるようになると、その機動性から騎兵は戦力の要となっていったのだ。
こうした背景から、領主は騎乗戦闘の技術に長けた臣下を重用し、それが以後の騎士という身分へと変わっていった。
2.騎士という身分
騎士は、君主により叙任されるもので、貴族のような生まれながらの身分や階級ではなかった。
とはいえ、装備や馬、従者などを調達、維持できるだけの財力がなくては認められることもないため、平民が騎士として活躍できたかは怪しいものである。
多くは貴族や富豪などに縁のある人物が叙勲されるケースが多かったようだ。
ここでひとつ誤解を解かねばならない。
日本での騎士のイメージの中には「騎士は下位の爵位である」というものがある。
つまり、封建制の中で生まれ、同じように領地を与えられた公爵や伯爵など爵位を持つ貴族の下位に、騎士も含まれるという誤解だ。
これはイングランドの階級制度により、騎士が「ナイト」として爵位を与えられたという事実から生まれたものであろう。
おまけに敬称は「Sir(卿)」となり、日本語では英国貴族の敬称である「Load」も卿と訳されるためにこうした誤解が広まったようだ。
領地を運営するという経済的な面から言えば、上位の爵位を持つ貴族と同じともいえるが、中世のヨーロッパにおいての騎士とは「騎兵としての高い技術を持った兵士」に過ぎないのであった。
3.騎士修道会と十字軍
1099年、十字軍が聖地エルサレムを占拠すると、その後はヨーロッパからの巡礼者や聖地そのものをイスラム勢力から守るという目的でいくつかの騎士修道会が誕生した。
騎士修道会とは、キリストに仕える修道士でありながら、戦闘技術も持った集団のことである。
それ以前にも、戦士としての重要性が低くなる平時においてはキリスト教との結びつきが強くなり、叙勲の儀式などに聖職者が参加することも多くなっていた。
その結果、キリスト教的な価値観を持つ騎士道が広く説かれるようになり、それが現在の日本における騎士のイメージに影響しているといえる。
ゲームやフィクションの世界で活躍する聖なる戦士といったイメージだ。
そして、そんなイメージにもっとも近いのが騎士修道会のなかでも有名な「テンプル騎士団」の存在だった。
第一回十字軍は、たしかにエルサレムや広大な領土の確保に成功したが、それは遠く離れたヨーロッパから維持するにはあまりに遠すぎ、広すぎた。
イスラム勢力が支配する地域のなかで、点と線で出来たような巡礼路を旅するのは大変な危険を伴っていた。
問題はイスラム勢力だけではない。
虐殺も躊躇わない山賊や強盗も多く、そのような敵から巡礼者を守るために結成されたのがテンプル騎士団である。
初代総長ユーグ・ド・パイヤンは、当時60歳に近い年齢ながら、9人の団員とともに巡礼者のために異郷の地で活動を始めた。見返りを求めることなく、巡礼者の命と財産を守るという行為をしていたのである。
そのことが認められ1128年、ついにテンプル騎士団は公認されることとなった。
宗教的な価値観はさておき、このような人物こそ日本人がイメージする騎士に一番近いのではないだろうか。
4.現代の騎士
現代の社会において騎士という存在はふたつの形で残っている。
ひとつは階級としての騎士。
先述したように、イギリスでは階級としての騎士制度が今も残っており、イギリス内外の功労者に対して贈られる称号に「ナイト」がある。
映画「パトリオット・ゲーム」で主人公ジャック・ライアンが王族をテロリストから救った功績を讃えナイトの称号を得ているが、現実世界においても俳優のショーン・コネリーや、ミュージシャンのポール・マッカートニー、アメリカの実業家であるビル・ゲイツなどの著名人が数多く叙任されている。
その他、テンプル騎士団と同じ騎士修道会である聖ヨハネ騎士団は、マルタ騎士団と名前を変え、医療活動などを行うなど、軍事活動とは切り離されながらも生き残っている。
そして、もうひとつは軍事的な意味での騎士の存在である。
広い意味での騎士は「馬に乗って戦う者」であるが、その名残りは現在の軍隊の中にも残っているのだ。
時代とともに戦争で馬が使われなくなると騎兵はヘリコプターに乗り第二次世界大戦後の主な紛争に参加するようになった。
その代表がアメリカ陸軍の第一騎兵師団である。
師団のマークには馬のシルエットが描かれており、同師団は今も存在している。
まとめ
時代や国、地域、組織によって騎士の意味が異なることが分かった。
実際の中世以降の騎士のなかには君主に忠誠を誓ってはいたが、前線においては略奪や暴行を当たり前のように行う者も多かったようである。
先述のテンプル騎士団も十字軍遠征が終息すると金融業などに力を入れ、秘密結社のような一面を持ってしまったことにより、異端裁判にかけられて最後は消滅してしまった。
騎士という存在は決して華麗で勇猛な一面だけではなかったのである。
関連記事:
中世の騎士について調べてみた②
十字軍遠征はなぜ9回も行われたのか?【聖地エルサレムの奪還】
この記事へのコメントはありません。