飲食

新宿中村屋のインドカリー はなぜ有名になったのか調べてみた

新宿中村屋といえばカレーが有名です。しかも、インドカリーカレーじゃなくてカリーなんです。
新宿中村屋はその名の通り、新宿の本店をはじめ、首都圏に店舗を展開していたり、レトルトのカリーも販売しているので、食べた人も多いのではないでしょうか?

その創業は1901年、明治34年です。インドカリーがメニューに並んだのは、1927年(昭和2年)。そんな昔にカレーが広まっていたなんて驚きでしたが、そこに至るまではさらに大変な物語があることを知りました。

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中村屋の創業

新宿中村屋のインドカリー
¥※新宿中村屋本店のインドカリー

中村屋は、元々は東京大学正門前にあったパン屋さんでした。そこを相馬愛蔵と妻の夫妻が買い取り、個人経営で創業したそうです。だから創業者は相馬さんでも「中村屋」なんですね。

パン屋さんだったころには、「クリームパン」や中華まんのもととなる「中華饅頭」を発売していたそうです。ちなみに愛蔵さんは東京専門学校(現・早稲田大学)卒業、良さんも横浜の「フェリス女学院」から新宿の「明治女学校」に転校したという経歴のインテリ夫婦でした。ちなみに「明治女学校」には先生として島崎藤村が在籍していたといいます。

このパン屋さんの評判はとてもよく、相馬さんご夫妻は店の規模を拡大するために新宿の六間通り(現・新宿通り)に出店しました。明治40年(1907年)のことです。

国外逃亡をしたインド人


※ラース・ビハーリー・ボース

相馬さん夫婦には俊子さんという娘さんがいました。
そんな相馬さん一家の前に現われたのが、インド人のラース・ビハーリー・ボースです。当時のインドはイギリスの植民地でボーズの故郷、ベンガルも「イギリス領インド帝国」の領土となっていました。

しかし、彼にはインドがイギリスから独立するべきだという思いが強く、いくつかの過激な独立運動を起したため、イギリス植民地政府に追われることになります。
ボースは新たな武器を得るために日本に渡航する決断をし、1915年(大正4年)6月に日本に入国しました。独立運動とはいえ、武器の調達のために日本に来るというのも、ちょっと怖い話ですね。

日本には独立運動を支援する日本人がいたので、大量の武器をインドへ送りつつ、「中国革命の父」とも呼ばれる孫文とも出会っています。しかし、武器の密輸とボーズの密入国はイギリスに知られてしまい、支援者のつてを頼りに中村屋でかくまうことになったのです。

ボーズと俊子の結婚


※ボースを囲む日本の支援者(1916年4月)

しかし、イギリス政府は追及の手を緩めません。ボーズは日本各地を転々としたそうです。イギリスの警察や軍隊では日本で捜索することができないので、時には民間人に変装したり、探偵を使って探したりとなかなかの執念です。

そんな状況の中、1918年にボースは逃亡中の連絡係を務めた相馬夫妻の娘で当時20歳だった俊子と結婚しました。これは周囲のインド独立支援者たちの意向があったともいいます。

俊子さんは日本に慣れていないボーズを守るために結婚させられたようなものでした。

しかも、どこに追っ手の目があるかわからないので、祝言の日は、早朝に中村屋の裏口から二人で旅立ったそうです。

逃亡生活

新婚生活も逃亡の日々でした。
しかし、その中で俊子さんとボーズは本当に気持ちを通わせるようになります。
日本各地を転々とする俊子さんは疲れを隠せませんでしたが、そんなときにボーズが作ってくれたのは「インドカリー」でした。

当時の日本ではカレーは小麦粉とカレー粉を混ぜただけのものでしたが、ボーズのカリーはスパイスの調合から始める本格的なもので、俊子さんを元気付けます。第一次世界大戦が終結してからはイギリスのボース追及が終わり、その後は俊子さんとともに中村屋の敷地内に住居を建てて暮らし、1男1女をもうけることまでできました。

しかし、そんな幸せな生活も長くは続きません。

インドカリーの誕生

1925年(大正14年)、ボーズの妻・俊子さんが肺炎により26歳という若さで亡くなってしまったのです。
これをきっかけに、ボーズは再びインド独立運動を行うため相馬家から姿を消しました。

それから2年後の1927年(昭和2年)、かねてより中村屋では喫茶部を新設して軽食を提供する計画がありましたが、その夢が実現します。

そこへ現われたのは、なんとボーズでした。ボーズは相馬夫妻に、喫茶部のメニューに「インドカリー」を載せて欲しいといいます。実は、生前の俊子とボーズは「中村屋に喫茶部ができたらインドカリーを出そう」と約束していたんです。

最初は政略結婚のような形であっても、二人はしっかりと愛し合っていたのです。

そうして、純インド式カレーがメニューに並びます。本場の材料にこだわったため、当時としてはかなり高価なものになったといいますが、このカレーが本場の「カリー」を知らない日本人の心を掴みました。ボーズ夫妻のインドカリーは瞬く間に中村屋の看板メニューとなり、今日まで変わっていません。

まとめ

どうでしたか?
私もインドカリーにこんなエピソードが隠されていたなんて知りませんでした。ちょっと耳にしたので調べてみたら、夫婦の愛が世に送り出したカリーだとわかりました。
ちなみに中村屋本店のカリーのキャッチフレーズ「恋と革命の味」はここから生まれ、引き継がれているそうです。

 

 

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