音楽&芸術

アンティークビスクドールについて調べてみた

ビスクドール」とは、素焼きの磁器製の人形のことである。「ビスク」とはフランス語の「ビスキュイ」を語源としており、“二度焼き”を意味している。

特に19世紀に作られたものは、作られてから100年以上が経過した現在は「アンティークビスクドール」と呼ばれる。アンティークビスクドールの誕生から現在までを追ってみた。

市松人形から影響を受けた

アンティークビスクドール

※2体のドール。Wikiより

ビスクドールそのものは、1840年代にドイツに既に存在していた。当時は大人の女性のドールで、衣服の宣伝用のファッションドール(小さなマネキン)であった。
子供の姿のビスクドールの誕生は、1855年のパリ万国博覧会がきっかけだった。日本はこの時、市松人形を出品した。子供の姿をした市松人形に影響され、それ以降は子供の姿をしたビスクドールが沢山作られるようになった。

子供姿のビスクドールは19世紀末に黄金期を迎え、フランスやドイツに多数の工房ができた。

アンティークビスクドール のパーツ

※ドールの顔。自分で撮影

ヘッド

磁器製のドールの頭。初期にはモールドと呼ばれる型に磁土を押し込んで作られていたが、やがて液状の磁土を流し込んで作られるようになった。著名な彫刻家がモールド作りに関わっていた例もある。
初期に作られたドールは口が開いておらず、「クローズドマウス」と呼ばれる。後期に作られたドールは口が開いていて、リアルな歯がついており、「オープンマウス」と呼ばれる。
まつ毛は筆で直接ヘッドに描かれていることが多いが、ドイツのドールはまつ毛が植毛されているものもある。

ボディ

おがくずなどをニカワで固めた「コンポジションボディ」、革に詰め物をした「キッドボディ」、木製の「ウッドボディ」などがある。小さなサイズのドールは、ボディもビスクで作られる場合があった。
また、ボディ内部に機械を埋め込んで声を出したり、歩いたりする仕掛けを持ったボディも作られた。

アイ

フランスのドールには、「ペーパーウエイトアイ」と呼ばれる、ペーパーウエイトの技法で作られたガラス製の瞳が使われた。このアイは複雑な虹彩模様が美しく、ドールアイの最高峰とも言われ、現在では再現するのが困難とされる。
ドイツのドールには「ブロウアイ」と呼ばれる、吹きガラス製の瞳が使われた。

主な工房

多数の工房が存在するが、特に有名な工房、特筆すべき事項のある工房を挙げる。

ジュモー(フランス)

ピエールとエミール親子が作った工房。1878年のパリ万国博覧会で金メダルを受賞した。ポートレイトやロングフェイスといった名作を多数生み出した。

ブリュ(フランス)

「ビスクドールの王者」と言われるほどの風格がある。現存する作品が少ない。自分の気に入った作品しか売らなかったとされる。

シモン&ハルビック(ドイツ)

ドイツ最大のヘッド・メーカー。まつ毛のついたスリーピングアイの特許を取った。

スタイネール(フランス)

手足を振りながら喋る赤ん坊の人形「オートマチック・トーキング・ベベ」や、レバーでまぶたを開閉する仕掛け「ワイヤー・アイド」が有名。

A.T(フランス)

A.T(アーテー)は、「幻の人形」と呼ばれる。アンドレ・テュイエ作と伝えられているが、この作者については詳しいことが分かっていない。スタイネールの作った“G”タイプと称される人形と作り方が大変似ているが、その理由も不明である。

アンティークビスクドールの衰退

フランスの美しいビスクドールは高価で、主に貴族階級の子供向けに作られた。
一方ドイツは、丈夫で安価なビスクドールを大量生産し、アメリカに輸出。フランスはこの競争に負けじと、20世紀になるとフランスの各工房を合併し、S.F.B.Jという合同会社を作った。それからフランスは、廉価な大衆向けのビスクドールを作るようになった。

しかしビスクドールの時代は、さらに安価なセルロイド製のドールの登場によって、第一次大戦後に一気に終焉を迎えることとなった。工房は全てなくなり、ビスクドールは作られなくなった。

アンティークビスクドールの今

※ソファに座るドール。自分で撮影

アンティークビスクドールは、希少価値の高い骨董品として扱われ、高値で取引されている。
日本のバブル期に、金持ちがこぞってアンティークビスクドールを収集した。当時の金額は、フランスのドールで一体1000万円ほどであったという。
しかしその後は徐々に価値が下がり始めた。現在ネットオークションでは多数のアンティークビスクドールが出品されており、ジュモーでも数十万円もあれば落札できる時代になった。また、ドイツのドールであれば、アンティークドールショップでも数万円から購入することができる。

しかしながら、ドレスやウィッグがオリジナルのままだったり、コンディションが良かったりした場合には価値が上がり、数百万円の値がつけられている。今も昔も、高値で取引されているという事実に変わりはない。

おわりに

アンティークビスクドールは、女の子のために作られた可愛い玩具であり、各工房の人形師たちが工夫を凝らして制作した芸術品でもある。日本の市松人形に影響を受けて生まれたアンティークビスクドールは、現在も世界中のコレクターに愛される存在となっている。

アバター

歌夜

投稿者の記事一覧

人形と本で埋め尽くされた部屋に住んでいる。古いものと、変なものが好き。

✅ 草の実堂の記事がデジタルボイスで聴けるようになりました!(随時更新中)

Audible で聴く
Youtube で聴く
Spotify で聴く
Amazon music で聴く

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事

  1. 【大正時代の色男】 竹久夢二と3人の美女 ~愛と芸術が織りなす大…
  2. 「漫画の歴史」について調べてみた
  3. キッチンカーはなぜ人気なのか?【開業許可と種類】
  4. BOØWY(氷室京介)のモノマネは結局誰が一番似てるのか?
  5. 【無音の音楽】「4分33秒」の作曲家・ジョン・ケージについて調べ…
  6. 【実の妹をモデルに描き続けた】孤高のベルギー人画家クノップフの生…
  7. 知ってた?アメイジング・グレイスの歌詞の意味
  8. 葛飾北斎の魅力「あと5年で本物になれた」画狂老人

カテゴリー

新着記事

おすすめ記事

コロンブスが追い求めた「金の実」~だが見つけたのは、辛さだった

15世紀末のヨーロッパでは、インドや中国との香辛料貿易が高い重要性を持っていました。しかし、…

北大路魯山人 波乱の生涯「美味しんぼ海原雄山のモデル」幼少期にたらい回され6度の離婚、娘は絶縁

漫画「美味しんぼ」で海原雄山のモデルとなった美食家と言えば、「ああ!なるほど!」とご存じの方…

青龍偃月刀は当時存在しなかった? 「三国時代の武器事情」

有名な武器はフィクションの存在?ややマニアックな視点になるが、三国志を語る上で欠かせない…

斎藤義龍 〜父・道三を討ち、信長を苦しませた巨漢武将(197cm)

斎藤義龍とは斎藤義龍(さいとうよしたつ)は、今年のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」で伊藤英…

秀吉から名城を任された武将・中村一氏

中村一氏とは中村一氏(なかむらかずうじ)は、豊臣政権の三中老の一人であり、岸和田城主だっ…

アーカイブ

PAGE TOP