悲しい結末に…
海底4000メートルに沈んだタイタニック号を見るために企画された観光ツアー中に、潜水艦が行方不明になった今回の事故。
懸命な捜索の結果、潜水艦の一部が発見され「破局的爆発」をしたと断定されました。乗船者5人の生存が絶望的となり、最悪の結末を迎えつつあります(2023年6月23日現在)。
今回の観光ツアーの目的であったタイタニック号は、20世紀の初めに造られた豪華客船です。
1912年4月10日、イギリス(サウサンプトン)を出港し、アメリカ(ニューヨーク)に向かう予定だったタイタニック号。「絶対に沈まない客船」と呼ばれた大型船は、1912年4月14日23時40分頃、氷山に接触し沈没してしまいます。犠牲者は1500名にものぼり、20世紀最悪の水難事故となりました。
実はこのタイタニック号には、1人の日本人男性が乗船していました。
今回の記事では、その日本人について紹介したいと思います。彼の運命はどうなったのでしょうか。
タイタニック号に乗船していた日本人とは?
沈没したタイタニック号に乗船していた日本人は、奇跡的に生存しています。
それは細野正文氏という人物で、元YMOの細野晴臣さんの祖父になります。
1910年から鉄道院の第1回海外留学生として、ロシア・ドイツ・フランスの鉄道事情を視察した細野氏。イギリスからアメリカを経由して帰国する際、当時話題だった「タイタニック号」の初航海に乗り合わせていたのです。
タイタニック号の事故では、乗客乗員2224人のうち1514人が犠牲になっています。
細野さんは生存者710人の1人であり、日本に帰国当初は「奇跡の生還を果たした日本人」と言われ、歓迎されました。
二等船客だった細野氏
しかし、タイタニック沈没時には救命ボードが不足しており、女性や子どもを優先して救出されたという情報が入ると、細野氏は逆にバッシングを受けてしまったといいます。
当時の様子を細野氏は日記に残しています。
読みやすように文章に手を加えています。
「ボートが一つずつ水面に下ろされていき、最後のボートにも全員が乗り終わりました。指揮官が人数を確認し“あと二人”と叫びました。その声とともに一人の男性が飛び込みました。船とともに運命を共有するしかないと感じて、最愛の妻子にもう会えないことを覚悟していました。しかしその時、さらに一人が飛び込むのを見ました。指揮官は短銃を持っていたので、私を撃つかもしれないと思いましたが、私も船に飛び乗りました。運が良かったのか、指揮官は他の事に気を取られていたか、暗闇の中で男性と女性の区別もつかない状況だったのかもしれません。飛び込むと同時にボートはゆっくりと下り、海面に浮かびました」
タイタニック号に乗船していた男性乗客で、生き残ったのは146人(全体の18%)です。女性と子どもが救命ボードに乗ったあと、残った男性は一等船客が優先されました。
細野氏は二等船客になり、同じ二等船客の男性生存者はわずか14人(全体の8%)でした。
救命ボートに乗らず亡くなった男性は「女性や子どものために犠牲になった」として英雄視されましたが、それと比較して、生き残った男性は「卑怯者」という扱いを世界中から受けることになりました。
新渡戸稲造もコメント
旧五千円札の肖像画である新渡戸稲造も細野氏を批判しています。
少年雑誌『義勇青年』のインタビューを受けた際、以下のようにコメントしました。現代語訳してみます。
「いや、当の人物が悪い意図で行動したわけではないだろうが、ちょうどその時…妻は夫のために、夫は妻のために、職員は職務のために、それぞれ自分の役割を果たして共に死を待っていた時、まさに船から離れようとする女性たちのボートに向かって軽快に飛び下りた男性がいた。上手く計算したもので、ボートが離れようとする瞬間に飛び込んだのだから、誰も止めることはできなかった。ボートの方でも取り戻すことはできず、その人は無事に生き延びたのだが、この一人の男性というのは、当時タイタニックに乗船していた…ただ一人の日本人だったのだ。もちろん、その人は鉄道庁の役員だったから、責任を重んじて生き延びたのだろうが、なんとも、その人は帰国後に休職になったようだよ…(『義勇青年』1916年3月号)」
『武士道』という書籍で有名な新渡戸ですが、彼は当時のアメリカ大統領だったウッドロウ・ウィルソンの友人でもあり、国際連盟の設立にも尽力しています。
第一次世界大戦の終了後に設立された、国際連盟の事務次長(実質ナンバー2)も務めています。
国際的な活躍をしていた新渡戸氏の言葉の影響はとても大きかったはずです。
批判はなく、人違いだった?
1997年の週刊文春によると、同じタイタニック生還者の1人、イギリス人のローレンス・ビーズリーが著作において「他人を押しのけて救命ボートに乗った嫌な日本人がいた」と証言したことが、細野氏が批判される大きなきっかけとなったとされています。
しかしビーズリーが乗っていた救命ボートは13号で、細野氏が乗っていたボートは10号でした。
記録上では10号ボートにはアルメニア人男性と女性しか乗っていなかったとされており、「細野氏が髭を生やしていたことで、アルメニア人と勘違いされたのではないか?」という疑問が残ります。さらに13号ボートには中国人男性が乗っており、ビーズリーはこの中国人男性を日本人と勘違いしたという説もあります。
ジャーナリストの安藤健二氏によれば、そもそもビーズリーの著作に日本人に関する証言自体存在せず、新戸部氏のコメントも事件から4年後に本人の名前を出さずに皮肉っぽく語っていたくらいで、批判自体に疑問を呈しています。「名誉回復された」という美談とするため、メディアが批判の存在を捏造したのではないかとも推測しています。
終わりに
今回の潜水艦事故に関しては、安全性を危惧する声が以前からあったそうです。安全性への不安を口にした従業員が、即刻解雇されたという報道もあります。
ありきたりな結論になってしまいますが、本来ならば「安全性と経費(コスト)」は、天秤にかけてはいけないはずです。
同じ悲劇を繰り返さないために、事故の原因究明を徹底してほしいと思います。
参考文献
高島健『タイタニックがわかる本』成山堂書店、2009年7月
その後の調査で、アルメニア人と勘違いされていたことをきちんとコメントすべきです。
細野氏は、日本人として恥になるようなことはしてはいけないと武士道を最後まで貫きました。
コメントありがとうございます!追記させていただきました。