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驚愕!日本には千年超えの老舗企業が9軒も存在 「京都の2軒の老舗を訪ねてみた」

老舗の定義は創業100年

驚愕!日本には千年超えの老舗企業が9軒も存在

画像:老舗イメージ(撮影:高野晃彰)

よく古い企業やお店のことを「老舗(しにせ・ろうほ)」と言い表します。
「老舗旅館」「老舗和菓子屋」「老舗企業」などに使われますが、「老舗」の定義としては、明確なものはないようです。

ですからグルメ番組などで、「ここは創業以来10年もの歴史がある老舗です。」などとリポートしているのを聞いていると、番組の制作者は本当に「老舗」というものを分かっているのかな、などと感じてしまう人も多いのではないでしょうか。

老舗に定義がないのでそうなるのも仕方がないことですが、企業の信用調査を行う「帝国データバンク」や「東京商工」の調査では、創業100年以上の企業や会社を「老舗」としているようです。

実は、日本は世界で「老舗」企業が最も多い国だそうです。「帝国データバンク」によると、2023年に業歴100年を超えた老舗企業は、4万3631社も存在しているとこと。

そしてその中でも、1,000年を超える企業やお店が存在しているのです。

1,000年を越えるということは、今が2024年ですから、おおよそ西暦1,000年。
時代的には、平安時代後半ということになります。

この頃の有名な歴史的事件としては、967年の延喜式施行、1016年の藤原道長摂政就任、1019年の刀伊の入寇などが挙げられます。

こんなに長い歴史を持つ企業やお店があるなんて、もう驚きとしか言いようがないですね。

創業千年を超える老舗は9軒

画像:金剛組(撮影:高野晃彰)

現在、日本で創業1,000年を超える老舗は、9社(店)実在し、業種的には、建設・旅館・和菓子・製造など様々です。

地域的に見ますと、大阪府・京都府・山梨県・石川県・奈良県・兵庫県・愛知県となり、京都府が3社で一番多く、他は各県1社ずつという分布になります。

では、どんな老舗があるのかを、古い順にご紹介しましょう。

日本最古は、大阪府で建築業を行う「金剛組」で、創業はなんと578年の飛鳥時代。同社は、日本最古の官寺である四天王寺の近くにあり、同寺院を建設するために、百済から招いた宮大工・金剛重光によって創業されたされてのです。

現在は、高松建設グループとして、日本の伝統的建築物の修復などにその技術を継承しています。

画像:いけ花発祥の地モニュメント wiki.c

2番目は、京都府で生花教授を行う「池坊華道会」で、創業はこちらも587年の飛鳥時代。

華道家元の池坊が継承するいけばなの理念・歴史・技術の伝承と、いけばなの普及・振興・人材育成に取り組んでいます。

同会が創業とする587年は、池坊家が代々住職をつとめる「頂法寺六角堂」が建てられた年にちなんでいるようです。

しかし、今まで行われた発掘調査の結果を踏まえれば、六角堂の現寺域からは飛鳥時代の遺構は検出されておらず「同寺の創建は10世紀後半頃ではないか」というのが一般的な学説です。

ですが、京都は飛鳥時代以前から、秦氏などにより開拓が行われた地です。その「京都のへそ」と称される六角堂ですので、今後の学術的な調査で創建年代が遡る可能性もあるのではないでしょうか。

3番目から5番目は、温泉旅館業が占めます。
3番目は705年、飛鳥時代は慶雲2年創業の山梨県の「慶雲館」で、最古のホテルとしてギネスに認定されています。同館は、藤原鎌足の長男・ 真人が開湯したと伝えられ、以来一族で旅館経営を行っています。

4番目は、兵庫県の名湯・城崎温泉を開いたという創業717年の「古まん」です。
同館の先祖は、天日槍の曾孫の田道間守から分かれた日生下(ひうけ)氏とされています。

その末裔である日生下権守は、城崎温泉の鎮守の神・四所明神の神職として奉仕していました。そこに、地蔵菩薩の化身といわれた道智上人が訪れ、同明神に祈願したところ、清水が滾々と湧出し、城崎温泉になったとされます。

そして5番目は、石川県の粟津温泉にある「法師」で、こちらは718年の創業とされます。

画像:東大寺大仏(撮影:高野晃彰)

6番目は、奈良県にある鋳物製造業の「五位堂工業」です。
同社は794年の創業とされますが、会社の沿革によると、745年頃に東大寺・盧舎那仏像の建立に携わったとされます。

現在は、伝統技術と最先端技術を融合し、工作機械用部品・建設機械用部品など、一歩先を行く鋳物作りに励んでいるとのことです。

7番目は、京都府にある仏具製造の「田中伊雅仏具店」で、885年の創業とされます。

8番目が、愛知県の建築業「中村社寺」です。
同社は、970年に社寺造営のため、初代当主が京都より招かれ創業しました。伝統の木造技法を駆使し、今も神社仏閣の建築に欠かせない企業として知られています。

画像:一文字屋和輔(撮影:高野晃彰)

そして、9番目が京都府にある1000年創業の和菓子鋪「一文字屋和輔」です。

今宮神社の門前で、名物「あぶり餅」を、1,000年前と同じ製法で参拝客や観光客に提供しています。

以上の9社(店)が、日本国内で1,000年の歴史を誇る老舗企業です。

それぞれが。永い歴史の中で苦難の時代があったことと想像できます。
これからも未来永劫にわたり、その歴史を紡いで欲しいと願ってやみません。

それでは最後に、公私ともに京都へ赴く機会が多い筆者が、1,000年を超える歴史を誇る京都の「一文字屋和輔」と「池坊華道会」の楽しみ方を紹介しましょう。

京都の2軒の老舗を訪ねてみた

画像:一和とかざりや(撮影:高野晃彰)

「一文字屋和輔」と「池坊華道会」はともに、社寺と深い関係にあります。

ですから、この老舗を訪れるのなら、「一文字屋和輔」は「今宮神社」、「池坊華道会」は「頂法寺六角堂」とセットで楽しむのがおすすめです。

画像:今宮神社本社(撮影:高野晃彰)

今宮神社」は、この地に平安建都以前からあったという「疫神を祀る社」を起源とする古社です。

平安京は日本の都として栄える一方で、疫病や災厄に悩まされました。
これらを鎮めるために京都各地で御霊会が営まれましたが、今宮社の紫野御霊会もその一つとされるのです。

一条天皇の994年、この地の疫神を二基の神輿に齋い込めて近くの船岡山に安置し、神慮を慰め、悪疫退散を祈りました。

これが今宮祭の始まりとされ、この時、老若男女が神輿に供し、囃子に合わせて唄い踊ったのが、毎年4月に行われる「やすらい祭」の起源とされます。

画像:今宮神社楼門(撮影:高野晃彰)

1001年になり、御霊夢により疫神は船岡山から現在の地に奉還され、新たに設けられた神殿ともども「今宮社」と名付けられ、現在に至るまで朝野の崇敬を集めています。

一文字屋和輔」も、まさにこの時、今宮神社を訪れる参拝客のために、疫病退散にご利益がある「あぶり餅」の販売を始めたのです。

このように、「一文字屋和輔」と「今宮神社」は切っても切れない縁で繋がっています。

ですから、先ずは「今宮神社」に詣でてから「一文字屋和輔」で、ゆったりとあぶり餅とお茶をいただきながら寛ぐのがおすすめです。

画像:一文字屋和輔のあぶり餅(撮影:高野晃彰)

小さく切った餅を竹串に刺し、炭火で炙り、白味噌だれをつけた「あぶり餅」はレシピなどはなく、25代にわたり一子相伝で、1,000年もの歴史を紡いできたもの。

そのシンプルさが、かえって歴史の奥深さを感じさせてくれます。

旧参道に面した同店の椅子席に坐り、向かいの「かざりや」や、行き交う参拝客を眺めていると「本当に京都に来てよかったな」と実感させてくれます。

ちなみに「かざりや」も、同じようにあぶり餅一本で、江戸時代初期から商いを続ける老舗です。

画像:一文字屋和輔の古井戸(撮影:高野晃彰)

そして、「一文字屋和輔」で外せないのが、平安時代から続くとされる建物内にある古井戸です。

この井戸はつるべ式ではなく、螺旋状の階段を使って地下に下りる形式から「まいまい井戸」とも呼ばれます。お店の人に断れば、見学させてくれますのでお忘れなく。

池坊家が代々住職をつとめる「頂法寺六角堂」は、先に述べたように京都の中心=へそに建つ寺院です。
寺伝によると、用明天皇時代の587年に、聖徳太子(厩戸皇子)により創建とされたといわれる古刹です。

画像:六角堂へそ石(撮影:高野晃彰)

本堂の右手には玉石に囲まれた「へそ石」があり、北側には本坊である「池坊」があります。
ここは「華道」の発祥の地であり、華道家元池坊の本拠地でもあります。

「頂法寺六角堂」は、京都の大動脈・烏丸通りのすぐ近く、ビルの林の間に建ちますが、ここだけまるで異空間のような雰囲気に包まれています。

そんな「六角堂」の拝観を終えたら、境内と繋がる「スターバックスコーヒー京都烏丸六角店」で、一休み。
これが、筆者おすすめのパターンです。

同店と「六角堂」境内は、1枚の大きなガラスで遮られています。
ガラスの前には、お地蔵さんが置かれ、四季折々に装飾が施され、夜にはライトアップも行われます。

画像:スターバックス烏丸六角店のガラス窓(撮影:高野晃彰)

京都には、史的な景観と融合した「スターバックス」があります。

東海道の起点・三条大橋をのぞめる「三条大橋店」、清水寺への参道・二寧坂にある「二寧坂ヤサカ茶屋店」が人気ですが、筆者にとって京都の「スタバ」と言えば「烏丸六角店」です。

画像:スターバックス烏丸六角店の店内(撮影:高野晃彰)

同店は、他の2店舗のように観光客ではなく、地元京都民が多いのが特徴です。

なかなか空いていないのですが、ガラス窓の前の席はまさに特等席。
ここで「六角堂」の境内を眺めながら、京都や同寺の歴史に思いを馳せる、そんな至極の時が過ごせる場所です。

※参考文献
京都歴史文化研究会著 『京都札所めぐり 御朱印を求めて歩く』メイツユニバーサルコンテンツ刊 2021.9
京都歴史文化研究会著 『京都歴史探訪ガイド』メイツユニバーサルコンテンツ刊 2021.12
文/写真 高野晃彰

 

高野晃彰

高野晃彰

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編集プロダクション「ベストフィールズ」とデザインワークス「デザインスタジオタカノ」の代表。歴史・文化・旅行・鉄道・グルメ・ペットからスポーツ・ファッション・経済まで幅広い分野での執筆・撮影などを行う。また関西の歴史を深堀する「京都歴史文化研究会」「大阪歴史文化研究会」を主宰する。

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コメント

  1. アバター
    • 名無しさん
    • 2024年 8月 31日 12:32pm

    宇治市民ですが、一和とかざりやで創業年次が大きく違うのは初めて知りました。しかし、一つ疑問があります。かざりやは江戸時代の寛永14年(1637年)創業なので、既に貨幣経済が浸透してますが、一和は平安時代の長保2年(1000年)創業です。その当時は、日本国内での銅貨鋳造が行われなくなって米や絹布など物品貨幣経済に退化して、中国との貿易を通じて流入した銅銭が流通するまで相当な年数を要してます。したがって、一和の創業後約1世紀の間、あぶり餅の代価は何であったのかという疑問があります。

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