
画像 :「婦女風俗十二ヶ月図」のうち「五月(蛍火)」春章筆.MOA美術館所蔵 public domain
江戸時代中期、浮世絵の世界に新たな風を吹き込んだ絵師がいました。
その絵師の名は、勝川春章(かつかわ しゅんしょう)。
彼の作品といえば、実際の役者の顔立ちを写し取った写実的な役者絵や、繊細で抑制のきいた美人画が特に知られています。
実は、あの葛飾北斎も春章の門下に名を連ねていました。
今回は、江戸のアートシーンを華やかに彩った春章の生涯と作品について、詳しくご紹介していきます。
勝川春章の生い立ち
勝川春章の生年については、享保11年(1726年)説と寛保3年(1743年)説があり、17年もの差があります。どちらが正しいのかは現在もはっきりしていません。
春章の父親は医者で、現在の東京都江戸川区にあたる葛西の地に住んでいたと伝えられています。
そんな家庭に生まれた春章が、なぜ浮世絵師を志すようになったのか詳細は不明ですが、若い頃から絵画に強い関心を持っていたことがうかがえます。
役者の顔を「そっくり」に描いた第一人者

画像 : 「東扇」 初代中村仲蔵の斧定九郎。春章画 public domain
春章の代表作として、まず挙げられるのが役者絵です。
当時の浮世絵には鳥居派という一大流派があり、彼らが描く役者絵は、線の簡略化やデフォルメが特徴でした。そのため、どの役者も似たような顔つきになってしまい、「これは誰?」と戸惑うようなことも少なくなかったようです。
しかし春章は、その風潮に一石を投じました。
彼は役者一人ひとりの顔立ちを写実的に描き分け、そっくりな似顔絵を確立したのです。贔屓の役者の顔がはっきりと見分けられる絵は、多くの庶民の心をつかみました。
このリアルな画風によって、春章はたちまち人気絵師の地位を確立していきます。
彼の代表作のひとつが、明和7年(1770年)に一筆斎文調と合作で発表した『絵本舞台扇』です。

画像 : 俳優中村歌右衛門『絵本舞台扇』 public domain
これは、扇の形に区切られた画面に役者の顔を描いたもので、持ち運びに便利なサイズ感もあり、まさに“推し活”にぴったりの作品でした。
現代で言えば、推しのアクリルスタンドやフォトカードのような感覚だったのかもしれません。
『青楼美人合姿鏡』北尾重政との合作で吉原の風俗を描く

画像 : 青楼美人合姿鏡 public domain
安永5年(1776年)、勝川春章は北尾重政と共に『青楼美人合姿鏡(せいろうびじんあわせすがたかがみ)』を制作しました。
この作品は、当時の吉原遊郭における花魁の姿を描いた絵本で、実在の遊女を題材にしたと考えられていますが、モデルの特定はされていません。
吉原は、遊興の場としてだけでなく、文化や流行の発信地としても知られていました。春章と重政は、そうした華やかな世界を精緻な筆致で描き出し、当時の風俗や美意識を伝える作品として高い評価を受けました。
また、両者の共作としては、蚕の飼育を題材とした錦絵『かゐこやしない草』も知られており、風俗画や教訓的主題にも関心を寄せていたことがうかがえます。
美人画の名手

画像 : 「婦女風俗十二ヶ月図」のうち「五月(蛍火)」。春章筆。MOA美術館所蔵 public domain
春章は役者絵の名手として知られる一方で、美人画の分野でも優れた才能を発揮しました。
彼の美人画は、派手な装飾や過度な誇張を控え、繊細で上品な描写が特徴です。まるで本当にそこに女性がいるかのような、自然な美しさと気品が感じられます。
安永4年(1775年)に出版された洒落本『後編風俗通』には、「春章一幅価千金」と記されており、当時から春章の絵が非常に高く評価されていたことがわかります。ただし、この表現が指しているのは、現在確認されているような肉筆の美人画ではなく、錦絵の柱絵である可能性が高いとする説もあります。
代表作としては、MOA美術館が所蔵する三幅対の肉筆画「雪月花図」がよく知られています。

画像 : 「雪月花図」 春章筆。MOA美術館所蔵 public domain
また、春章の美人画には、宮川長春や宮川春水といった絵師の影響が見られるとも言われており、彼の画風の背景にはそうした系譜があると考えられています。
弟子たちが大活躍!あの北斎も門下生だった
春章のもとには、多くの弟子たちが集まりました。
その中でも特に知られているのが、勝川春好(かつかわ しゅんこう)、勝川春英(かつかわ しゅんえい)、勝川春潮(かつかわ しゅんちょう)といった絵師たちです。
そして、もっとも注目すべき存在が、勝川春朗(かつかわ しゅんろう)――のちの葛飾北斎です。
世界的に有名な『富嶽三十六景』の作者も、若いころに春章の門下で修行していたのです。

画像 : 冨嶽三十六景 public domain
春章のもとで浮世絵の基礎を学び、その後、自らの独自の画風を築き上げました。春章の指導がなければ、北斎の名作が世に出ることもなかったかもしれません。
おわりに
勝川春章は、写実的な役者絵という新しいスタイルを確立し、美人画の分野でも繊細で気品ある表現を生み出しました。そして彼のもとからは、葛飾北斎のような後世に名を残す大絵師も輩出されています。
なかでも、北尾重政と共に手がけた『青楼美人合姿鏡』は、吉原の華やかな世界をリアルに描いた作品として、現在でも高く評価されています。春章の作品は、今も多くの美術館に収蔵されており、江戸の風俗や文化を伝える貴重な資料となっています。
もし機会があれば、ぜひ実際に春章の作品をご覧になってみてください。江戸時代の粋と美意識に、きっと心を奪われることでしょう。
参考 :
* 稲垣進一 編『図説浮世絵入門』
* 神谷勝広「勝川春章伝記少考」『浮世絵芸術』第173巻
文 / 草の実堂編集部
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