江戸時代

徳川家康はなぜ長生きできたのか? 自家製秘薬「紫雪・烏犀円・万病丹」とは

江戸幕府初代将軍である徳川家康が、無類の健康マニアであったことは有名な話だ。

家康は、特に体に入れる物に対するこだわりが強かった。

天下を取り世に泰平が訪れて贅沢な生活ができるようになってからも、麦めしや豆味噌と旬の食材を用いた粗食を好み、真夏でも体を冷やさぬように冷たい飲食物を避けていた。

さらに肉や酒は少量を薬としてたしなみ、どんな食材も良く噛んで食べることと、腹八分目を常に心がけていたという。

画像:家康も愛読した『本草綱目』の金陵版(初版) public domain

家康がこだわっていたのは、食事だけではない。

幼い頃から薬草集めと薬の調合を趣味の1つとしていた家康は、医学や薬学に本職の医者よりも通じており、生薬を自ら調合して自分の体調不良時に服用するばかりか、病を患った身内や家臣にも自家製の薬を分け与えていたというのだ。

この記事では、徳川家康ゆかりの薬や、それぞれの薬にまつわる逸話に触れていく。

三代将軍徳川家光の命を救った薬 ~紫雪(しせつ)

画像 : 徳川家光像(金山寺蔵、岡山県立博物館寄託) public domain

家康の孫であり三代将軍となった家光は、幼少の頃から体が弱かった上に吃音があり、容姿も良くなかったとされる。

家康の幼名を与えられた世継ぎであったにもかかわらず、実の両親である秀忠と江の愛情は、家光の2歳下の弟である国千代にばかり注がれた。

両親からは十分な愛情を受けられなかった家光だったが、祖父の家康には可愛がられていた。

病弱な家光は3歳の頃に大病を患い生死の境をさまよったが、その窮地を救った薬こそ、病身の愛孫を見舞った家康が直々に処方した「紫雪」だったといわれる。

「紫雪」は解毒効果や解熱効果が期待できる練り薬であり、チフスやインフルエンザなどの高熱を伴う感染症、飲酒による頭痛やほてりなどの体調不良、吐血、消化不良など様々な疾患に効果があるとされた。

「羚羊角(サイガレイヨウの角)」や「硝石(硝酸カリウム)」など17種類の貴重な生薬を用いて作られ、元々は正倉院に秘蔵されていた幻の薬であり、その名の通り紫色で口に入れると雪のように溶けたという。

家光が家康の与えた「紫雪」に命を救われた出来事は、後に家光の乳母であった春日局が、日光東照宮に奉納した『東照大権現祝詞』に記されている。

家康は孫の家光だけでなく、自分の子である徳川義直にも、他の医師の処方を退け「紫雪」を与えた。
その結果、義直は見事に回復して家康は大層喜んだという。

この時の「紫雪」は、家康に信頼を置かれた医師、片山宗哲が作ったものだった。

家康亡き後も「紫雪」の製法は水戸徳川家や加賀藩に引き継がれ、製造が行われた。

今日では、次に解説する「烏犀円」とともに、加賀藩の秘薬・加賀三昧薬の1つとして知られている。

石川県立歴史博物館 薬種商看板「紫雪」
https://www.ishikawa-rekihaku.jp/collection/detail.php?cd=GI00052

家康の家康による家康のための秘薬 ~烏犀円(うさいえん)

画像:トリカブトの花 wiki c Kumaapr9

家康は我が子や孫だけでなく、自分が目をかけた家臣が病身となった時にも、自家製の調合役を与えたという。

その家臣の1人が、武田氏の旧家臣であり、武田家滅亡後に家康に仕えた大久保長安だ。

家康の下で日本全国の金銀山の統括、関東の交通網整備、一里塚の建設など、国の基盤を整えるための重要な公共事業を任されていた長安は、一時は「天下の総代官」と称されるほどに強大な権勢を誇った。

しかし晩年には不運が続き、68歳頃には中風(現代でいう脳卒中やその後遺症)に倒れてしまう。

長安はこの頃、すでに家康からの寵愛を失っていたものの、家康は長安が中風に倒れたという知らせを受けて、長安に「烏犀円」という薬を贈った。

この「烏犀円」は、家康が独自の研究により完成させた丸薬で、独自の加工が施された58種類もの生薬で構成されており、その中には附子(乾燥させたトリカブトの子根)や硫化水銀など、使い方を誤れば猛毒となる成分も含まれていたという。

水戸徳川家に譲られた家康の遺品からは「烏犀円」と書かれた薬壺が発見されている。

「烏犀」はクロサイの角を意味する語だが、その詳細な成分や製法は開発者である家康本人しか知らなかったとされており、加賀藩で製造された「烏犀円」や、佐賀藩で製造された「烏犀圓」とは、名は同じだが成分や効能が異なるとされる。

佐賀藩で唯一「烏犀圓」の製造が許された野中忠兵衛は、自社で製造した「野中烏犀圓」を1867年に行われたパリ万国博覧会に持ち込み、評判を呼んだという。

家康の寿命を縮めたかもしれない薬 ~万病丹(まんびょうたん)

画像:葛飾北斎 富嶽三十六景 信州諏訪湖。高島城が描かれている。家康に意見した侍医・片山宗哲は信州高島藩に配流された。 public domain

家康の死因といえば、鯛のてんぷらを食べ過ぎて食あたりを起こしたという説が、長らく信じられてきた。

しかし近年では、本当の死因は食あたりではなく、史実に残された病状から推測するに、胃がんだったのではないかと考えられている。

しかし、自らの薬学や医学の知識に誇りを持っていた家康は、自身の腹痛の原因は寄生虫(サナダムシ)であると考えて「万病丹」という自家製の調合薬を服用し、偶然にも一時回復したために、再び体調を崩してからも万病丹を服用し続けたという。

この家康特製の「万病丹」は万病に効く薬とされていたが、中味は水銀とヒ素を主成分とする劇薬だった。

徳川家の侍医であり、幼少時の家光のために「紫雪」を作った片山宗哲は、家康はその症状から診て胃がんであると診断して、効果があるどころか体調を悪化させる可能性がある「万病丹」の服用を控えるよう、家康に直接提言した。

しかし、これが薬学者としての家康のプライドを大いに傷つけて激怒させてしまい、宗哲は信州高島藩に配流されてしまう。

病に倒れた家康はみるみるうちに痩せていき、吐血や血便が続き、腹部にできた大きなシコリは表面から触れるほどだったという。
そして宗哲が胃がんの診断を下した翌月の4月17日に、当時としては長寿である73歳で、家康はその激動の生涯に幕を下した。

秀忠をはじめとする徳川家中の者たちは宗哲の診断が正しいと認識しており、宗哲は家康の死から2年後に秀忠に呼び戻されて再び江戸幕府に仕え、家光の急性疾患の治療にあたるなど、徳川家の侍医として活躍したという。

現代にも伝えられる家康ゆかりの漢方薬

画像 : 徳川家康肖像画 public domain

この記事では「紫雪」「烏犀円」「万病丹」という3種の薬について触れたが、その他にも滋養強壮剤として服用された「八味地黄丸」、出陣の際の熱中症対策用に笠の裏に隠して持ち歩かれた「御笠間薬」、「八味地黄丸」の処方にオリジナルアレンジを加えて調合した、老化防止や胃腸の調子を整える効果が期待できる「無比山薬円(通称:八之字)」など、多種多様な薬が家康ゆかりの漢方薬として知られている。

中でも「八味地黄丸(はちみじおうがん)」は、現代でもドラッグストア等で購入できる一般的な漢方薬だ。

家康は晩年を過ごした駿府に約4300坪の広大な薬園を造り、薬の原料となる様々な草木を生育させて、多忙な中でも日々の健康習慣を怠らず、薬の研究にも没頭したという。

久能山東照宮博物館には、家康が使っていたとされる調薬の道具や、実際に家康が調合したと伝わる薬も残されている。東照大権現の本地仏が薬師如来となったのも、この家康の健康志向に由来してのことである。

家康が豊臣家を滅ぼして天下を取れたのは、彼が無類の健康マニアだったからこその長寿が要因であったともされている。

最期の最期には診断を誤ってしまったが、それでも彼の健康志向が後の200年以上にわたる天下泰平の世の礎や、日本における医療の発展の基礎を築いたといえるだろう。

参考 :
山崎 光夫 (著)『我に秘薬あり 家康の天下取りと正倉院の名薬「紫雪」』
篠田 達明 (著)『徳川将軍家十五代のカルテ
文 / 北森詩乃 校正 / 草の実堂編集部

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