江戸時代

犬公方・徳川綱吉は本当に暴君だったのか? 【後編】

「生類憐れみの令」発布のいきさつ

今回は前編に引き続いて後編である。

綱吉には徳松という跡継ぎの男子がいたが5歳で病死してしまった。その後、綱吉には世継ぎができなかった。

それを綱吉以上に心配したのが生母・桂昌院であった。

犬公方・徳川綱吉は本当に暴君だったのか?

画像 : 綱吉の母・桂昌院

仏教に深く帰依していた桂昌院は、真言宗の僧侶・隆光を信頼していた。

生類憐れみの令は、この隆光が桂昌院に

「世継ぎができないのは綱吉様が前世で多くの殺生を行っていた報いであり、世継ぎを授かるには殺生を禁じられるのがよいでしょう」
「綱吉様は犬年生まれなので、特に犬を大事にするように」

と勧めたために発布されたというのが今までの通説だった。

しかし隆光が江戸に滞在するようになった以前から「生類憐みの令」が発布されていたため、近年は疑問視されている。

江戸幕府ができて約80年、当時戦乱はなくなっていたが、まだ刀の試し斬りなど殺伐さは残っていた。戦で名を挙げることができなくなった旗本や御家人たちは、行き場の無さから派手な身なりで町に出ては乱暴・狼藉を働き、治安を悪化させていたのである。

そんな彼らは「傾奇者(かぶきもの)」と呼ばれ、傾奇者たちが好んで食べていたのがであった。彼らからすると犬は金のかからない食糧だったのである。
そして綱吉は犬の保護を名目に「傾奇者を検挙しよう」と治安維持を考えた。

また、当時は害鳥駆除のため鉄砲が普及していた。

綱吉は人々が武装し簡単に蜂起できる状況に危機感を覚えて鉄砲の取り締まりを行い、自衛目的で所持していた各藩からも取り上げたのだ。

「生類憐みの令」で生き物を保護したのは、実は治安を守り、鉄砲を必要としない安心安全な社会作りの一環政策でもあった。

綱吉の政治

犬公方・徳川綱吉は本当に暴君だったのか?

画像 : 湯島聖堂 wiki c 江戸村のとくぞう

綱吉は湯島聖堂を作って学問の整備拡充に寄与した。儒学を奨励し、この場所で自ら講義を行い、幕臣のみならず町民にも開放している。

さらに綱吉は武家諸法度を改定し、捨て子が多かった江戸で里親になれば3両を与えるという施策を打ち出した。
それを悪用する者もいたが、綱吉は何度も捨て子禁止令を出し続け、今で言う戸籍を作って捨て子の削減に尽力した。
「生類憐みの令」は子供や生き物を大事にし、弱者に対する福祉政策も担っていた。

この福祉政策は世界に先駆けるものであり、綱吉は人命や生き物を大切にする平和な世の中を築こうとしていたのである。

綱吉の治世下は近松門左衛門、井原西鶴松尾芭蕉といった文化人を生んだ元禄期であり、好景気だったことから優れた経済政策を執っていたと評価もされている。

側用人の創設

綱吉は人事改革にも着手し、老中と将軍との間を取り持つ「側用人(そばようにん)」を創設した。
綱吉は生まれながらの将軍ではなかったために、江戸城内に側近が必要だったのである。

その後、綱吉を将軍に推した老中・堀田正俊が暗殺されてしまう事件が起きる。

そこで綱吉は、将軍になる前から自分に仕えていて信頼できる牧野成貞(まきのなりさだ)や柳沢吉保(やなぎさわよしやす)を側用人として重用した。
それまで将軍の意向は直接老中に伝えられていたが、側用人が間に入ったことで老中たちは直に将軍に意見ができなくなった。

犬公方・徳川綱吉は本当に暴君だったのか?

画像 : 柳沢吉保 wiki c

将軍の意志は側用人から老中に伝わるトップダウン政治となり、綱吉は手向かう幕閣の実力者を退け、独裁体制を築いたのである。

その後、柳沢吉保はたった500石の舘林藩士から甲府藩22万石の大名にまで出世している。

公共事業の整備

綱吉は寺社の造営や修復に力を注ぎ、その普請料は将軍就任後10年で4倍以上になり、幕府財政は赤字に陥った。
幕府財政を悪化させるまで寺社の造営等を続けた理由は母・桂昌院にあった。

綱吉は桂昌院に対して異常なまでに従順で、将軍に就任してからも度々桂昌院のもとを訪れ、様々な助言を求めていたという。

その関係は「将軍を動かすには桂昌院を動かすことがより大切である」と人々に言わせたほどで、今で言う「マザコン」のように見えるが、綱吉は儒教の教えの「」をとても大切にしていた。

「孝」の寺社造営は結果的に公共事業となり、綱吉は街道整備や農業生産の向上を行い、商業が発展して元禄時代の好景気を生みだした。そして紀伊国屋文左衛門奈良屋茂左衛門という豪商も誕生した。

綱吉の治世の半分以上は好景気であり、後に江戸の人口が100万人を越える礎となり、文化や芸術も発展していった。

だが綱吉の治世の晩年には「奥州の飢饉、勅額の大火、元禄地震、浅間山の噴火、宝永地震、富士山の噴火」など天変地異が起き、その復興費用で幕府財政が悪化し、綱吉の治世の評価は低くなっているのである。

おわりに

天下の悪法と呼ばれた「生類憐みの令」は、社会福祉行政の先駆けで人命や生き物を大切にする法令であった。

綱吉と仲が良くなかった6代将軍・家宣に仕えた新井白石が「天下の悪法」としたことがイメージ悪化の大きな要因である。しかし実際に処罰されたのは69件で、ほとんどが町民ではなく下級武士であり、殺害されたのは13人だった。

また、綱吉の評価はTVドラマによるところも多く、綱吉が出る「忠臣蔵」「水戸黄門」「大奥」などで評価を低く描いていることも少なからず影響している。

多少のマザコンはあったとしても江戸の町の治安を守り、江戸幕府初期の好景気を招いた綱吉は、イメージしていた暴君ではなかったと言えそうだ。

関連記事 : 犬公方・徳川綱吉は本当に暴君だったのか? 【前編】

 

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日本史(主に戦国時代、江戸時代)専門。

コメント

  1. アバター
    • 名無しさん
    • 2022年 7月 23日 4:16am

    前編と後編で筆者が違うみたいだが?

    1
    0
    • アバター

      修正させていただきました!

      0
      0
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