2025年5月、中国・上海市の裁判所は、50代の日本人男性に対し「スパイ活動」を行ったとして懲役12年の実刑判決を言い渡した。
これを受けて、中国外務省の林剣副報道局長は、日本政府に対し、在留邦人が中国の法律を順守し、当局が「犯罪行為」と見なすような行動を取らないよう指導するよう求めた。
この事件と発言は、中国における日本人拘束問題の深刻さを改めて浮き彫りにし、今後の邦人拘束リスクが一層高まる可能性を示唆している。
事件の概要と背景

画像 : 中国国旗 public domain
この日本人男性は、2021年12月に上海市内で中国当局に拘束され、2022年6月に逮捕、2023年8月に起訴されていた。
裁判では「スパイ活動」を理由に懲役12年の判決が下され、在上海日本総領事館が傍聴したが、判決の詳細は公表されていない。
中国では2014年に制定された反スパイ法のもと、スパイ行為の定義が曖昧で、国家安全を理由に広範な行為が摘発対象となり得る。
この男性の具体的な「スパイ活動」の内容は不明だが、過去の類似ケースでは、ビジネスや学術活動中の情報収集や接触が、当局にスパイ行為とみなされた例が散見される。
近年、中国は国家安全を重視する習近平政権下で、反スパイ法を2023年7月に改正し、取り締まりをさらに強化。
外国人への監視が厳格化する中、日本人を含む外国人が拘束される事例が増加している。
増える邦人拘束とその特徴
中国での邦人拘束は、この事件に限らず、近年急増している。
2023年時点で少なくとも17人の日本人が拘束され、10人以上が実刑判決を受けたとされる。
特に2019年以降、湖南省や北京市でも同様のスパイ容疑で50代の日本人男性が懲役6~12年の判決を受けており、介護関連や企業幹部など、通常の職業に従事していた市民が標的となっている点が特徴的だ。
これらのケースでは、裁判が非公開で行われ、容疑の詳細が明らかにされないことが多く、被告側に十分な弁護の機会が与えられていないとの批判もある。
中国当局は「国家安全」を盾に、企業活動や日常的な情報収集すらスパイ行為とみなす傾向を強めており、邦人にとって安全な活動範囲が急速に狭まっている。
中国外務省の発言が示す危機

画像 : 林剣副報道局長 CC BY 3.0
林剣副報道局長の発言は、日本側に責任を転嫁する形で、中国の法執行の正当性を強調するものだ。
この発言は、在留邦人や日本企業に対し、さらなる自己規制と慎重な行動を求める圧力と解釈できる。
中国政府は、反スパイ法の適用を通じて、外国人への監視と統制を強化する姿勢を明確にしており、林氏の発言は「スパイ」の定義の曖昧さを逆手に取った警告とも言える。
日本人がビジネスや観光で中国に滞在する際、些細な行動—例えば、公開情報を収集したり、地元関係者と会食したりするだけで—当局の疑いを招くリスクが高まっている。
この状況は、邦人が知らず知らずのうちに「犯罪」に巻き込まれる可能性を増大させ、拘束リスクを日常的な脅威として現実化させている。
日本政府と企業の直面する課題

画像 : 上から時計回り: 北京商務中心区、八達嶺長城、天壇、中国国家大劇院、北京国家体育場、天安門 public domain
日本政府は、これまで邦人拘束に対し、早期釈放を求める外交交渉を続けてきたが、成果は限定的だ。
在上海日本総領事館や北京の日本大使館は、拘束者の面会や情報開示を求めてきたが、中国当局の不透明な対応に直面している。
外務省は海外安全情報を更新し、中国への渡航者に注意を促しているが、具体的な危険情報指定の強化には至っていない。
一方、日本企業は中国での事業継続を迫られる中、社員の安全確保が喫緊の課題となっている。
アステラス製薬など、中国で拘束された社員を抱える企業への批判も高まっており、企業活動のリスク管理が一層複雑化している。
ネット上では「日本企業は中国から撤退すべき」との声も強く、経済的利益と安全保障のトレードオフが浮き彫りになっている。
今後の邦人拘束リスクと日中関係への影響
この事件と中国外務省の発言は、今後の邦人拘束リスクがさらに高まることを示唆する。
中国の国家安全優先の方針は、米中対立や日中間の緊張を背景に、一層強化される可能性が高い。スパイ容疑での拘束は、外交カードとして利用される側面もあり、日中関係が悪化するたびに邦人が標的となるリスクが増す。
特に、2025年は地政学的な緊張が高まる時期と重なり、中国当局の監視がさらに厳格化する恐れがある。
在留邦人や出張者にとって、日常的な行動が「スパイ行為」とみなされる危険はもはや現実的な脅威であり、企業や個人の自己防衛策だけでは限界がある。
日本政府は、邦人保護を強化するため、危険情報の明確化や企業への渡航指導の徹底が急務だ。
しかし、中国との経済的結びつきを考慮すると、強硬な対応は難しい側面もある。結果として、邦人は不透明な法環境下で身を守るための具体的な指針が不足したまま、拘束リスクに晒され続ける。
この状況は、日本人の中国への渡航意欲を冷やし、企業活動の縮小を加速させる可能性がある。
日中関係においても、相互不信が深まり、経済や文化交流に長期的な悪影響を及ぼす恐れもある。
中国上海市での日本人男性の懲役12年判決と、それを受けた中国外務省の強硬な発言は、邦人拘束の危機が日常化しつつあることを示している。
曖昧な運用と厳格な監視体制の下、邦人は知らずに「スパイ」とみなされる危険に直面しており、このリスクは今後さらに増大する可能性が高いだろう。
日本政府と企業は、邦人保護のための実効性ある対策を急ぐべきだが、外交的制約の中で解決策を見出すのは容易ではない。
林剣氏の発言は、中国の法執行が邦人にとって予測不可能かつ危険なものであることを改めて警告するものであり、在留邦人や渡航者は極めて慎重な行動が求められる。
この問題は、単なる個別の事件を超え、日中間の信頼関係と邦人の安全に深刻な影を落としている。
文 / エックスレバン 校正 / 草の実堂編集部
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