神話、伝説

出会うと不幸に見舞われる?イギリスで語り継がれる「黒い犬」伝説

画像 : 犬の放し飼いは多くの自治体で禁止されている illstAC cc0

犬は古来より人類の伴侶であり、狩猟や番犬として人間社会に深く関わってきた動物である。

しかし本来、犬はオオカミを家畜化した動物であり、その野生的な本能が完全に消えたわけではない。
躾が不十分であれば、人に危害を加える危険もある動物であることは否定できない。

こうした犬は、神話や伝承においてもしばしば恐るべき猛獣として描かれてきた。

今回は、イギリス各地に伝わる「黒い犬(Black Dog)」の伝説について紹介する。

黒い犬(Black Dog)とは

画像 : 黒い犬のイメージ public domain

黒い犬(Black Dog)は、イギリス各地に伝わる妖怪的存在であり、その伝承は地域によって大きく異なる。

一般的には、黒い犬は異常に大きな体と、赤あるいは黄色の目を持ち、十字路や廃墟、墓地などの陰鬱な場所に現れるとされる。
また、一部の伝承では、黒い犬の出現時には硫黄のような臭いが漂うとされている。

黒い犬を目撃した者は不幸に見舞われ、時には死の前兆とされることもある。

さらに、伝承によっては目撃者に襲いかかり命を奪う場合もあるが、一方で旅人を導いたり危険から守る「守護的な黒犬」も存在する。

その起源については諸説あるが、一説によれば、各地に残る犬に関する神話や伝承が融合し「黒い犬」が形成されたと考えられている。

画像 : ケルベロス ウィリアム・ブレイク作 public domain

ギリシャ神話に登場する三つ首の犬ケルベロス(Cerberus)、北欧神話に登場するガルム(Garm)、ケルト神話のドアマース(Dormarch)、ウェールズのクーン・アンヌーン(Cwn Annwn)など、ヨーロッパに伝わる犬妖怪の伝説は枚挙にいとまがない。

これらに共通する特徴として、冥界や地獄などの、いわゆる「死者の世界の番犬」であるという点がある。

死者の世界は、一般的に陰鬱で荒涼とした場所であると考えられており、そこに棲むこれらの犬もまた、血に飢えた獰猛な怪物として解釈されてきた。

こうした伝説上の猛犬のイメージが長い歴史の中で変容し、「黒い犬」という伝承として定着したと考える研究者も少なくない。

主な伝承

画像 : バスカヴィル家の犬 public domain

14世紀頃、デヴォン州のダートムーアと呼ばれる湿地帯で「黒い犬」の目撃談が記録されており、これが現存する最古の伝承とされている。

ダートムーアには古来より多種多様な黒い犬の言い伝えが残されており、まさに黒い犬伝承の中心地ともいえる地域である。

この地で語られる黒い犬は「Wisht Hound」や「Yeth Hound」と呼ばれ、特にYeth Houndは首のない悍ましい姿をしているとされる。その正体は、洗礼を受けずに亡くなった子供の霊であるという。

また、ダートムーアにはかつてリチャード・キャベル(1677年没)という人物が住んでいたと伝えられている。

彼は「悪魔に魂を売り渡した」と噂されるほど残虐な性格だったとされ、死後は亡霊となって黒い犬の群れを率い、荒野を駆け巡ると恐れられた。

この伝承は、後にアーサー・コナン・ドイル(1859~1930年)が1901年に発表した名作推理小説『バスカヴィル家の犬』の着想源のひとつとなったとされている。

1577年、サフォーク州のバンゲイの町に現れた黒い犬は「Black Shuck」と呼ばれる。

画像 : サフォーク州に現れたBlack Shuckの図 public domain

この犬は落雷とともにセント・メアリー教会に現れ、信者たちを死傷させたと伝えられている。

さらに同日、約19km離れたブライスバラ村のホーリー・トリニティ教会にも姿を現し、再び人々を襲ったとされる。

この伝説は、実際に当時の教会で発生した落雷事故を誇張したものと考えられているが、現在もホーリー・トリニティ教会には「Black Shuckの爪痕」とされる焼痕が残っている。

黒い犬の亜種たち

先述したように、「黒い犬」の伝承には地域ごとの違いが大きく、各地にはさまざまな「ご当地ブラックドッグ」の言い伝えが残されている。

ここではその中から、代表的なものをいくつか紹介する。

画像 : イギリス原産のオールド・イングリッシュ・シープドッグ。ヘアリージャック伝承の「毛むくじゃらの黒犬」を想像する際に近いとされる姿 public domain

まずリンカンシャー州で語られるのが、ヘアリージャック(Hairy Jack)と呼ばれる黒い犬の伝承である。
その名は「毛むくじゃらの犬」を意味し、体の大きさは子牛ほどもあるという。

民俗学者エセル・ラドキン(1893~1985年)が、1938年に発表した論文にその存在が言及されており、同州全域で目撃談が残されている。

ラドキン自身も「実際に見た」と証言しているが、人を襲うことはなかったと述べている。
一方で別の伝承では、人気のない道で通行人を驚かすなど、やや不気味な存在とされる場合もある。

温厚な黒い犬として知られるのが、サマセット州に伝わるガート・ドッグ(Gurt Dog)である。

この犬は人間を襲うことも不幸をもたらすこともなく、むしろ悪しき存在から旅人や子供を守ると信じられてきた。

そのため地域の大人たちは「ガート・ドッグが守ってくれる」と考え、子供を安心して丘や野外で遊ばせていたという。

画像 : イギリス原産のイングリッシュ・マスティフ wiki c Radovan Rohovsky

ウェールズには、グウィルギ(Gwyllgi)と呼ばれる黒い犬の伝承がある。

その姿はオオカミやマスティフに似た大型犬とされ、赤い目を持つと伝えられている。

19世紀頃、ある男が家路につく途中で後ろからグウィルギがついてくることに気づき、恐怖のあまり身動きが取れなくなった。

しかし勇気を振り絞って振り返ると、グウィルギの姿は跡形もなく消えていたという。

このように時代が変わっても、黒い犬の物語は地域ごとの伝承として語り継がれ、人々の想像力を刺激し続けている。

参考 :『バスカヴィル家の犬』『A Straunge and Terrible Wunder』『Folklore』他
文 / 草の実堂編集部

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草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子。
編集、校正、ライティングでは古代中国史専門。『史記』『戦国策』『正史三国志』『漢書』『資治通鑑』など古代中国の史料をもとに史実に沿った記事を執筆。

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