中国史

古代中国の女性にとって最も屈辱的だった「恥ずかしい」刑罰とは

古代中国の女性たちは、現代の私たちが想像するよりもはるかに厳しい社会的制約の中で生きていた。

特に漢〜三国時代頃から儒教の影響が色濃くなり、徐々に女性への束縛が厳しくなっていった。

男性中心の封建社会では、女性の役割は家族の名誉を守り、貞節を保つことが最も重要とされ、その人生は「父に従い、夫に従い、子に従う」という一連の従属関係に縛られていた。

しかし、こうした社会規範を外れたり、法律に触れたりした場合、女性たちは容赦ない刑罰の対象となることがあった。
その中でも「杖刑(じょうけい)」は、刑としては重くなかったが、精神的な屈辱を伴う刑罰として、女性にとって極めて過酷だったという。

杖刑を受けることで、女性の名誉は完全に失墜し、社会的な死を宣告されたも同然だったのだ。

なぜ杖刑は、当時の女性にとってこれほど過酷だったのだろうか。

杖刑とは

画像 : 杖刑 イメージ Copyright © 2012 Research Institute for Oriental Cultures Gakushuin University. All Rights Reserved

杖刑(じょうけい)とは、罪を犯した者の背中や臀部を、杖や竹板で叩く刑罰である。

いわゆる「お尻ぺんぺん」だ。

中国には古代から「五刑制度」というものがあり、国や民族、時代によって5つの刑罰の中身は様々である。共通して言えるのはどの時代においても最も重い刑罰は「死刑」ということである。

杖刑の歴史は古く、前漢時代にはすでに存在していたとされる。基本的には命には別状がないことから、どの時代においても最も軽い部類の刑罰である。

隋唐時代以降、杖刑は五刑の一つとして正式に制度化され、軽犯罪に適用された。
打たれる回数も、罪の重さに応じて決まっていた。

例えば、唐代の歴史家・杜佑(とゆう)によって編纂された歴史書『通典』には、以下のように回数が記されている。

其制罪:一曰杖刑五,自十至五十。
意訳 :
杖刑には五段階があり、10回から50回の打撃が科される。
出典:『通典』「刑法二」

明代では3尺5寸(約1メートル)、清代では5尺5寸(約1.8メートル)の竹板が使用されるなど、時代によって道具にも変化があった。

また、杖刑は単に犯罪者を罰するだけでなく、社会全体への警告としての役割も担っていた。

罪を犯した者を公衆の面前で罰することで、他者への教訓とする意図があったのだ。
そのため、社会的な羞恥心を与える公開刑でもあった。

これが男性ならまだしも、女性であればどうだろうか。

女性にとって耐え難い屈辱

画像 : 杖刑イメージ 草の実堂作成

女性にとって、杖刑は名誉や社会的地位を一瞬にして失わせるものだった。

刑罰としては軽いとはいえ、執行される際には衣服を脱がされ、臀部を晒さなければならなかったのである。

さらに公衆の面前で執行されることから、「貞操」を重んじる古代の価値観においては最も耐え難い屈辱であった。
杖刑を受けた女性は、その後も社会からの侮蔑や孤立に苦しむことが多く、自ら命を絶つ者も少なくなかったという。

また、杖刑の影響は受刑者本人にとどまらず、家族や地域社会全体にも広がった。

女性が杖刑を受けることは、家族全体の名誉を汚す行為とみなされ、家族が社会から孤立することもあった。そのため、家族が受刑者を事実上追放するケースや、家族内での関係が崩壊する事例も見られた。

女性受刑者は単なる犯罪者としてではなく、社会的な「恥さらし」として扱われたのである。

経済的格差と男女の差

また、杖刑の執行には経済的な格差も大きく影響していた。

画像 : 賄賂イメージ 草の実堂作成

清代の『獄中雑記』には、賄賂や贖金によって刑罰が軽減、または回避された具体的な例が記されており、裕福な者は軽い打撃で済ませられた一方、貧しい者は過酷な打撃を受け、深刻な後遺症や死に至ることもあったという。

一方で、一部の男性にとっては、杖刑が「名誉」とされる場合もあった。
特に直言を行う官僚たちは、皇帝の怒りを買い、杖刑を受けることで「忠臣」としての名声を得ることができたからである。

あえて、厳しい刑罰を受けることで忠誠心が証明され、民間からも高い評価を得ることがあったのだ。
女性の例とは真逆である。

このように、杖刑は「平等」という観点においても多くの問題を抱えていた。

終わりに

杖刑は長い歴史の中で、罪に応じて科される刑罰として、法制度の一部を担っていた。

しかし女性に適用される場合、単なる罰にとどまらず、実質的には名誉や人生を根底から揺るがすものであった。公衆の面前で屈辱を受ける杖刑は、女性にとって耐え難いものであり、その影響は生涯にわたったのだ。

杖刑は清朝末期になると廃止された。
社会が進化し、人々の価値観が変化する中で、人権を侵害する行為として認識されるようになったからである。

杖刑の歴史は、単なる刑罰の記録ではなく、人間の尊厳や平等の意味を深く考えさせるものといえるだろう。

参考 : 『通典』『獄中雑記』『文化杂谈』他
文 / 草の実堂編集部

アバター

草の実堂編集部

投稿者の記事一覧

草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子。
編集、校正、ライティングでは古代中国史専門。『史記』『戦国策』『正史三国志』『漢書』『資治通鑑』など古代中国の史料をもとに史実に沿った記事を執筆。

✅ 草の実堂の記事がデジタルボイスで聴けるようになりました!(随時更新中)

Audible で聴く
Youtube で聴く
Spotify で聴く
Amazon music で聴く

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事

  1. 中国史上、最も悲惨な最後を迎えた宦官・劉瑾 【絶命するまで2日が…
  2. なぜ明治時代に「人物を祀る神社」が急増したのか?政府の狙いと選ば…
  3. 『カバの被害は年間500人以上?』意外と凶暴なカバにまつわる神話…
  4. 京都の「裏」を探索! 〜西陣に残る不思議な伝承と庶民信仰の寺社た…
  5. 『密着型ブルマー』は、なぜ普及し消滅したのか?「1990年代に消…
  6. 【光る君へ】 道長の五男・藤原教通(吉田隼)とはどんな人物?その…
  7. 奈良市内で囁かれる都市伝説「長屋王の祟り」 ~その歴史的背景とは…
  8. 「中国で発見された最も古く高い銅像」 青銅大立人とは ~三星堆遺…

カテゴリー

新着記事

おすすめ記事

暴君誕生【漫画~キヒロの青春】67

最低な男【漫画~キヒロの青春】68へバック・ナンバーはこちら第一話から読む…

【いわき市の歴史と共に】 太平洋・島サミットの会場にもなった「ハワイアンズ」

「フラガール」という映画を覚えていらっしゃいますか?「フラガール」の映画の舞台となっ…

「槍の又兵衛」と呼ばれた高田又兵衛「宮本武蔵も認めた宝蔵院槍術の達人」

高田又兵衛とは高田又兵衛(たかたまたべえ)とは「槍の宝蔵院」と謳われた宝蔵院流槍術を伝承…

実は江戸時代から存在していた「大食い」とその秘密 【痩せの大食いはなぜ太らないのか】

テレビでは昔から「大食い」の人たちを扱う番組がある。常に人々の注目を集めて人気を博しているが…

黒人差別はどのようにして始まったのか?

ジョージ・フロイドさん暴行死事件記憶に新しい読者も多くいることだろう。2020年…

アーカイブ

PAGE TOP