光る君へ

【光る君へ】 道長の五男・藤原教通(吉田隼)とはどんな人物?その生涯をたどる

道長の五男
藤原 教通(ふじわらののりみち) 吉田 隼(よしだ・はやと)

藤原道長の五男。母は源倫子。

※NHK大河ドラマ「光る君へ」公式サイトより。

藤原道長と、正室・源倫子の間には、四女二男が誕生しました。

・長女:藤原彰子(しょうし/あきこ。一条天皇中宮)
・長男:藤原頼通(よりみち)
・次女:藤原妍子(けんし/きよこ。三条天皇中宮)
・四女:藤原威子(いし/たけこ。後一条天皇中宮)
・五男:藤原教通(のりみち)
・六女:藤原嬉子(きし/よしこ。後朱雀天皇春宮妃)

※次男の藤原頼宗・三男の藤原顕信・四男の藤原能信・三女の藤原寛子・五女の藤原尊子・六男の藤原長家は側室の源明子が、七男の長信(僧侶)は源重光女が生んでいます。

今回は、道長の五男である藤原教通(のりみち)について紹介。果たしてどんな人物だったのでしょうか。

道長の七光りでスピード出世

若き日の藤原教通(イメージ)

藤原教通は、長徳2年(996年)6月7日に誕生しました。

寛弘3年(1006年)に11歳で元服し、正五位下に叙されると共に、侍従となります。

後に、兵衛佐(ひょうゑのすけ)、近衛少将(このゑのしょうしょう)・近衛中将(~ちゅうじょう)を歴任した後、寛弘7年(1010年)に従三位と昇りました。

これによって教通は兄の頼通と同じく、15歳の若さで公卿に列したのです。

翌寛弘8年(1011年)に正三位に昇り、長和2年(1013年)には従二位・権中納言(ごんのちゅうなごん)となりました。

腹違いの兄・藤原頼宗(よりむね。母親は源明子)を飛び越えての人事です。

長和4年(1015年)に正二位、寛仁3年(1019年)には、権大納言(ごんのだいなごん)と急速に昇進していきました。

この時に中納言であった藤原行成(ゆきなり)や、藤原隆家(たかいえ)を飛び越えています。

そして、寛仁5年(1021年)に左大臣であった藤原顕光(あきみつ)が薨去すると、教通は内大臣(ないだいじん)に昇進しました。

この時に、大納言であった藤原斉信(ただのぶ)と、権大納言の藤原公任(きんとう)を飛び越えています。

永年仕えた能臣たちより、自分の嫡男を依怙贔屓する道長の専横に、周囲の者たしちは不満を募らせたのではないでしょうか。

なお、この昇進に際して道長から打診を受けた時、教通は「まずは大納言の藤原実資を右大臣に昇進させ、自分はその下で薫陶を受けたい」旨を答えています。

もしかしたら、自分より上に実資を置き、積極的にその下につくことで周囲の攻撃を和らげたかったのかも知れません。

失敗に終わった入内作戦

生子の入内騒ぎに動揺が走る(イメージ)

かくして内大臣となった教通は、後宮対策に着手。

長元3年(1030年)に、後一条天皇(敦成親王)へ、長女の藤原生子(せいし/なりこ)を入内させようと図りました。

しかし、既に後一条天皇の中宮となっていた実姉の藤原威子が、里下り(ボイコット)する姿勢を見せ、母の源倫子や実兄の藤原頼通からも反対されたため、入内を断念しています。

それでも教通は生子の入内を諦めず、後に後朱雀天皇(敦良親王。後一条天皇の実弟)へ入内させました。

この時ばかりは、頼通の反対や妨害を押し切って強行したそうです。

後朱雀天皇と生子は仲睦まじく、入内は成功かと思われたものの、結局皇子は生まれずじまい。後朱雀天皇は生子の立后を望んだものの、頼通の反対により頓挫しました。

次代の後冷泉天皇(親仁親王。後朱雀天皇の第一皇子)が即位すると、教通は永承2年(1047年)頼通に先んじて、娘の藤原歓子(かんし/よしこ)を入内させます。

果たして待望の皇子を出産したものの同日死亡。心身を病んでしまった歓子は永承6年(1051年)ごろから引きこもりがちになってしまい、教通の野望は又しても頓挫してしまいました。

忍従の末、とうとう念願の関白に

娘を入内させ、皇室の外戚として権力を握る作戦が失敗に終わると、教通はひたすら頼通への忍従に方針転換します。

何かにつけて頼通に媚びへつらう姿は卑屈と言ってもよく、心ある人々はこれを快く思いませんでした。

極めつけは、頼通が太政大臣(だいじょうだいじん)に昇進した際、左大臣となっていた教通はひざまづいて祝意を示したのです。

さすがに見かねた異母兄の藤原能信(よしのぶ)が、意見しました。

「仮にも大臣ともあろう者が、そこまでヘイコラするのはどうだろうか」

しかし教通は悪びれることなく、逆に言い返したそうです。

「私は亡き父上から『頼通を父と思って従え』と遺言されたのだ。頼通が父であるならば、ひざまづいて拝礼することに何の支障があるだろうか」

いや、そういう事ではないのですが……教通は続けて言いました。

「もっとも庶兄上(能信)は、父上からそのような遺言を預かりもしなかったであろうが」

側室の子であるお前たちに、関白の座を狙える立場にある嫡子(正室の子)の心は理解できまい。

関白になれるのなら、何だってしてみせる。そんな心意気?が語られたそうです。

じっさい能信は権大納言どまりでした。

かくして卑屈なまでの忍従を経て、教通は康平7年(1064年)、頼通から藤氏長者を譲られたのです。

藤氏長者(とうしちょうじゃ)とは藤原一族の筆頭であり、ここまでくれば関白まではあと一歩と言えます。

頼通は、関白職を実子である右大臣の藤原師実(もろざね)に譲ろうとしていましたが、藤原彰子が道長の遺言を理由にこれを阻止。

しばらく関白が空位となるも、治暦4年(1068年)4月16日にとうとう教通が関白となったのです。

教通はこの時すでに73歳。いつ死んでもおかしくない年代ですが、永年の苦労がついに実ったのでした。

なお、翌4月17日に娘の歓子が皇后となっています(当人とすれば、今さらどうでもよかったかもしれませんが)。

エピローグ

こうして念願の関白となった教通は、承保2年(1075年)9月25日、80歳で薨去しました。

教通の後継者となった藤原信長(のぶなが)は太政大臣まで昇ったものの、頼通の子である藤原師実との政争に敗れてしまいます。

その子孫は次第に没落していき、摂関政治の時代から院政の時代へと移り代わっていくのでした。

【参考】藤原教通の家族

藤原教通(イメージ)

・父親:藤原道長
・母親:源倫子
・兄弟姉妹:割愛
・正室:藤原公任女(実名不詳)
→長女:藤原生子(後朱雀天皇女御)
→次女:藤原真子(しんし/まさこ。尚侍)
→長男:藤原信家(のぶいえ)
→次男:藤原通基(みちもと)
→三女:藤原歓子(後冷泉天皇皇后)
→三男:藤原信長(後継者)
→四男:静覚(じょうがく。僧侶)

・継室:禔子内親王(ていし/ただこ。三条天皇皇女)
→子女なし
・継々室:嫥子女王(せんし/よしこ。具平親王三女、元伊勢斎宮)
→子女なし
・妾:小式部内侍(こしきぶのないし。橘道貞&和泉式部女)
→五男:静円(じょうえん。僧侶)
・生母不詳の庶子
→女子(光円法師母。藤原経家室)

終わりに

今回は、藤原道長の五男・藤原教通についてその生涯をたどってきました。

NHK大河ドラマ「光る君へ」は父の道長が亡くなる万寿4年(1027年)ごろに終わるであろうため、教通は青年時代までしか描かれないでしょう。

果たしてどんな活躍を見せてくれるのか、今から楽しみですね。

※参考文献:
・『日本史事典』旺文社、2000年10月
・朧谷寿『藤原道長 男は妻がらなり』ミネルヴァ書房、2007年5月
・北山茂夫『藤原道長』岩波新書、1970年9月
文 / 角田晶生(つのだ あきお) 校正 / 草の実堂編集部

角田晶生(つのだ あきお)

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