NHK朝ドラ「ばけばけ」第65回で、ついにお互い心を通わせたトキとヘブン。
宍道湖の夕陽を背景に、二人が手をつなぐシーンは感動的でした。
史実では、セツとハーンがいつ正式に結ばれたのかは明らかではありません。
しかし、明治24年2月にセツが女中としてハーンの家で働き始め、同年8月には新婚旅行のような旅に出ていることから、この期間に二人の関係が深まったと考えられています。
中学校の夏休みを利用して旅に出た二人を待ち受けていたのは、欧米人を一目見ようと押し寄せる野次馬たちでした。
当時、都市部では外国人への物珍しさは薄れつつありましたが、地方では依然として珍しく、大勢の見物人が集まって騒ぎになることも少なくありませんでした。
ハーンとセツが遭遇した野次馬の迷惑行為とは、どのようなものだったのでしょうか?
結婚報告を兼ねた杵築への旅

画像 : 出雲大社 拝殿 wiki c Saigen Jiro
明治24年の夏、ハーンは英語教師を務める中学校の夏休みを利用した長期旅行を計画しました。
7月26日から西田千太郎とともに杵築(現在の島根県出雲市)を訪れ、2日後にはセツが合流します。
旅行中、三人は出雲大社を参詣し、宮司の千家家に招かれました。
千家邸では、盆踊りが好きなハーンのために大勢の人を集めて豊年踊りが披露され、ハーンは終始ご機嫌で、大酒を飲み、夜中の2時まで踊りを楽しみました。
また、この旅ではセツの親類縁者の家も訪れています。
ハーンが日本国籍を取得し、正式に結婚するのは5年後のことですが、この時点で二人は事実婚として夫婦同然の生活を始めていました。
そのため、夫婦となったことを西田の通訳を通じて親族に報告したのかもしれません。
すでにセツはハーンを「あなた」と呼んでいました。
一方のハーンは、セツを人力車から「お姫様抱っこ」をして下ろすという、当時の日本男性にはありえない紳士的振舞いを見せ、目撃した宿の女中は後々までよく覚えていたそうです。
ハネムーンで語られた「鳥取の布団」

画像 : 明治時代の海水浴(宮川春汀画『美人十二ヶ月』1898年)wiki c Gyosei Shuntei
8月10日に杵築から松江に戻った4日後、ハーンとセツは二人だけの初めての長旅へ出発しました。
行先は、鳥取の下市(しもいち)です。
ハーンは松江に赴任する途中、下市で初めて目にした盆踊りに魅了され、もう一度見たいと思っていたのです。
ところが、下市の盆踊りはコレラのため、まさかの中止。
ハーンはひどく落胆し、夫妻は盆踊りを求めて旅を続けることにしました。
八橋(やばせ)では洗濯板でサーフィンをする子どもたちと出会い、自身の得意な横泳ぎを教える代わりにサーフィンを教えてもらい、子どもたちと海水浴を楽しみました。
またこの旅行中、ハーンはセツからたっぷりと怪談を聞くことができました。
旅先でセツは家事に追われずに済んだため、時間に余裕がもてたのです。
浜村(現在の鳥取県気高町)に滞在したとき、ハーンはセツから「鳥取の布団」を聞きました。
貧しさのために悲しい最期を迎えた兄弟の魂が宿った布団が、「兄さん寒かろう」「お前も寒かろう」と宿屋の客に語りかけるという悲しい怪談です。
これは、セツが鳥取出身の元夫から教えてもらった話でした。
初めてセツの怪談を聞いたハーンは、彼女の語り部の才能に驚き、
「あなた、わたしの手伝いできる人です」
そう言って、今後は家事よりも執筆の助手としての役割を優先して欲しいと頼んだそうです。
盆踊り会場で野次馬に囲まれ砂をかけられる

画像 : イメージ(小林清親 「浅草夜見世」1881)パブリックドメインQ
日本海沿いに盆踊りを探し求める旅を続けた二人は、ようやくお目当ての盆踊りを探し当てました。
しかし、見物を始めて間もなく、「西洋人が来た!」という声が上がり、踊りそっちのけで大勢の人々が二人を取り囲みました。
野次馬はどんどん増えていき、珍しい外国人に興奮した人たちが二人に砂をかけ始めます。
なんとかその場を離れたセツとハーンでしたが、盆踊りを見ることもできず、散々な目に遭いました。
騒動の後、無礼を働いた人々が謝罪に訪れたそうですが、旅の間じゅう二人は人々の好奇の視線にさらされることが多く、旅は決して静かなものではなかったようです。
当時、地方では若い夫婦が並んで歩くことは珍しく、夫婦で出かけたいときは、子どもを連れて親子連れに見せかけるのが一般的でした。
ハーンは身長が160cmほどと外国人としては小柄で、日本人のようにも見えました。
しかし、たとえ彼が目立たない外見だったとしても、外国人男性と日本人の若い女性という組み合わせは周囲の目を引き、時には心ない人々から無作法な行為を受けることもあったのです。
熊本に移り住んだのち夏休みに訪れた隠岐でも、始めて見る外国人に見物人が山のように押し寄せる事態となっています。
二人の泊まる宿屋の向かいの屋根に、われもわれもと大勢がのぼり、重みに耐えかねた屋根もろとも人が落ちたのです。
幸いけが人はいなかったものの、巡査がやって来る大騒動となりました。
ハーンはこうした野次馬の迷惑行為に困惑しながらも、セツを励ますため「こんな面白い事はない」と笑っていたそうです。
野次馬さえも楽しんだハーン

画像 : 加賀の潜戸(『出雲みやげ名所写真帖』大正6)public domain
セツにとって野次馬の行為は迷惑であり、同じ日本人として恥ずかしく感じることもあったでしょう。
しかしハーンは、彼らをそれほど悪意ある存在とは捉えていなかったようです。
夫婦で島根県の加賀浦を訪れた際、外国人をひと目見ようと集まった大勢の村人に、宿の周りを取り囲まれたことがありました。
表の障子を閉めれば人々は裏に回り、右を閉めれば左へ、左を閉めれば右へと見ることをやめません。
結局、宿屋の主人が気を利かせて四方八方全部の障子を閉めてくれたのですが、今度は障子の穴から代わる代わるのぞき見する始末。
落ち着かない中食事が始まり、ハーンがためしに穴から梨を1個突き出すと、そーっと子どもの小さな手が伸びてきました。
彼はその様子を面白がり、さらに梨や大根を差し出し、子どもたちもそれを楽しみました。
食事が終わって障子が開け放たれるころには、ハーンは村人たちとすっかり打ち解けていました。そして群衆は宿を取り囲んだまま、夫妻の観察を続けたそうです。
加賀浦を離れるときには、大勢の人たちがハーンたちのあとをついてきました。
一言も言葉を発せず、下駄の音だけを響かせながら静かに後をついてくる人々。
ハーンはその様子を
「柔らかで、温和で、かつまた奇異で、あたかも夢に見る光景であった」
ラフカディオ・ハーン『新編 日本の面影』より
と記しています。
無作法に見える野次馬たちも、ハーンにとっては無邪気で好奇心旺盛な人々にすぎず、砂をかけられたり好奇の目で見られたりしても、彼の日本への興味が薄れることはなかったのです。
参考文献
小泉セツ『思ひ出の記』ハーベスト出版
ラフカディオ・ハーン『新編 日本の面影』角川書店
小泉凡『小泉八雲と妖怪』玉川大学出版部
文 / 深山みどり 校正 / 草の実堂編集部























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