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豊臣秀吉が運命を分けた「山崎の戦い」決戦地・大山崎へ行ってみた

光秀の“天下人への道筋”が崩れ去った山崎の戦い

画像:明智光秀像/本徳寺蔵 public domain

「こんなはずではなかった!」

総崩れとなって潰走する味方の兵たち。

混乱の渦の中で、明智光秀は後方の勝龍寺城へと馬首をめぐらせた。その胸裏に去来した言葉は、きっとこんな一言だったに違いない。

1582年(天正10年)6月13日、午後4時ごろ、摂津国と山城国の境に位置する山崎。

現在の京都府大山崎町から勝龍寺城(京都府長岡京市)一帯にかけて、後世「山崎の戦い」と呼ばれる決戦の火蓋が切られた。

この戦いから、わずか10日ほど前。

本能寺において主君・織田信長、その嫡男で織田家当主・信忠を討ち果たした光秀は、すでに「次なる天下人」としての歩みを始めていた。

信長の天下布武を象徴する安土城を押さえ、昵懇の仲にあった公家・吉田兼見の仲介によって朝廷から京都守護の任を拝命。

名実ともに「織田信長の後継者」として、天下統一への道を踏み出したかのように見えた。

さらに光秀は、柴田勝家をはじめとする旧織田家方面軍諸将の来襲に備え、京へ通じる街道の要衝を次々と確保していった。

政(まつりごと)と軍(いくさ)、その両面で布石は打たれ、体制は着実に固まりつつある、少なくとも、光秀自身はそう信じていただろう。

画像 : 豊臣秀吉坐像(狩野随川作)public domain

だが、運命は彼の思惑通りには進まなかった。

光秀の前に、二つの大きな誤算が立ちはだかる。

一つは、自らが統率してきた近畿方面軍の与力諸将(細川藤孝・忠興父子、中川清秀、高山右近など)から、期待したほどの協力を得られなかったこと。

そしてもう一つは、中国地方で毛利氏と対峙していた羽柴秀吉が、常識を超える速さで戦線を離脱し、4万ともいわれる大軍となって京へと引き返してきた、いわゆる「中国大返し」であった。

この二つの予想外が、光秀の描いた天下人への道筋を、根底から揺るがしていく。

やがてその帰結は、山崎の地において明智軍の惨敗と光秀の敗死という、明らかな形で示されることになるのである。

天王山に登り、秀吉ゆかりの山崎城を実感

画像:山崎大合戰之図/歌川貞秀作 public domain

西国街道の要衝として栄えた宿場町・大山崎は「山崎の合戦」だけでなく、幕末の「禁門の変」でも戦いの舞台となった歴史の地である。

その大山崎の町並みを見下ろすようにそびえるのが、標高約270メートルの「天王山」。

「天下分け目の戦い」を象徴する言葉としても知られるこの山は、現在では気軽に登れるハイキングコースとして親しまれている。

登山道はよく整備されており、ちょっとした山歩き気分で山頂を目指すことができる。

途中には、合戦の様子を描いた陶板の絵図が設置されており、歩を進めるごとに当時の緊迫した戦況がよみがえってくるようだ。

古戦場めぐりの臨場感を否応なく高めてくれる演出といえるだろう。

画像:宝積寺三重塔(撮影:高野晃彰)

登山口から15分ほど歩くと、「宝積寺(ほうしゃくじ)」が姿を現す。

この寺は724年(神亀元年)、聖武天皇の勅願により行基が創建したと伝えられる由緒ある古刹である。

本尊は鎌倉時代の作とされる十一面観音立像。
さらに閻魔王像をはじめ、多くの重要文化財を所蔵しており、歴史好きには見逃せないスポットだ。

秀吉ゆかりの遺構として知られるのが、境内に建つ三重塔である。

この塔は別名「一夜塔」とも呼ばれ、秀吉が一夜にして建てさせたという伝説が残されている。

史実かどうかはともかく、石垣山一夜城など建築好きの秀吉を象徴するエピソードとして、今も語り継がれている。

画像:旗立松展望台からの景色(大山崎町)

20分ほど歩くと、ひと息つくのにぴったりな「旗立松展望台」に到着する。

ここは登山道のちょうど七合目あたりに位置し、展望台からは山崎の戦いで羽柴軍と明智軍が布陣していた古戦場はもちろん、桂川・宇治川・木津川が合流して淀川となる三川合流の地を一望することができる。

ちなみに「旗立松」という名前は、秀吉勢が士気を高めるため、この地の松の木に旗印を掲げたことに由来すると伝えられている。

現在立っている松は、なんと七代目なのだそうだ。

画像:旗立松 七代目(大山崎町)

そこからさらに天王山山頂の山崎城跡を目指して歩くこと約10分。

道の途中には、大山崎を舞台に起きたもう一つの戦い「禁門の変」で敗れ、天王山中で自刃した真木和泉守をはじめ17名が眠る「十七烈士の墓」がある。

ここまで来ると山頂はもうすぐだが、その途中、八合目付近には乙訓地方最古の延喜式内社とされる「酒解神社(さかとけじんじゃ)」が鎮座している。

大山祇神を祀るこの神社は、かつて「天神八王子社」と呼ばれ、牛頭天王を祀っていたことから、天王山の名もこの牛頭天王に由来するとか。

本殿は江戸時代後期の建築で、国の登録文化財に指定。
また、本殿横に建つ「神輿庫」は、板倉形式という珍しい構造で、鎌倉時代前期の建築とされ、重要文化財に指定されている。

画像:山崎城跡の土塁(撮影:高野晃彰)

「酒解神社」からさらに5分ほど歩くと、天王山の山頂に到着。

天王山は大阪と京都の境に位置する要衝で、中世以降、この一帯にはたびたび城が築かれてきたが、山崎の戦いが始まる直前には秀吉の弟・秀長が陣を敷いていた。

合戦に勝利した秀吉も、この地の重要性に着目し、ここに山崎城を築城した。

秀吉といえば伏見城や大坂城が有名だが、実はこの天王山に築かれた山崎城こそが、天下統一への第一歩となった城だったのである。

現在の山頂周辺には、天守台跡や門跡、井戸跡、土塁跡のほか、建物の礎石とみられる遺構が点在し、往時の姿をしのばせてくれる。

大山崎の町を歩き奥深い歴史に触れる

画像:大山崎。旧西国街道に残る町並み(撮影:高野晃彰)

天王山から下山したあとは、山崎の戦いの舞台となった大山崎の町を歩いてみよう。

光秀が秀吉軍を迎え撃つ場所として大山崎を選んだのには、きちんとした理由があった。

この地は京への玄関口であると同時に、両側から山が迫る狭隘な地形にあり、さらに桂川・宇治川・木津川という三つの川が合流する地点でもある。

そのため大山崎は、古くから軍事上の要衝として知られてきた。

つまり光秀は、自軍の倍以上ともいわれた秀吉軍と戦うには、この地こそが最適だと判断したのだろう。

実際、その読みは当たり、戦いの前半は互角ともいえる激しい攻防が続いた。

画像:山崎の合戦に敗れ敗走する明智光秀/歌川芳虎作 public domain

ところが戦況は、次第に明智軍に不利へと傾いていく。

そして戦況を決定づけたのが、天王山を制した羽柴軍が主導権を握り、別動隊による三川合流地帯からの側面攻撃を加えたことであった。

これによって明智軍は総崩れとなり、ついには壊滅へと追い込まれてしまう。

あとは史実のとおり、居城・坂本へ逃れて再起を図ろうとした光秀は、落ち武者狩りの槍に倒れるのである。

そんな大山崎は、西国街道の宿場町としての顔に加え、中世から照明用の荏胡麻油の生産で栄えた自治都市という、二つの性格を持つ町でもあった。

しかし1864年(元治元年)に起きた禁門の変によって、町は大きな被害を受けてしまう。

現在では数こそ多くないものの、明治初年に再建された建物が残り、当時の面影を静かに伝えている。

画像:観音寺。地元では聖天さんと親しまれる(撮影:高野晃彰)

また町内には、「聖天さん」の名で親しまれる真言宗の寺院「観音寺」がある。

平安時代、宇多天皇の勅願によって開かれたこの寺は、江戸時代初期に木食以空によって、三井家や住友家といった豪商の寄進を受け再興された。

さらに、大山崎の繁栄を支えた荏胡麻の精油をはじめ、その独占権を持つ油座の守護神として「油祖」と崇められてきた「離宮八幡宮」も見逃せない存在だ。

町の歩みをより深く知りたいなら、大山崎にまつわる資料を展示する「大山崎町歴史資料館」を訪ねてみるのもおすすめである。

画像:離宮八幡宮 public domain

秀吉が天下統一への第一歩を踏み出した大山崎。

その歴史に触れながら、ゆっくりと町を巡ってみてはいかがだろうか。

※参考文献
京あゆみ研究会(高野晃彰)著 『京都ぶらり歴史探訪ガイド 今昔ウォーキング』メイツユニバーサルコンテンツ
文:写真/高野晃彰 校正/草の実堂編集部

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編集プロダクション「ベストフィールズ」とデザインワークス「デザインスタジオタカノ」の代表。歴史・文化・旅行・鉄道・グルメ・ペットからスポーツ・ファッション・経済まで幅広い分野での執筆・撮影などを行う。また関西の歴史を深堀する「京都歴史文化研究会」「大阪歴史文化研究会」を主宰する。

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