「奇妙な物体」が見つかる

画像 : 氷山とグリーンランド Jensbn CC BY 2.5
2010年代後半ごろ、グリーンランドの医療現場で「奇妙な物体が見つかった」という報告が相次いだ。
婦人科検診や不妊治療を受けた女性たちの体内から、本人にまったく心当たりのない器具が確認されるようになったのである。
形状や位置から、当初は医療事故や過去の処置の残留物とも考えられた。
だが調べが進むにつれ、それらが子宮内に装着された避妊具であることが判明する。
当初は個別の医療事故のようにも見えたが、同じ証言が世代や地域を超えて重なっていくにつれ、偶発的な出来事ではないことが明らかになっていった。
装着された時期は1960年代から70年代に集中し、しかも対象には10代前半の少女までもが含まれていた。
多くは学校健診や健康指導の名目で病院に連れて行かれ、十分な説明を受けないまま処置を受けていたという。
この問題が一気に注目を集めたのは、当事者の証言がメディアで取り上げられ、デンマーク政府とグリーンランド自治政府が公式調査に踏み切ったからである。
長い間、あくまで個人の違和感として埋もれていたが、ここで初めて社会的な問題として扱われることとなった。
1960年代、グリーンランドで何が行われていたのか

画像 : 20世紀前半の北極圏先住民の少女たち public domain
証言が重なり、古い医療記録が掘り起こされるにつれて、個別の違和感は一つの出来事として結びついていった。
1966年から1975年頃までの約10年間に、数千人規模の先住民女性や少女に子宮内避妊具が装着されていたことが、次第に明らかになっていったのである。
当時、妊娠可能年齢にあった女性はおよそ9,000人とされ、そのうち半数近くが最初の数年間で処置を受けていた。
1960年代半ば、グリーンランドではデンマーク政府の主導のもと、IUDと呼ばれる子宮内避妊具を用いた避妊政策が進められていった。後にこれは「スパイラル・ケース(Spiral Case)」と呼ばれるようになる。
この政策は当時、秘密裏に行われていたわけではなく、出生率の管理を目的とした医療施策として公然と行われていた。
当時のデンマーク政府は、急速な人口増加が住宅不足や福祉コストの増大を招くと考え、近代化政策の一環として出生率を抑制しようとしたのである。
だが、未成年を含む対象の広がりや、同意のあり方までが検証されることはなく、その運用方法は長く見過ごされていたのだ。
最初に声を上げた女性
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最初に声を上げたのは、2017年に自身の体験を公表したナジャ・リュベルト(Naja Lyberth)だった。
彼女は自身の体験をSNSで公表し、10代の頃に十分な説明もないまま避妊具を入れられていた事実を明かした。
ナジャは1962年生まれの心理学者で、当時はヌークで女性の権利問題に関わっていた人物である。
彼女の記憶は、1976年、13歳のときにさかのぼる。
学校での定期健診をきっかけに病院へ連れて行かれ、何のための処置なのかも分からないまま器具を装着されたという。投稿は当初、過去の体験を語った個人的な告白として受け止められていた。
しかし、その内容に反応する形で、同じような経験を持つ女性たちが次々と名乗り出る。
彼女が立ち上げたコミュニティには70人以上が集まり、痛みや合併症、不妊の問題を抱えていたことが共有されていった。
この証言の広がりを手がかりに、事実の掘り起こしを進めたのが、2022年に公開されたデンマーク放送協会のポッドキャスト「Spiralkampagnen」である。
番組は公文書や医療記録、当時の統計資料を突き合わせ、1960年代から70年代にかけて、IUDと呼ばれる子宮内避妊具が広範に装着されていた実態を具体的な数字とともに示した。
その後、グリーンランド議会の要請を受け、2023年からデンマーク政府とグリーンランド自治政府による公式調査が本格的に開始された。
同意はあったのか、なかったのか

画像 : 子宮内避妊器具(IUD)Sarahmirk CC BY-SA 4.0
問題の核心は、同意がどこまで成立していたのか、という点にある。
形式上は医療行為として処理されていたが、当事者の証言を重ねていくと、本人が内容を理解し、拒否できる状況にあったとは言い難い。
とくに少女の場合、医師や教師、大人たちの判断に逆らう余地はほとんどなかった。
当時の医療現場では、「説明は済んでいる」「理解されているはずだ」という前提で、医師側の判断だけで進められていた。
だが実際には、避妊具が何年も体内に残ることや、将来の妊娠や体調に影響する可能性について具体的に知らされず、本人にとっては曖昧な記憶だけが残り、後年になって初めて自分の身体の状態を知ることになった。
成人女性の場合も、出産直後や中絶手術の最中など、身体的・精神的に余裕のないタイミングで処置が行われることが多く、十分に判断できる状況だったとは言いがたい。
その後、1991年に医療行政の権限がグリーンランド側へ移管され、関係者の世代も入れ替わっていく。被害を受けた当事者たちはそのまま沈黙し、この問題は過去の出来事として埋もれていった。
同意がまったくなかったのか、あるいは形式だけのものだったのか、その線引きは簡単ではない。
だが少なくとも、当事者の意思をきちんと確かめ、尊重する仕組みが用意されていなかったことは確かである。
政府の謝罪
調査の進展を受け、デンマーク政府は2023年以降、この政策が深刻な人権侵害であったことを公式に認め、謝罪の意を表明した。
しかし調査対象が1991年までに限られていることや、2000年代以降にも同様の処置があったとする証言が残っている点など、未解決の問題は少なくない。
この出来事が突きつけているのは、過去の一政策の是非だけではない。
医療や行政が「正しさ」を前提に進むとき、個人の尊厳は本当に守られるのかという問いであり、現代社会そのものに向けられた警告とも読み取れるだろう。
参考文献 :
・Uvildig udredning af antikonceptionspraksis i Kalaallit Nunaat i perioden 1960–1991/Naalakkersuisut(グリーンランド自治政府)/Den danske regering(デンマーク政府)
・Involuntary Sterilisation and Coercive Birth Control Practices 他
文/草の実堂編集部























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