科学

ツェッペリン飛行船 「日本にも来ていた巨大飛行船」

ツェッペリン飛行船
※ツェッペリンの初飛行(1900年)

1929年(昭和4年)8月29日、世界初の出来事があった。それは人類が長年憧れ続けた夢の第一歩でもある。

ドイツの飛行船「グラーフ・ツェッペリン号」が世界一周飛行に成功した日であった。

空の旅が夢ではなくなった時代の幕開けである。しかし、当時世界一の高性能と信頼を誇ったグラーフ・ツェッペリンは、第二次世界大戦の勃発とともに歴史から消えてしまった。

なぜ、世界一の飛行船は消える運命にあったのだろうか?

ツェッペリン伯爵

ツェッペリン飛行船
※フェルナンド・フォン・ツェッペリン

フェルディナント・アドルフ・ハインリヒ・アウグスト・フォン・ツェッペリン伯爵(独: Ferdinand Adolf Heinrich August Graf von Zeppelin、1838年7月8日 – 1917年3月8日)は、ドイツの陸軍中将であり、同時に発明家・企業家でもあった。

彼は南北戦争中にアメリカを訪問、気球部隊の存在に感化された。再度の訪米で気球の扱い方を覚えたツェッペリンは、操縦可能な気球という概念に夢中になる。1890年に陸軍を辞職へ追い込まれた後は、硬式飛行船の開発に傾注した。

その結果生まれたのが、硬式飛行船第1号「LZ1」である。

1909年にはツェッペリン伯爵は飛行船製造事業とともに、DELAGという世界初の旅客を運ぶ商業航空会社を創立した。ツェッペリンはLZ1の成功により、旅客も空が主役になると考えていたのだ。

飛行船の構造と軍事転用

ツェッペリン飛行船
※硬式飛行船の骨組

飛行船には軟式飛行船硬式飛行船がある。

軟式飛行船は、気球のように柔らかな外皮の内部に高圧ガスを注入することで船体を膨らませるタイプのものだ。浮揚するには別にヘリウムなどの空気よりも軽いガスを使用し、プロペラによって移動する。

ツェッペリン・シリーズなどの硬式飛行船は、金属製の枠組みにアルミニウムなどの軽金属の外皮を被せ、その内部に水素ガスを詰めた複数の風船を入れて浮かべるものだと思えばいい。

硬式飛行船は枠組みがある分、全体重量は増すが、それと引き換えに強度と速度、なにより運搬能力に優れていた。

それが証明されたのは皮肉にも第一次世界大戦のことである。対戦中だけで119隻建造が建造され、偵察やドーバー海峡を渡ってイギリスに対する長距離爆撃にも使用された。

しかし、爆撃の精度は悪く、俊敏な戦闘機を相手にしては撃墜されることもあった。そのため主な目的は、その巨大さから敵国の市民の戦意を削ぐ心理的な効果を狙ったものである。

グラーフ・ツェッペリン号

ツェッペリン飛行船
※LZ 127「グラーフ・ツェッペリン

1928年、ツェッペリン社はそれまでのLZシリーズのノウハウをフィードバックさせた巨大飛行船の製造に成功する。
それがグラーフ ツェッペリン号だった。この最新鋭のツェッペリン飛行船は、全長235m、航続距離1万kmという、当時の人工飛行物体としては超弩級の代物である。

愛称の「グラーフ」はドイツ語で「伯爵」を意味しており、まさにツェッペリン伯爵の名が世界に知れ渡ることとなる。事実、その成功から「ツェッペリン」という語は慣用的にあらゆる硬式飛行船のことを指すようになった。

LZ 127は1928年10月、アメリカ合衆国ニュージャージー州レイクハーストへ最初の長距離飛行が決行され、到着した乗組員はニューヨーク市で紙ふぶきの舞うパレードで熱狂的な歓迎を受けると、ホワイトハウスにも招かれた。

1929年8月には、完全な世界一周飛行という前代未聞の冒険を行っている。広大なシベリアを横断したグラーフ・ツェッペリンは、初の太平洋横断を前にして、8月19日には日本の霞ヶ浦(茨城県)に来航した。当時の霞ヶ浦には日本海軍の飛行場があったためだ。


※霞ヶ浦航空隊基地に来港したLZ 127

その後は太平洋を渡り、最終目的地であるアメリカのレイクハースト海軍航空基地に着陸に成功した。

ヒンデンブルク号爆発事故


※ヒンデンブルク号爆発の瞬間

グラーフ・ツェッペリンの成功はドイツ国民に久々の朗報となった。第一次世界大戦で敗戦国となったドイツは、多額の賠償金が賄えずに領土の一部をフランスに渡し、さらに国内の経済は破綻寸前まで追い込まれていたからである。

しかし、この栄光も長くは続かなかった。

1937年5月6日、アメリカ合衆国ニュージャージー州レイクハースト海軍飛行場に着陸しようとしたLZ129 ヒンデンブルク号が尾翼付近から突如爆発・炎上事故を起したのだ。この事故により、乗員・乗客97人中35人と地上の作業員1名が死亡。

事故原因については様々な情報が流れたが、近年では飛行中に蓄積された静電気がトラブルにより放電され、外皮が発火・炎上したという説が有力になりつつある。

さらに1930年にはイギリスのR101飛行船が、1933年にはアメリカ軍のアクロン飛行船が大事故を起しており、この時点で飛行船の安全性が疑問視されていた。そのタイミングでこの事故である。

これにより、「グラーフ・ツェッペリン」及び「ツェッペリンシリーズ」の生産・運用が許容されなくなってしまった。


※事故現場にある慰霊碑

最後に

こうして、巨大飛行船の短い歴史は幕を閉じた。

皮肉にも第二次世界大戦により、航空機の性能・製造技術が発達したため、飛行船そのものの必要性も消えてしまった。
しかし、叶うならば大空に浮かぶ全長235mの巨体を眺めてみたかったものだ。

 

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