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聖武天皇が都を転々とした「彷徨の時代」とは 〜平城宮跡に行ってみた

世界文化遺産「古都奈良の文化財」を構成する要素の一つに、平城宮跡があります。

筆者はこれまでにも何度かこの地を訪れていますが、今回改めて足を運んだのを機に、聖武天皇が都を短期間のうちに転々と移した、いわゆる「聖武天皇の彷徨の時代」について調べてみました。

今回は、平城宮跡の概要とともに、この「彷徨の時代」と呼ばれる時期の背景についてもご紹介したいと思います。

平城京について

画像:藤原京の復元模型 public domain

日本で初めての本格的な都は、唐の都・長安を模して造営された藤原京です。

この藤原京は、飛鳥京の北西に位置する現在の奈良県橿原市一帯に築かれました。

都の中心には南北に朱雀大路が通り、その両側に東西の大路が碁盤の目のように整然と配置される「条坊制」が採用されていました。

これは中国・唐の都を手本にした、日本で最初の本格的な都城制の都で、694年から持統・文武・元明の三代にわたり、およそ16年間にわたって都として機能しました。

しかし、藤原京は地勢的な制約や政治的要因などから新都造営の必要が生じ、さらに北方に位置する平城京への遷都が計画されました。

文武天皇の時代である707年にその審議が始まり、708年には元明天皇により遷都の詔が発せられます。

こうして710年(和銅3年)、正式に平城京への遷都が実現しました。

当初の平城京では、内裏や大極殿、高官の官舎などが先に整備され、その後、寺院や貴族の邸宅、市街地などが次第に整えられていったと考えられています。

この平城京の中枢にあたる宮殿が「平城宮」であり、その跡地が現在「平城宮跡」として整備され、世界文化遺産「古都奈良の文化財」の構成要素の一つに指定されています。

平城宮跡について

平城宮跡は、近鉄電車の西大寺駅から新大宮駅の間にかけて、線路の両側に広がっています。

その面積はおよそ130ヘクタールに及び、甲子園球場およそ30個分に相当します。

この平城宮跡は発掘調査の後、長いあいだ広大な野原としてススキが生い茂る姿で保存されていました。

しかし、1998年に宮の正門である朱雀門が復元され、続いて2010年には第一次大極殿が復元されました。

画像:第一次大極殿 筆者撮影

さらに、平城宮跡資料館や平城宮いざない館、遺構展示館などが整備され、現在では平城京の歴史を学べる代表的な史跡・観光スポットとして広く親しまれています。

画像:朱雀門 筆者撮影

復元された第一次大極殿の「第一次」とは、都が平城京から恭仁京、難波京、紫香楽宮へと移り、のちに再び平城京へ戻ったために、平城宮には前期と後期の二つの時期が存在していることに由来します。

現在復元されているのは、そのうち前期にあたる「第一次平城宮」の大極殿です。

大極殿は、天皇が国家の重要な儀式を執り行い、群臣に出御される場所で、宮殿の中心に位置する最も格式の高い建造物です。

現在は第一次大極殿の南門が復元中で、その姿がほぼ整いつつあります。

画像:復元中の南門 筆者撮影

さらに東側には、後期の「第二次大極殿」の礎石が再現されており、当時の規模を感じ取ることができます。

また、敷地内には遣唐使船の復元展示や東院庭園の再現も行われており、奈良時代の文化や国際交流の息づかいを体感できる空間となっています。

平城宮跡は、子どもにとっては少し難しい歴史スポットかもしれませんが、復元された遣唐使船に乗り込むこともでき、多くの来訪者が楽しそうに学んでいる姿が見られます。

画像:遣唐使船 筆者撮影

画像:東院庭園 筆者撮影

以上のように、平城宮跡は国の特別史跡として保護・整備が進められています。

広大な敷地にはススキが揺れ、その中に平城宮の建造物群が点在する光景が広がっています。

往時の平城宮が持っていた華やかな雰囲気の一端を今に伝えており、訪れる人に奈良時代の息づかいを感じさせてくれる貴重な場所です。

歴史と静寂が調和するこの地は、訪れる価値のあるスポットといえるでしょう。

聖武天皇の彷徨の時代について

前述したように、奈良時代の一時期には、都が平城京から恭仁(くに)京、難波京、紫香楽宮へと次々に移り、のちに再び平城京へ戻りました。

このように聖武天皇が短期間のうちに都を転々とした時代は、のちに「聖武天皇の彷徨(ほうこう)の時代」と呼ばれています。

画像:聖武天皇 public domain

聖武天皇が、最初に平城京から現在の京都府木津川市に位置する恭仁京へ遷都したのは、天然痘の大流行によって人口の四分の一近くが失われたとされる深刻な社会不安と、政情の混乱が続いたためと考えられています。

このとき、平城京の大極殿は解体され、恭仁京に再建されました。

恭仁京跡には今もその大極殿の礎石が残されており、これを参考に現在の平城宮跡で復元された第一次大極殿が設計されています。

恭仁京の時代、聖武天皇は仏教の力によって国家を安定させようとする「鎮護国家」の思想を強め、全国に国分寺・国分尼寺を建立するよう命じました。

しかし、この恭仁京もわずか四年足らずで廃都となり、都は一時的に大阪城の南に位置する難波京、さらに滋賀県甲賀市の紫香楽宮へと移ります。

いずれの都も一年ほどで放棄され、再び平城京へ戻ることになりました。

最初の恭仁京への遷都は災禍や混乱を避けるためという理由で理解できますが、その後の頻繁な遷都には依然として謎が残ります。

そのため一部の研究者の間では、聖武天皇が「政治の都」「宗教の都」「軍事防衛の都」という三つの都を設け、国を多面的に統治しようと構想していたという説も唱えられています。

もっとも、この壮大な構想が実現することはなく、短期間の遷都の連続として歴史に残ることになりました。

おわりに

聖武天皇の動向には、当時の政治的混乱や宗教的信念、そして国家の在り方を模索する姿が垣間見えます。

平城宮跡は、世界文化遺産「古都奈良の文化財」の中でも、少し異なる性格を持つ構成要素です。
華やかな寺院群とは異なり、国家の中枢としての都の姿を今に伝える場所といえるでしょう。

奈良公園からは少し離れていますが、往時の空気を感じられる特別な場所です。ぜひ機会があれば、平城宮跡にも足を運んでみてください。

【平城宮跡 アクセス・基本情報】

所在地:奈良県奈良市佐紀町・西ノ京町一帯(国営平城宮跡歴史公園)
主な見どころ:
・朱雀門
・第一次大極殿(復元)
・東院庭園
・遣唐使船復元展示
・平城宮いざない館
開園時間:
・公園エリアは常時開放(無料)
・各展示館:9:00〜16:30(入館は16:00まで)
休館日:月曜日(祝日の場合は翌平日)、年末年始(12月29日〜1月3日)
入場料:無料(特別展のみ有料の場合あり)
アクセス:
・近鉄「大和西大寺駅」南口から徒歩約15分
・近鉄「新大宮駅」から徒歩約20分
・奈良交通バス「朱雀門ひろば前」下車すぐ
・駐車場あり(無料・有料併設)
公式サイト:https://www.heijo-park.jp

文:撮影 / 草の実堂編集部

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草の実堂編集部

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草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子。
編集、校正、ライティングでは古代中国史専門。『史記』『戦国策』『正史三国志』『漢書』『資治通鑑』など古代中国の史料をもとに史実に沿った記事を執筆。

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