「アヘンに蝕まれた人々の末路」清朝を内側から弱らせた闇の空間・阿片窟とは

阿片とは

画像:ケシの実(2021)by George Chernilevsky/CC BY-SA 4.0 DEED

阿片(アヘン)とは、ケシの未熟な実からにじみ出る乳液を乾燥させて作る麻薬である。

古くから鎮痛や鎮静の作用が知られ、医療にも用いられてきたが、その一方で強い依存性を持つことでも知られている。

阿片にはモルヒネやコデインなどの成分が含まれ、激しい痛みを和らげる薬の原料にもなった。つまり阿片は薬としての顔と、人を蝕む麻薬としての顔をあわせ持っていた。

吸い続ければ依存が進み、財産を失い、家族の生活まで崩れていく。

阿片は特に清朝末期において、人を静かに蝕む麻薬であると同時に、国家を弱らせる商品にもなった。

そして、その依存の受け皿として都市や港町に広がっていったのが、いわゆる阿片窟(あへんくつ)である。

清朝も頭を悩ませた阿片

画像 : 英国東インド会社のインドにおける阿片貯蔵庫(清朝期)Public domain

19世紀初頭、イギリスはインドで生産した阿片を中国へ大量に持ち込み、その量は急速に増加していった。

清朝はすでに18世紀末から阿片の流入を問題視し、1799年には輸入と喫煙を厳しく禁じている。しかし密輸は止まらず、1830年代には年間数万箱規模にまで膨れ上がっていた。

こうした状況に対し、清朝はさらに取り締まりを強化する。

1839年、皇帝の命を受けた林則徐(りんそくじょ)が広東でアヘンを大規模に没収・廃棄したのは、それを象徴する出来事だった。

画像 : 阿片を処分する林則徐(りんそくじょ)public domain

だが、この強硬策はイギリスとの対立を決定的なものとし、やがてアヘン戦争へと発展する。

戦争に敗北した清は不平等条約によって港の開放と賠償を強いられ、取り締まりを徹底する力を失った。
さらに1858年の天津条約とその後の条約体制のもとで、阿片取引は事実上公認へ向かい、流入を止めることもできなくなる。

こうして阿片は都市だけでなく農村にも広がり、国家にとって制御不能な大問題へと変わっていったのである。

各地にあった阿片窟

画像 : 阿片窟(北京 1896年)Public domain

阿片窟(あへんくつ)は、当時「煙館」と呼ばれていた。

とくに多く見られたのは、海外との交易が盛んだった港町や大都市である。
代表的なのは上海、広州、天津などで、香港にも同様の施設が存在した。

こうした都市には外国商人や中国人商人、船員、労働者が集まり、阿片が流通しやすい環境が整っていたのである。

阿片窟は人目につかない路地裏にあるとは限らず、繁華街の一角や宿屋の一室に設けられていることもあった。とくに上海のような大都市ではその数は非常に多く、19世紀末から20世紀初頭にかけて無数の阿片窟が存在したといわれる。

阿片窟は特別な裏社会だけの施設ではなく、都市の日常の中に入り込んでいたのである。

もっとも、阿片は当初から誰でも気軽に手を出せるものではなかった。
輸入された阿片は高価で、最初は官僚や商人など比較的余裕のある層の嗜好であった。

しかし流通の拡大と国産阿片の増加によって、しだいに庶民層にも広がっていく。

阿片窟が各地に増えたのは、阿片が一部の贅沢品から、より広い層に浸透したことの表れでもあった。

阿片に蝕まれた末路

画像 : 阿片窟(年代不詳) Public domain

阿片窟の中の様子はどのようなものだったのだろうか。

内部には、長椅子や寝台のような台が並べられ、人々はそこに身を横たえて阿片を吸った。
店では煙管や道具が用意され、客はその場で阿片をあぶって煙を吸い込んだという。
こうした場所はただ一服するための部屋ではなく、同じ姿勢のままぼんやりと長い時間を過ごす空間でもあった。

阿片の恐ろしさは、人をじわじわと壊していく点にあった。

最初は眠気や気だるさ程度だが、やがては阿片なしでは落ち着かず、朝から吸わなければ身がもたない状態になっていく。
しだいに顔色を失い食欲は衰え、身体も痩せ細り、仕事を続けることも難しくなって収入が途絶える。
そうなれば家の金に手をつけ、衣服や家財を売り払い、それでも足りなければ借金を重ねていく。

思考も鈍っていき、気力も失われ、次の一服のことしか考えられなくなる。
家族や友人など周りも疲れ果て、本人だけが長椅子に横たわって煙を吸い続けるだけの生活になってしまうのだ。

清朝が阿片を恐れたのは、それが個人の人生を壊すだけでなく、ひいては国そのものを食い潰していく麻薬だったからである。

画像 : 阿片を吸う人々(北京、1932年)Public domain

終わりに

清朝末期、中国はすでに内外の圧力にさらされ、国家としての基盤が揺らいでいた。

海外勢力には利益をもたらしながら、自国を衰弱させていく阿片は、当時の清朝にとって深刻な問題だった。

こうした状況を受け、清朝は1906年に禁煙政策へ本格的に踏み切る。以後、各地で阿片窟の閉鎖や取り締まりが進められ、国家を挙げた禁煙政策が展開された。

阿片窟の広がりはその傷が社会全体に及んでいたことを示す、清末中国の痛ましい現実だったのである。

参考 :『清史稿』Jonathan D. Spence『The Search for Modern China』ほか
文 / 草の実堂編集部

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草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子。
編集、校正、ライティングでは古代中国史専門。『史記』『戦国策』『正史三国志』『漢書』『資治通鑑』など古代中国の史料をもとに史実に沿った記事を執筆。

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