人生は100年時代と言われるようになったからでしょうか?
最近は後期高齢者と呼ばれる世代や80歳代になっても、現役で活躍している方を見かける機会が増えてきたような気がします。

画像:山中孝夫個展 ※筆者撮影
5月6日から10日まで、あべのベルタの中にある阿倍野学習センターギャラリーで個展を開く、山中孝夫(やまなか たかお)さんは、1944(昭和19)年の戦中生まれ。
81歳にして現役の画家です。

画像:如来会館 ※筆者撮影
山中さんは大阪市内で生まれ育った画家ですが、この方との接点があったのは、昨年、河内長野市にある如来会館で行われた「わたしたちの宇宙と大地展」です。

画像:祈り ※筆者撮影
「個性豊かな良い人」が条件というアーティストが集まった展覧会の中に、山中さんの作品がありました。
「祈り」というタイトルがついている油絵です。

画像:山中孝夫画集 ※筆者撮影
しかし山中さんの作品のテーマは、こちらの画集の方でした。
これは大阪の下町を描き続けたものです。

画像:田平さんと亀井さん ※筆者撮影
(画像右の女性が田平まゆみさん、左はアーティスト「今昔の玉手箱」の亀井美知代さん)
「わたしたちの宇宙と大地展」のキュレータであった田平まゆみさんは、元富田林市議で、実は山中さんの娘さんです。

画像:駒川中野 ※筆者撮影
(大阪市東住吉区にある山中さんのアトリエ)
今回は、田平さんを通じて個展を開催する山中さんにインタビューをさせていただく機会を得て、山中さんが大阪の下町の絵を描くきっかけや昔の大阪の庶民の暮らしについてお話を伺いました。
駒川中野にあるアトリエ

画像:山中さんのアトリエ ※筆者撮影
山中さんのアトリエは、大阪市東住吉区駒川中野です。
近くには大阪市内では有数の商店街とされる駒川商店街があり、ここは今でも大阪の下町の雰囲気が残っています。

画像:よなべ ※筆者撮影
(よなべという作品)
ギャラリーには山中さんの作品が所狭しと並べられていました。
山中さんは描き始めて半世紀ということで、大阪の下町、特に今回の個展会場、あべのベルタの周辺を描き続けています。

画像:アトリエ ※筆者撮影
「ここでは狭いスペースで展示していますが、個展の会場はここの3倍のスペースがあるので」と、山中さんが入口で待っていてくださいました。
アトリエの中に入り、絵を鑑賞しながら最初に山中さんの生い立ちと、なぜ画家になったのかからお話を伺うことにしました。
兄のようには生きたくなかった

画像:たかお物語 ※筆者撮影
(山中さんの幼少からの出来事が綴られている「たかお物語」)
山中さんによると「絵を描くんだ」という動機が最初からあったわけではないと言います。
山中さん自身の半生を著した「たかお物語」によると、山中さんのお母さんは幼少の頃に川に落ちて帰らぬ人になったとあります。

画像:長屋 ※筆者撮影
(山中さん自身の母をイメージして描いた作品「長屋」)
山中さんの子ども時代は、「退屈」だからと平野の大念仏寺や大和川に行って二上山を眺めたり、カッターシャツの化粧箱づくりの内職の手伝いをしていたそうです。中学時代は生野区の製本屋さんでビラ折りなどのアルバイトもしました。
やがて中学・高校と成長していく中、西成区、東住吉区、平野区のあたりをうろうろしていたことが綴られており、そのあたりの風景が画家としてのモチーフにつながったのかもしれません。
「兄は任侠者のような人だ」と山中さん。お兄さんは麻雀屋に通い務めていたそうで、「そっちの道は避けたい」と思っていたそうです。
私立高校だと進学をあきらめていたということだったのですが、府立高校に入学でき、卒業後は電電公社(現:NTT)に入社します。
山中さんが画家になるまで

画像:大阪の下町 ※筆者撮影
「深い意味もなく働いていたのですが」と、特に目的もなく働いていた山中さんの人生が変わったのは、同僚から「なんで生きているのか?」と問われたからとのこと。
そして「何のために生きているのか」と考えた山中さん。絵を描くサークルに誘われて絵の世界に入ったのは、それからすぐの18歳の頃でした。

画像:アトリエ ※筆者撮影
しかし、描き始めて10年くらいは迷いがあり、ずっと描いていたわけではありませんでした。サークルの中心にいた画家の先生からは厳しいことも言われてよく落ち込んだそうです。
そうして落ち込んだ時にはよく下町に行っていたという山中さん。
絵を描いたり描かなかったりを繰り返していましたが、20歳代後半くらいから、突然一生懸命描き始めたと言います。

画像:たかお物語 ※筆者撮影
(たかお物語を手にしているのは田平さん)
山中さんは「現場で同じ時刻に描くことを繰り返した」そうです。
理由として時間が異なると、影の位置が変わるからでした。近所の下町をモチーフにしたからできたこと。やがて山中さんがある時から自分の絵が変化していることに気づきました。
「本当に我流でやっていたのですが、描き続けることでデッサン力がついていきました」とのこと。
誰に教わったわけでもなく、30歳代の前半になったころには、誰にも真似のできない唯一無二の下町の写生画家となっていたのです。
新婚旅行がシベリア・シルクロード、生まれる娘もモチーフに

画像:結婚 ※筆者撮影
(「たかお物語」より)
「たかお物語」では28歳の頃にさまざまな葛藤があったと書かれていました。詳しくはここでは触れません。
そんな中、山中さんは知り合いを通じてある女性を紹介してもらい、梅田の画材屋で待ち合わせたそうです。相手との相性がとても良く、それが田平さんの母親、つまり山中さんの奥さんとなりました。
こうして結婚した山中さんは驚きのことを言います。新婚旅行先がシベリアとシルクロードだというのです。山中さんが新婚旅行をしたのは1970年代。1972年に日中国交正常化した以降のことで、シルクロードが未知の地として紹介され始めたころです。

画像:シベリアとシルクロード ※筆者撮影
(「たかお物語」より、新婚旅行先のシルクロードの写真)
当時の新婚旅行先といえばハワイやグアムに行く人もいましたが、多くの人が目指したのは国内の南九州でした。そんな時代に新婚旅行先として、ツアーとはいえシベリアとシルクロードに行ったという山中さん。
やはり只者ではない気がしました。

画像:本を読むと焼き芋屋 ※筆者撮影
左の絵「本を読む」というタイトルの女性は、山中さんの奥さんを描いていて、おなかの中に身ごもっているのが田平さんであると説明してくれました。右の絵は通天閣の下にいた焼き芋屋さんです。
「ヨーロッパは全て回りましたね。ソビエト、チェコなども行った。あとはニューヨーク、スペイン、フランス、モロッコ、南アフリカ、ブラジルも全部回った」と言います。
ちなみに山中さんはブルガリアでは有名人ということで、描いた作品がブルガリアナショナル美術館に収蔵されているそうです。

画像:おでん屋さん ※筆者撮影
(田平さんをモチーフにしたという絵)
これを聞くと「世界を旅する絵描きさん」と思えるのですが、メインとして描くのはあくまで近所の大阪の下町でした。
山中さんは家族の絵も描きました。
上の画像は下町のおでん屋さんを描いたもので、タイトルも「おでん屋さん」。真ん中に描かれている女の子が田平さんとのこと。
「飛田で描いていたら注意された」昔と今の下町を見比べる

画像:チンチン電車 ※筆者撮影
(「ちんちん電車」というタイトルの付いた作品。阪堺電車)
30歳代で自分の画家としての才能に目覚めた山中さんは、以来半世紀にわたり描き続けてきました。
ここで何枚か、山中さんが描いた大阪の懐かしい下町の絵をご紹介しましょう。

画像:井戸ポンプ ※筆者撮影
あくまで現場に出向いて描く主義という山中さん。
入口にあった作品「井戸ポンプ」を見ながら「この井戸、実は飛田新地にあったのですが、描いている途中で注意されました」そんなこともあったそうです。

画像:黄昏 ※筆者撮影
「黄昏」というタイトルがついたこの作品。大和川近くの風景なんだそうで、精神的に疲れていた時に描いた絵だと言います。
「3歳で母を亡くして5人兄妹だった。姉だけ優しい思い出が残っているが、寂しさが潜在的にあったのかもしれない」と、絵を説明しながら人生を振り返りました。
「絵は描いていくうちにハマって50年が経過したが、最近、母の面影話や温かい何かを求めていた気がする」と言いつつ「でも言葉でいうのは苦手だから絵で表現する」と話していました。

画像:モルタルアパート ※筆者撮影
大阪の下町を描き続けている山中さん。「もうほとんど残っていない風景」が多いと言います。
こちらは「モルタルアパート」というタイトルがついた作品です。

画像:おもしろ工場 ※筆者撮影
「おもしろ工場」というタイトルの付いた作品。
これには裏話があり、右側の信号は、モデルとなった工場主さんのコレクションで、本物ではないのです。ところが本物の信号と勘違いする人がいて大変だったというエピソードを語ってくれました。
山中さんが描いた場所に行ってみた

画像:今も残る風景 ※筆者撮影
多くの下町の風景は無くなりましたが、今でもその雰囲気が残っている場所もあるという山中さん。
「ここには無いのですが個展では展示します」と、山中さんがスマホで見せてくれた上で、その具体的な場所も教えていただきました。

画像:西成の焼鳥屋 ※筆者撮影
それがこちら。インタビューの後に行ってみました。
場所は大阪市西成区にある「グランマ号」という居酒屋さんの隣にある焼き鳥屋さんでした。
97歳の生徒がいるからまだまだ描き続けられる

画像:多くの絵画 ※筆者撮影
山中さんの作品はこのほかにも数多く、西成の「三角公園周辺」や西成と阿倍野の境界、西成区聖天坂の町工場などを描いた作品が今回の個展で見られるとのこと。
「とにかく下町が好き、最近は100号(1,620mm×1,303mm)の絵を半年かけて描いた」という山中さん。
とても80歳代とは思えないエネルギーで、描くことへの情熱は失っていません。

画像:作品を説明 ※筆者撮影
それもそのはずで、山中さんはギャラリーの2階にある教室で絵を教えています。
生徒さんの年齢は下は35歳くらいの若い人たちですが、上はなんと97歳の方!山中さんの教室に20年通っているベテランとのこと。
山中さんにとって人生の先輩が頑張って描いているので、まだまだ老けている場合ではないとのことです。

画像:阿倍野市民学習センター ※筆者撮影
なお、5月6日から10日までの山中さんの個展が行われる阿倍野市民学習センターは、あべのベルタ3階にあります。今は無き大阪の下町を数多く描いた山中さんの作品を実際に観ることができます。
興味ある方は是非ご覧になってください。

画像:山中さんと田平さん ※筆者撮影
山中孝夫展
日時:5月6日~10日11:00~18:00 (最終日は16:00まで)
場所:阿倍野市民学習センター
住所:大阪府大阪市阿倍野区阿倍野筋3丁目10-1 あべのベルタ3階
アクセス:谷町線「阿部野駅」7号出口すぐ、各線・天王寺駅、近鉄・あべの橋駅より徒歩8分
参考文献:
山中孝夫著「たかお物語」
文 / 奥河内から情報発信 校正 / 草の実堂編集部
























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