世界史

妻の死に目に会えなかった画家が世界を変えた 〜大発明「電信」の誕生

筆者は10年近く兼業WEBライターをやっているが、インターネットがなかったらこの仕事は存在しえなかった。

マウスの発明者として知られるダグラス・エンゲルバートは、1968年12月9日、「すべてのデモの母」と呼ばれる伝説的な実演を行った。そこで彼は、画面を見ながら離れた相手と共同で作業するという、今では当たり前になった仕組みをすでに形にして見せたのである。

時代を30年以上先取りした、驚くべきパフォーマンスだった。

エンゲルバートのパフォーマンスにしても、筆者の兼業ライター活動にしても「遠隔地との即時通信」が必要不可欠だ。

人類の技術史において、それを最初に可能にしたものが「電信」である。

電信は、サミュエル・モールス(1791‐1872)らの手によって実用化されたものだが、モールスの名前を聞いてもピンとこない方が多いのではないだろうか?

それもそのはず、発明家として有名なトーマス・エジソンやグラハム・ベルと違い、モールスはアマチュア発明家で、理系の技術者ですらなかったからだ。

驚くなかれ、この技術史上重大な発明を生み出したモールスの本業は画家である。

彼は当時のアメリカ美術界においてかなりの地位にあり、1825年にニューヨークでナショナル・アカデミー・オブ・デザインの創設に関わり、初代会長を務めた。また、ニューヨーク大学の美術教授も務めている。

では、なぜ画家のモールスが電信を発明しようと思ったのか?
その理由にはモールスが経験した悲劇があった。

妻の死に目に会えなかった男

サミュエル・モールスの写真(1855から1865頃のもの) public domain

1825年2月7日の午後、当時33歳だったモールスは、妻ルクレシアをコネチカット州ニューヘヴンの自宅で突然亡くした。

ワシントンで肖像画を描く仕事をしていたモールスは、自宅から遠く離れた地に出張中で、妻の死を知らせる手紙を受け取ったのは2月11日のことだった。

彼は帰りを急いだが、翌週に帰宅すると妻はすでに埋葬されていた。

この悲劇から7年後、41歳になったモールスは、大西洋を渡る船上で「電信」の着想を得ることになる。
3年にわたる絵の修行と仕事を終えてヨーロッパから帰国する途にあったその船には、電磁気の研究で知られる科学者チャールズ・ジャクソン博士が同乗していた。

長い船旅のなかで彼らは親しくなり、ある日、ジャクソン博士はモールスに電磁気の話を始め「電気はどんな距離でも瞬時に伝わる」という考えを語った。

この話はモールスにとって天啓のように響いたのだろう。

「電気が瞬時に伝わるのなら、それを使って遠くへ情報を送れるはずだ」

そう考えたモールスは、電気式テレグラフの可能性に強く引きつけられた。

しかも画家だったモールスは、多くの科学者たちがすでに電気を使った通信装置の開発に取り組んでいたことを十分には知らなかった。
そのため彼は、自分こそがこの発想にたどり着いたのだと信じ、帰国後は電気式テレグラフの開発に没頭していった。

その原動力の底には、最愛の妻の最期に立ち会えなかった悲劇があったのだろう。

送る方法の前に発明された「モールス信号」

モールスの最初の電信機の図面 public domain

幸いというべきか、モールスは、それまで多くの開発者が長距離伝送の壁に阻まれていたことを知らなかった。

そこで彼がまず考えたのは、電気で何をどう表すかという点だった。
電流には、流れている時と流れていない時がある。モールスはこの単純な違いに注目し、電気の断続で情報を表す方式を構想したのである。

この発想は、のちに共同研究者アルフレッド・ヴェイルの改良を経て、短点と長点の組み合わせからなる現在のモールス信号へと発展していく。

日本語でいえば「トン」あるいは「ト」と、「ツー」で表される、あの符号体系である。

もっとも符号を考えるだけではまだ足りず、最大の難関はそれを遠くまで正確に送る技術だった。

この壁を越えるうえで重要だったのがレナード・ゲールの助力であった。

ゲールは電池や電磁石の改良をモールスに助言し、その結果、モールスが5年にわたって苦しんでいた長距離伝送の問題はついに突破口を得ることになる。

核心的過ぎて理解されない発明

1891年の主な電信線 public domain

情報をすぐ遠くへ届けられる技術の登場は、技術史の大きな転換点だった。

だが革新的すぎて、すぐにはその重要性は理解されなかった。1838年、モールスはワシントンで政府関係者に自らの電信装置を見せたが反応は冷たかった。

それでもモールスは諦めず、実演と売り込みを重ねていく。やがて電気式テレグラフの重要性は少しずつ認められ、急速に広がっていった。

1844年にはワシントンとボルティモアを結ぶ約38マイルの実験線が開通し、1850年代に入るとアメリカ国内の電信網は一気に拡大する。さらに電信は海を越え、1870年代初頭にはインド、香港、中国、日本にまで伸びていった。

その後、電信は電話に取って代わられ、電話もまたチャットやメールに置き換えられつつあるが、全ての始まりは電信にあったことは間違いないだろう。

時間はかかったものの、モールスはやがて時代を変えた。その原動力には、大切な人の最期に立ち会えなかった一人の男の悲劇があったのである。

参考文献:
トム・スタンデージ『ヴィクトリア朝時代のインターネット』
文 / ニコ・トスカーニ 校正 / 草の実堂編集部

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ニコ・トスカーニ

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フリーランスエンジニア、WEBライター、インディーズ映画製作者。大学院修了(英文学)後、システム会社に勤務しながらライターを兼業。神谷正倫 名義で親族と共同制作した映画『11月19日』(2019)、『階段下は××する場所である』(2021)、『正しいアイコラの作り方』(2024)の三本が劇場公開された実績あり。仕事でも留学でもなく、純粋な趣味で海外20か国に渡航経験がある。

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