特殊部隊と聞けば、ほとんどの人がドアを蹴破り、屋内に侵入して敵を征圧するイメージがあるだろう。
確かにそうした任務も彼らの仕事ではあるが、直接的な行動作戦ばかりでない特殊部隊もある。それがアメリカ陸軍の「グリーンベレー」だ。
特殊部隊の代名詞とまで呼ばれる彼らの真の姿に迫った。
グリーンベレー 指揮系統
グリーンベレーこと「アメリカ陸軍特殊部隊群」は、アメリカ陸軍を代表する特殊部隊である。
しかし、現代のアメリカ陸軍における特殊部隊は、特殊作戦全般を統括する「アメリカ陸軍特殊作戦コマンド」の指揮下にあり、グリーンベレー以外にも、第75レンジャー連隊、第160特殊作戦航空連隊、第1特殊部隊デルタ作戦分遣隊(デルタフォース)などがある。
レンジャー連隊は、通常の歩兵部隊だが特殊作戦も行える能力があり、有事の際には真っ先に投入される陸軍の部隊のため、アメリカ陸軍特殊作戦コマンドの指揮下にある。グリーンベレーやデルタフォースの作戦をバックアップすることもあり、同隊で経験を積んだ後にグリーンベレーに入隊する兵士も多いことから「グリーンベレー養成部隊」とも呼ばれる。
さらにアメリカ陸軍特殊作戦コマンドは、アメリカ4軍のすべての特殊部隊を統合指揮する「アメリカ特殊作戦軍」の指揮下にあるため、グリーンベレーも通常の陸軍の部隊とは指揮系統が異なる。
特殊作戦部隊群の誕生
グリーンベレーの歴史は第二次世界大戦まで遡る。ドイツ占領下のノルウェーで特殊作戦を行うことを目的に、イギリス軍のコマンド部隊を手本とした「第1レンジャー部隊」を設立。スコットランドで集中コマンド訓練を実施した。イギリス軍コマンドー部隊はグリーンのベレー帽を着用しており、厳しい訓練を潜り抜けた隊員には、同じ緑のベレー帽が授与された。
第二次世界大戦後の冷戦期になると、より特殊作戦に特化した部隊の創設が、陸軍の急務となる。大規模戦闘ではない、ゲリラ戦闘などの小規模な不正規戦に対応できる部隊を求めたのだ。1952年6月、特殊部隊の故郷とも言えるノースカロライナ州フォート・ブラックで「第10特殊部隊グループ(10th SFG)」が創設される。1953年、10th SFGは当時の西ドイツに派遣され、フォート・ブラッグでは残る部隊を拡大し「第77特殊部隊グループ(77th SFG)」を編制した。
ベトナムにおける共産化の危機を防ぐために、1957年には「第1特殊部隊グループ(1st SFG)」を編成、1960年には77th SFGが「第7特殊部隊グループ(7th SFG)」と改称され、南ベトナムにて「第5特殊部隊グループ(5th SFG)」が編制された。1961年には、ユタ州フォート・ベニングで「第19特殊部隊グループ(19th SFG)」が編制される。
ケネディとの絆
ベトナム戦争において、彼らの重要性はさらに増した。当時の大統領、ジョン・F・ケネディは秘密作戦において特殊部隊が必要だと説き、フォート・ブラッグで5th SFGが制式に特殊部隊として創設された。
1961年10月、ケネディがフォート・ブラッグを訪問した際、特殊部隊のメンバーは非公式ながらグリーンのベレー帽を着用して大統領を迎え、ケネディも部隊がベレー帽を着用することを正式に認めた。
当時のベトナムは南北に分断され、北ベトナムをソ連や中国の共産国が支援し、南ベトナムをアメリカが支援していた。しかし、南ベトナム解放戦線(ベトコン)のゲリラ作戦に頭を悩ませていた南ベトナム軍に対し、グリーンベレーは南ベトナムの少数山岳民族モンタニヤードに軍事訓練を施し、これに対抗する。グリーンベレーの任務が戦闘行動だけでなく、軍事訓練を施したり、現地での医療活動を通じて現地人の心を掴むようになったのは、この頃からの作戦であった。
歩く病院
冷戦終結後、大規模な戦争はなく、多国籍軍によるイラク侵攻により湾岸戦争が勃発。その後は宗教問題や民族問題に関するテロが世界中で勃発する結果となりグレーンベレーの任務も多岐にわたるようになる。アフガニスタンでの対テロ作戦の他、火種のくすぶる地域で作戦を行っている。これまでの経験を元に、現地民への食糧支援や医療支援、ゲリラやテロリストの捜索など、通常の部隊では対応できない作戦に従事している。
対テロ作戦を専門にするデルタフォースと違い、民間人に扮装する必要もないため、装備は一般の兵と同じものを使い、髭を伸ばすことも原則禁止されている。しかし、その能力は高く、12人のチームで敵地での行動を可能にしている。
中でも衛生兵は「歩く病院」と呼ばれるほどの知識と技術を持っている。これは隊員が負傷した場合だけでなく、医療を通じて現地の人々を助け、人心を掌握するためだ。外科・内科の処置を行い、ワクチン接種や手術、虫歯の治療まで行える。
Aチーム
グリーンベレーのチームはA・B・Cに分けられる。Aチームが実働部隊の12人編成で、Bチームは中隊本部の11名編成、そして、Cチームが大隊本部の37名編成だ。実際に現場で活動するのはAチームであり、残りは統率・指揮を行う。映画「特攻野郎Aチーム」のAチームの由来はここにある。
Aチームは指揮官として大尉が1名の他、情報、兵器、通信、医療などの専門スキルを身に付けたメンバーで構成される。こうして、紛争地域で地元の住民たちと交流をはかり、情報収集、戦闘教育などを行う代わりに食料や医療面で手助けをするのだ。そして、戦闘ともなれば、この12人全員が戦闘員として戦う。
隊員は、一人で200人の歩兵に相当する戦力を有しているといわれ、例え12人でも十分な活動が行える能力を持っているのだ。
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