2番目に命名された恐竜
1824年、これまで見た事のない化石が発見され、1億年以上も昔に現在の動物よりも大きな生物が存在していた事実が明らかになった。
ウィリアム・バックランドによってメガロサウルスと命名された生物の発見を皮切りに、多くの化石が発見される事になるが、今日でも多くの人間を虜にする「恐竜(dinosaur)」という言葉が作られたのは1842年と意外と遅く、メガロサウルスの発見から恐竜といいカテゴリーが生まれるまでの18年で名前があった恐竜は、メガロサウルス、イグアノドン、ヒラエオサウルスの僅か3種類だった。
また、運が悪い事に当時は恐竜の研究するための環境が整っておらず、発見された別の恐竜の化石を既存の恐竜に加えた結果、本来とは掛け離れた姿の「キメラ」になってしまい、メガロサウルスに至っては発見から200年近く経った今でも「化石のゴミ箱」から抜け出す事が出来ず、研究も世間が思っているほど進んでいない。
一方、今回の主役であるイグアノドンも、当初は名付け親のギデオン・マンテルによる滅茶苦茶なスケッチによって現在とは全く違う姿に描かれていた。
今回は、イグアノドンの発見と、歴史を変えた大発見を紹介する。
これは何の歯?
イグアノドンの名付け親とて今日まで名を残しているギデオン・マンテルはイギリスの医師であり、空いた時間に化石採集をするのが趣味だった。
1822年、マンテル(妻のメアリーという説もある)は、これまで見た事のない歯の化石を発見する。
未知の生物の化石の発見に大興奮のマンテルだが、歯を専門家に見せても相手にされず、独自で研究する事になる。
発見から3年経った1825年、マンテルは歯の形がイグアナの歯に似ている事から「イグアナの歯」を意味する「イグアノドン」と命名した。(歯が似ているだけで、イグアノドンとイグアナは生物学的に全く関係ない)
誰も知らない古代の生物の発見は歴史に残る大発見と呼ぶに相応しいものだったが、見付かった化石はごく一部であり、イグアノドンの姿は想像するしかなかった。
僅かな手掛かりから描かれたイグアノドンは物語に出て来る怪獣のような姿であり、トレードマークの親指が角になるなど、現代のイグアノドンとは全く別の姿だった。
マンテルの死後、後述するベルギーの大発見によってイグアノドンの姿が詳細に分かるのだが、少ない化石から恐竜の姿を想像するのは現代でも非常に難しく、マンテルが発見した当時は「恐竜」という言葉もない時代だったので、ヒントとなる対象自体が存在しないに等しかった。
ノーヒントの状態からイグアノドンの姿を想像したマンテルの苦労と労力は想像以上のものだった事は間違いなく、死後に全てが覆ったとはいえ、歴史に残る発見の功績は決して色褪せるものではない。
その後のマンテル
趣味で見付けた化石が永遠に語り継がれる大発見となり、ファンの間で永遠にその名を残す事になったマンテルだが、その後の人生は決して幸せなものではなかった。
メガロサウルス、イグアノドンに次ぐ3匹目の恐竜としてヒラエオサウルスを発見して命名するなど快進撃を続けていたように見えたマンテルだが、本業そっちのけで趣味に没頭しすぎた結果破産状態となってしまい、自慢の化石コレクションも手放す事になる。
また、破産寸前のマンテルに追い討ちを掛けるように1839年に妻と息子が相次いで家を出ると、翌1840年に娘も亡くなり、マンテルはあっという間に一人身となってしまう。(父の元を離れてニュージーランドに移住した息子のウォルターはマンテルにニュージーランドから化石を送っており、親子の交流は家を出てからもあった)
更にその翌年の1841年、馬車から落ちた際にマンテルは脊椎を損傷し、残りの人生はその痛み、痺れとの戦いになる。
事故の後遺症を引きずりながらもマンテルは研究を続けるが、痛みを紛らわせるために手を出すようになったアヘンの中毒で1852年にこの世を去る。
享年62歳、恐竜ファンの間で生涯語り継がれる発見をした大人物のあまりに悲しい最期だった。
ベルギーの大発見
マンテルがこの世を去ってから26年経った1878年、ベルギーのベルニサール炭鉱で30体以上もの恐竜の化石が発見される。
その化石は素晴しい保存状態で、完全な骨格が何体も復元された。
完全な化石の発見自体滅多にない事だが、それが何体も見付かったのは歴史的すぎる発見だった。
だが、話はこれでは終わらない。
その化石の主は、66年前にイギリスでマンテルが発見したイグアノドンだった事が判明する。
イグアノドンの完全な骨格が復元された事によってマンテルの想像図のほぼ全てが覆る事になるが、この発見によってイグアノドンの研究が大きく進む事になり、数々の化石が集まって作られたキメラ恐竜はイグアノドン本来の姿になった。
研究は続く
ベルギーの大発見によってイグアノドンの姿は最初の発見から大きく変わった。(1820年代当時は復元や想像図を描くために必要なサンプルとなる恐竜自体が存在しなかったので仕方ないが)
マンテルが鼻の上の角と思っていたものが実は親指だったというのは有名な話だが、当初は肉食恐竜と戦うための武器と思われていた親指も研究が進むにつれて解釈が変わり、植物を枝から取るために使っていたという説が有力視されている。(イグアノドンが親指を武器に肉食恐竜と戦ったという説も否定は出来ないが、好んで肉食恐竜と戦うよりも群れを作って行動した方が生き残れる可能性が高かったので、本当に肉食恐竜と戦うために親指を使ったのであれば「最終手段」だった)
また、完全な骨格が発見されてから二足歩行で描かれる事が多かったイグアノドンだが、前肢の指の形状から最近では主に四足歩行だったという説が濃厚になっている。
但し、常に四足歩行だった訳ではなく二足歩行や立ち上がる事も可能だったので、復元骨格やイラストは個人の好みとなっている。
恐竜研究の最初期から名の知れた恐竜であるイグアノドンだが、今も研究は続いており、親指に関する説が覆ったように、日々新しい説が生まれている。
イグアノドンの発見から間もなく200年、次はどのような説が生まれるのだろうか。
更なる研究と発見を期待したい。
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