三河一向一揆で主君・徳川家康(演:松本潤)に反旗を翻した本多正信(演:松山ケンイチ)。
一揆の鎮圧後、三河より逃亡した正信は、後に大久保忠世(演:小手伸也)のとりなしで帰参。生活面においても全面的な支援を受けていました。
そのお陰で再び活躍し、徳川家中の重鎮となった正信。しかし忠世が亡くなると、跡を継いだ嫡男の大久保忠隣(おおくぼ ただちか。相模守)を讒訴して失脚へ追い込んだのです。
何と鬼畜な本多佐渡(正信は佐渡守でした)!忠隣を支えていた大久保忠教(ただたか。彦左衛門)のまぁ怒るまいことか。
自著『三河物語』において大いに批判するのですが、三河武士きっての偏屈者であった彦左衛門は、ストレートに怒りをぶつけるようなことはしません。
耐えて耐えて耐え抜いて、本多正信が亡くなった後、こんな皮肉を繰り出すのでした。
(以下、長いため筆者による現代語訳のみで紹介します)
よもや本多佐渡が、大久保相模を陥れるなどあり得ない……
ところで、どうにも不思議でならないことがあるのじゃ。
世間を見渡すと、大人から子供まで誰もが「本多佐渡が大久保相模を陥れた」などと言っておるが、みんな根も葉もない作りごとである。
なぜなら佐渡は、相模の父である我が兄・七郎右衛門尉(忠世)に大変な恩を受けておる。まともな人間なら、その恩義を忘れて恩人の息子を陥れるなど、できようはずがないではないか。
相模が失脚したのは、息子の主殿(とのも。石川忠総)ともども何か罪を犯したゆえに相違ない。その事実を我らが知らぬだけであろう。
それにしても民百姓までみんな口を揃えて言っておるから、まさかあり得ぬとは思うが、もしかしたらそんなことがあったかも知れぬ。ともあれ断定はできん。
確かに佐渡は、若い頃から情け知らずと言われてきたが、ずいぶん年をとって少しは丸くなったことだろう。
昔から七郎右衛門尉は何かにつけて佐渡の面倒を見てやり、妻子を助けて塩や味噌や薪にいたるまで用意してやったものだ。
何を血迷ったか佐渡が大御所様に弓を引き、他国へ逃げた折だって、故郷に残された妻子を匿ってやったではないか。
更には後年、佐渡が尾羽打ち枯らして舞い戻った際にも帰参をとりなし、それで鷹匠として召し抱えられたことを忘れはするまい。
その後も家族ぐるみの付き合いを重ね、大晦日になると佐渡が大久保家へあいさつに来て、晦日(おおつごもり。大晦日)の飯から元三飯(がんざんめし。正月三が日の食事。お節料理)まで食っていったではないか。
やがて大御所が江戸へ国替えとなった後でもこの嘉例を欠かさなかった佐渡が、永年の絆と恩義を忘れることなど、あり得なかろう。
恩人のご子息を粗略に扱うなど……確かにそう約束したのに
かくして歳月を重ね、七郎右衛門尉が世を去るに臨んでは佐渡を呼び「どうか相模を、よろしく頼む」と遺言した時、佐渡は答えた。
「これまで長年にわたる恩人のご子息を、粗略に扱うなど出来ませぬ。どうかご安心下され」
よもやその言葉に背いて相模を陥れるなど、人間として出来るものだろうか。
昔から「因果は皿の端をまわる(巡り巡って、いつか必ず自分に報いがくる)」と言うが、近ごろでは「まわりっこなしに、すぐに報いがくる」と言うらしい。
お天道様が見てござる……そんな事あるものか、とも思うが「人にさえずらせよ(人々の他愛ない噂にも、一分の真実が含まれる)」とも言うから、そういうものやも知れぬ。
ところで「善き因果は報いがあってもわからない。悪い因果が悪い報いをおこした場合は、わかりやすい」と言う。
そう言えば相模を陥れてから三年も経たぬ内に、佐渡は顔に唐瘡(とうがさ。梅毒の末期症状)が出たそうな。やがて顔の半分が腐り落ち、奥歯が見えるようになって死んでいったな……(中略)……。
中国大陸の古典『史記』にはこんな言葉があるそうじゃ。
「蛇はとぐろを巻いても吉方に首を向け、鷺は太歳の方角に背を向けて巣をつくり、燕戊巳には巣を食べはじめ、鰈は河口に向かうとき方違えをする。鹿は仙女に向かって寝る」
細かい説明は割愛するが、このように動物であっても物の道理をわきまえて行動するという喩えだ。
何が言いたいかと申せば……つまり佐渡めは顔や身体こそ人間であったが、その振舞いは畜生未満だった、ということじゃな。
終わりに
……以上、『三河物語』の伝える本多正信の最期を紹介しました。
最初っから百も分かっていた上で、正信を擁護するフリをして最後の最後で突き落とす。彦左衛門にしてみれば「ざまぁ見さらせ!」と言ったところでしょうか。実にエグいですね。
ちなみに正信が亡くなったのは元和2年(1616年)6月7日、同年4月17日に亡くなった家康の後を追うような最期でした。
果たしてNHK大河ドラマ「どうする家康」では、本多正信の帰参や大久保忠世との絆、そして大久保一族との対立がどのように描かれるのでしょうか。
何より我らが大久保彦左衛門は本作に登場するのかどうかも含めて、とても楽しみにしています!
※参考文献:
- 小林賢章 訳『三河物語』教育社、1980年1月
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