どうする家康

【どうする家康】決死の救出作戦で生還した源三郎(長尾謙杜)。その後出番があるのか松平勝俊の生涯をたどってみた【大河ドラマ】

本当の信玄を知る家康の義弟

松平源三郎勝俊 まつだいら・げんざぶろうかつとし
[長尾謙杜 ながおけんと]

家康の母・於大と久松長家の次男。家康の異父弟として、若きころより人質として武田家へ預けられ、信玄のもとで暮らす。徳川と武田の関係がこじれる中、その身を案じた家康は、服部半蔵を通じて源三郎に甲斐脱出を命じる。

※NHK大河ドラマ「どうする家康」公式サイトより

第16回放送「信玄を怒らせるな」で甲斐国から救出された源三郎こと松平勝俊(演:長尾謙杜)。

全身ボコボコにされ、足の指は凍傷で壊死する有り様でしたが、実際にあんな仕打ちを受けたのでしょうか。

今回は『寛政重脩諸家譜』より、その生涯をたどってみたいと思います。

『寛政重脩諸家譜』が伝える松平源三郎勝俊の生涯

家康の異父弟として忠義を尽くした源三郎(イメージ)

松平
勝俊は久松佐渡守俊勝が三男にして、東照宮異父の御弟たり。兄因幡守康元等とおなじく御同姓に准じ、松平の御称号をたまふ。ことは松平因幡守康盛が譜に詳なり。

●勝俊
源三郎 今の呈譜、初勝俊後康俊に作る。母は水野右衛門大夫忠政が女傳通院御方。
永禄三年三月東照宮、父俊勝が阿古居の邸に渡御のとき、はじめてまみえたてまつる。時に九歳 六年仰により人質となりて今川氏真の許にいたり、十一年武田信玄駿河国に出張し氏真を攻るのとき、三浦与一郎某、今川家を叛き勝俊等を携て武田家に属す。信玄大によろこび勝俊を甲斐国にをくり、かたく警衛せしむ。元亀元年十一月東照宮の御謀によりて、甲斐国をのがれいで、下山路を経て三河国に至る。このとき大雪を侵して峻阻岨を越しにより、両足の指をやぶる。幼年よりの忠節を御感ありて、一文字の御刀當麻の御脇差をたまふ。天正十一年正月駿河国久能城をたまふ。十四年四月二日 今の呈譜三日 久能にをいて死す。年三十五。法名澄清。遠江国敷知郡富塚村の西来院に葬る。 妻は大村越前守某が女。

※『寛政重脩諸家譜』巻第五十三 清和源氏(義家流)松平

【松平勝俊・基本データ】

松平勝俊について、『寛政重脩諸家譜』から判明した限りのデータをこちらにまとめておきます。

生没: 天文21年(1552年)生~天正14年(1586年)4月2日没
父親: 久松佐渡守俊勝(演:リリー・フランキー。久松長家)
母親: 傳通院御方(演:松嶋菜々子。於大の方)
通称: 源三郎
改名: 勝俊⇒康俊(家康から一文字拝領)
妻妾: 大村越前守の娘
子女: 女子(婿養子・松平勝政室)
法名: 澄清
墓所: 遠江国敷知郡富塚村・西来院(静岡県浜松市)

※『寛政重脩諸家譜』には言及がないものの、源三郎には同母兄弟姉妹として松平康元(兄)・松平定勝(弟)・多劫姫(妹)・松姫(妹)・天桂院(妹)がいます。

【松平勝俊・略年表】

同じく、『寛政重脩諸家譜』から判明する生涯を略年表形式でまとめてみましょう。

天文21年(1552年)……誕生(1歳)

永禄3年(1560年)3月……家康と初対面(9歳)
※第1回放送「どうする桶狭間」時点

永禄6年(1563年)……今川氏真(演:溝端淳平)の元へ人質に出される(12歳)
※第7回放送「わしの家」時点

永禄11年(1568年)……武田信玄の駿河侵攻に際して、甲斐へ連れ去られる(17歳)
※第12回放送「氏真」時点

元亀元年(1570年)11月……家康の計らいで甲斐を脱出。両足の指を欠損(19歳)
※第16回放送「信玄を怒らせるな」時点
※幼少期からの忠義により、一文字の太刀と當麻の脇差を拝領。

天正11年(1583年)1月……駿河国久能城の城主となる(32歳)

天正14年(1586年)4月2日……久能城で亡くなる(35歳)

終わりに

死後、残された一人娘が於大の要請によって水野勝政(みずの かつまさ)を婿にとり、勝俊の跡目を継いだのでした。

水野家から婿入りして松平の家督を継いだ勝政(イメージ)

文中の「……信玄大によろこび勝俊を甲斐国にをくり、かたく警衛せしむ……」という記述を、大河ドラマでは「逃げられないよう監視してボコボコにリンチ、もとい鍛え上げた」と脚色したようです。

また「……元亀元年十一月東照宮の御謀によりて、甲斐国をのがれいで、下山路を経て三河国に至る。このとき大雪を侵して峻阻岨を越しにより、両足の指をやぶる。……」の部分を服部半蔵(演:山田孝之)による救出劇に描き替えたのでした。

ところで、以前(第6回放送「続・瀬名奪還作戦」)に上ノ郷城攻めで大活躍した伊賀忍者たちはどこへ消えたのでしょうか。そして救出作戦で重傷を負ったらしい女大鼠(演:松本まりか)はあのまま息絶えて退場なのかも気になりますね。

ともあれ何とか生還を果たした源三郎ですが、残念ながら、この後ドラマチックな見せ場はほとんどありません。

なのでこのままフェイドアウトが予想されるものの、せっかく登場したのだから、今後も長尾謙杜の好演を期待したいところです。

※参考文献:

  • 『寛政重脩諸家譜 第1輯』国立国会図書館デジタルコレクション
  • 『NHK大河ドラマ・ガイド どうする家康 前編』NHK出版、2023年1月
角田晶生(つのだ あきお)

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