兵馬俑
始皇帝陵で出土した兵馬俑(へいばよう)は、中国では「世界の第8の奇跡」と呼ばれている。
発掘が始まった1974年から今も調査が進められており、新しい驚きと発見を度々私たちに提供してくれる。
中国の歴史ファンだけでなく世界中の歴史マニアを魅了してやまない兵馬俑の発掘は、はたして終わりを迎える時がくるのだろうか。
西安にある兵馬俑博物館は、連日長蛇の列である。
コロナ明けの今もきっと、連日長蛇の列であろう。
現在までに約8000体の兵馬俑と、数多くの兵車や馬などが出土している。
元々はどれも鮮やかな色で塗られており、等身大で細部に至るまで細かく当時の兵士が再現されている。
2200年前にこれだけのものを作るには莫大な資源と労働力が必要だったに違いない。一説には70万人の労働者と40年の歳月がかかったとされている。
その一体一体の顔は少しずつ違っており、一つとして同じ顔はない。装具の違いなどで軍における様々な役割や位を表しており、身につけているものも全て異なっている。これが8000体以上あるというのだから驚きだ。
それぞれに役割があり、死後の世界でも始皇帝を守るため、共に埋葬された。
今回は「兵馬俑の外見」に焦点を当てて調べてみよう。
最もイケメンは誰だ?
イケメンと言っても、それぞれで基準は違ってくるだろう。中国の検索エンジン「百度」を調べてもイケメンの感覚は人によって違う。
ある人は身長、ある人は顔が整っているなど好みは様々である。
古代中国においては、高身長でイケメンであるほど出世しやすく、漢の時代においては官吏の採用条件に含まれることもあった。
実際に孔子や項羽、劉備、諸葛亮などの著名な人物は高身長だったという記録があり、ルッキズムは時代を超えた普遍的な価値観と言えよう。
兵馬俑の身長でいうと、最も低いもので大体170cmほど、高いものだと2mを超えており、なんと平均身長は180cmを超えているのである。
加えて将軍クラスは190cm以上となっており、2.5m超えの「秦の巨人」と呼べるものまで存在する。
兵馬俑たちは皇帝を守る精鋭であることから、兵士から将軍まで選りすぐりの体躯の者たちが選抜されていたことが推測できる。
古代人は現代人に比べれば栄養状態が悪かったはずであるが、史料上では高身長な者の記録が多く残っており議論の対象の一つであった。
しかし兵馬俑の発見により、古代中国人に高身長な者が多かったという説は、より信ぴょう性を増すことになったのである。
顔を見ていこう。
ある資料で最もイケメンとされている上記画像の兵馬俑の特徴は、身長180cm、がっしりとした体をしており、すっきりとした顔で顎が尖っている。
眉毛は整っており、堀が深く鼻が高い。鼻の下と顎に髭を蓄えており、きちんと整えていることから、品の良さと清潔感を漂わせている。
その表情はとても自然で、今にも話しかけてきそうだ。
髪の毛は後ろできちんと束ねられており、動きやすそうに整えられている。
この兵馬俑は状態が良いことから、他の兵馬俑に比べて比較的新しいものとされ、紀元前210年ごろに制作されたと推測されている。
緑の顔をした兵馬俑
1999年に発掘されたある兵馬俑は、緑色の顔をしていたという。
体は他の兵馬俑と大差ないものの、顔が不自然に緑色であった。
前述した通り兵馬俑はもともと彩色されていたが、その多くは空気に触れたために色を失ってしまった。
発掘当初はその知識がなく、あまりにも短い時間で色褪せてしまったため、なす術がなかった。
しかし後に、発掘と同時に色褪せないように特殊な薬剤を使う処置が施されるようになり、発掘後も厳しい湿度温度管理がなされるようになった。
完全にとは言えないだろうが、ある程度は色の保存が可能になったのだ。
そんな中で、この緑の顔をした兵馬俑が発見されたのである。
当初、研究者たちは「少数民族の兵馬俑ではないか」と推測したが、すぐにその憶測は訂正され、次に「霊媒師ではないか」と推測された。
軍事の吉兆を占う者として、他の兵士とは違う立場であることから、特殊な色が塗られたのではないかという説である。
戦の際に「どのように戦うべきか、勝つ確率はどれほどか」など、この緑の顔をした人物に尋ねていたのかもしれない。
しかしこの説を疑問視する声も出ているという。
なぜならこの緑の兵馬俑も、他の兵馬俑と同じような鎧を身につけているからだ。もしその身分が特別な者であれば、その出で立ちも他の者と違ってしかるべきであろう。
これまで出土した兵馬俑からもわかる通り、それぞれがとても精巧に作られており、どれひとつとして適当に作られているものはないのである。
この緑の顔をした兵士は一体何者なのだろうか? 未だにこの疑問の答えは見つかっていない。
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