日本を代表する天才詩人のひとり、中原中也(なかはらちゅうや)。
彼の詩は教科書に掲載されているため、目に触れたことがある方は多いでしょう。
詩と写真を見る限り「独特な世界観を持ったイケメン」というイメージを持っている人もいるかもしれませんが、実際は私生活がかなり破天荒で素行が悪く、作品のイメージとはかけ離れていたようです。
今回は、そんな中也のお金とお酒にまつわるエピソードを紹介していきます。
中原中也の生い立ち
中原中也は、1907年4月29日、山口県吉敷郡山口町大字下宇野令(しもうのりょう)村(現在の山口市湯田温泉)の中原医院で生まれました。
1923年、高橋新吉の『ダダイスト新吉の詩』を読んで衝撃を受け、ダダイスム(既成の秩序や常識に対する否定や破壊を根底に持つ芸術思想のこと)に傾倒して、詩作にふけるようになります。
その後、ボードレールやランボーなどのフランス象徴派の詩人たちに学び、生涯にわたって詩作を続けることになりました。
生涯親の仕送りで暮らしたニート
中也は生涯親からの仕送りで過ごし、なんと一度も就職しませんでした。
一度身内のコネで就職の話が出ましたが、中也はもとより就職する気はゼロ。
その面接では履歴書に「詩生活」とのみ記して面接官からツッコミが入った際「それ以外の履歴が私にとって意味があるのですか?」と返した、という逸話があります。
そうして定職に就かない中也へずっと仕送りをして支えていた親は、中也の詩人としての活動を応援していたのだろう…かと思えば全くそんなことはありません。
両親は中也が文学に夢中になることを良く思っておらず、全力で反対して邪魔をしました。
中也が発表した短歌や作品を酷評し、最後まで才能を認めなかったと言われています。
中也は小学生の頃は「神童」と言われるくらい優秀で、周りの大人たちは将来を期待しましたが、中学生になり文学にのめり込みすぎて成績は急落。
そのほかにも小遣いをすべて書籍代につぎ込んだり、読書に夢中になるあまり昼夜逆転生活になったりしていました。両親は、文学へ夢中になって勉強や生活習慣がおろそかになり始めた中也を心配したのでしょう。
その後、中也は18歳で「大学入試を受ける」と言って上京しますが、なんと入試当日に遅刻したり書類不足だったりで受験できませんでした。そして予備校に通うことを条件に、仕送りを受けながらそのまま東京住まいを始めます。
翌年4月に日本大学へ入学しますが、同年9月、親に内緒で大学を退学。
中也が21歳の時、父親が亡くなってしまいますが、中也は葬式に参列どころか帰省すらしませんでした。
「親が死んだからといって子供が帰らなければならない理由はない」といった内容の手紙を送ったとも言われています。
父親が亡くなった後も母親から経済的援助を受け続け、30歳の生涯を終えるまで一度も定職に就くことはありませんでした。
酒癖が非常に悪かった
中也は、非常に酒癖が悪かったことでも有名です。
太宰治らが立ち上げた文芸同人雑誌『青い花』を創刊した際に中也も誘われ、居酒屋で一緒に飲んでいるときに、中也は太宰に対して「何だおめえは。青サバが空に浮かんだような顔をしやがって。おめえは何の花が好きなんだい?」と絡み、太宰は泣きそうになりながら「モ、モ、ノ、ハ、ナ」と答えたそうです。
太宰は中也のことを尊敬して憧れていましたが、しつこく絡まれ続けたせいで距離を置くようになったと言われています。
さらに酒に酔った勢いで作家の中村光男をビール瓶で殴る、という暴挙にも出たことがあります。
若くして文壇の地位を獲得した中村に対して、当時無名だった中也は、嫉妬やひがみの感情から暴行事件を起こしたと言われています。
殴った後「僕は悲しい…」としくしく泣き始めたので、中村は恨む気になれなかったそうです。
これだけ聞くと誰彼構わず喧嘩を吹っ掛けている困った人のように思えますが、中也は小柄かつ非常に非力だったため、自分が勝てそうな相手にしか喧嘩を仕掛けませんでした。
作家の坂口安吾に対して酒に酔った際、喧嘩を吹っ掛けようとしましたが、坂口安吾は180㎝という大柄。一方で中也は160㎝あるかないかの小柄。
勝てそうにない、と判断したのか中也は距離をとった場所で拳を振り回すだけで、実際に殴りかかりはしませんでした。
坂口安吾の随筆にはそんな中也のシャドーボクシングを見て笑ってしまった、という内容が残っています。
終わりに
中也は「関わるとめんどくさい人間」の典型のように思えますが、彼が短い生涯の中で残した詩はなんと350篇以上。いずれの作品も素晴らしいものばかりです。
中也のこと尊敬しつつも距離を置いていた太宰ですが、中也の死に対して「死んで見ると、やっぱり中原だ、ねえ。段違いだ」と才能を惜しんだそうです。
中也の性格はともあれ、才能と感性は本物だったからこそ彼の詩は今も多くの人に共感され愛されてるのでしょう。
参考 :
「日本文学のススメ」関根尚
中原中也について|中原中也記念館
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