奈良時代

聖武天皇が恐怖した藤原広嗣の怨霊伝説「憎き僧侶・玄昉を空中で八つ裂きに」

聖武天皇が恐怖した藤原広嗣の怨霊伝説

画像 : 藤原広嗣『前賢故実』より public domain

奈良時代の740年に起こった藤原広嗣(ふじわらのひろつぐ)の乱は、橘諸兄(たちばなもろえ)の側近であった学者出身の吉備真備(きびのまきび)、僧正の玄昉(げんぼう)を政権から外してほしいという、藤原広嗣の上訴がきっかけだった。

その上訴は謀反とされ、広嗣は反逆者とされたことにより内乱が起こったのである。

その結果、藤原広嗣は敗北し、九州の地で処刑されることとなった。

※詳しくはこちら
藤原広嗣の乱 「なぜ藤原不比等の孫は内乱を起こしたのか? 」
https://kusanomido.com/study/history/japan/nara/80392/

約1300年も昔の話しであり、正しくその理由を書き記した記録は残っていない。
そのため、真実を知る術は残されていない。

広嗣自身が謀反を考えて動いたのかもしれないし、橘諸兄やその側近達に嵌められた可能性もある。
いずれにせよ、藤原広嗣が戦に敗れ、無念の死を遂げたことには変わりはないだろう。

当時、良い死に方でなかった者は「悪霊や怨霊」となり、都や人々を襲うと考えられていた。
藤原広嗣も例外なく、そのような噂の対象となった。

その後、橘諸兄の側近の一人であった玄昉が、噂の原因とされ、左遷されてしまう。
左遷された先で、わずか1年で玄昉が亡くなってしまったことで、藤原広嗣の怨霊話は真実味を増して人々を不安に陥れたのである。

今回は、藤原広嗣が処刑されてからの朝廷の動きを確認するとともに、現在に残る「藤原広嗣の怨霊伝説」について深堀していきたい。

藤原広嗣 処刑後の朝廷の動き

画像 : 橘諸兄(たちばなのもろえ)『前賢故実』より public domain

藤原広嗣が処刑された3年後、朝廷では藤原武智麻呂(ふじわらのむちまろ)の子である藤原仲麻呂(ふじわらのなかまろ)が参議に任じられた。
併せて、人事を担当する役所である式部省の長官である式部卿となった。
藤原仲麻呂は、ライバルである左大臣・橘諸兄の権力を削ぎ落し、自分に有利な人事を推し進めていったのである。

この一連の人事が行われていく中、前述したように橘諸兄の側近である玄昉も、朝廷から九州の地に左遷される。

都では「藤原広嗣の怨霊が都に禍をもたらす」という噂話が広がっており、聖武天皇の耳にもその話が入っていた。

画像:聖武天皇 public domain

怨霊を恐れた聖武天皇は、藤原仲麻呂の人事案を認め、玄昉の僧正という地位をはく奪、与えられていた土地も没収し、事実上、朝廷から追い出してしまったのである。

母の病気を回復させた恩義があったかもしれないが、玄昉は公卿でもない一介の僧でしかなかった。
こうして745年、玄昉は朝廷から、大宰府にある筑紫観世音寺へと左遷されたのだ。

玄昉は筑紫観世音寺では、僧を取りまとめる別当として赴任する。
しかし、左遷からわずか一年で玄昉は亡くなってしまったのだ。

広嗣のゆかりの地である大宰府の地で、わずかな期間で玄昉が没したことで、都では「広嗣の怨霊が祟り殺した、広嗣の怒りは鎮まっていない」とさらに噂されるようになった。

画像 : 吉備真備 public domain

これをうけ、749年には吉備真備も、九州の筑前国国司として左遷されてしまったのである。
その翌年には、広嗣が処刑された肥前国の国司となっている。

物語や伝説では「聖武天皇から広嗣の悪霊を鎮めるように命令されて向かった」とされているものもあるが、記録では事実上の左遷である。

これは藤原仲麻呂による橘諸兄配下の左遷であり、従四位上となっていた真備を、格下の地方国の国司としたのである。

この人事は、藤原広嗣の乱における残党たちの、再度の反乱を防止するためのものだったとする見方がある。

その後、吉備真備により、広嗣は肥前国の鏡神社に神として祀られた。
これにより、怨霊騒動は沈静化に進むのであった。

今昔物語にも残る!広嗣の祟りに殺された玄昉の複数の伝説

画像:玄昉 public domain

前述したように、玄昉は745年に筑紫観世音寺別当として左遷された。
僧正の地位ははく奪され、報酬として与えられていた土地も没収されてしまい、事実上の朝廷からの追い出しであった。

観世音寺では僧の長となる別当として赴任したが、これは地位や財産は失ったとしても、僧としての経験や実績があったからだ。

こんな伝承がある。

聖武天皇が恐怖した藤原広嗣の怨霊伝説

画像 : 玄昉を祟る藤原広嗣『和漢 絵本魁 初編』 国文学研究資料館所蔵 CC BY-SA

あるとき、玄昉が観世音寺で法要を執り行っている際、空一面が真っ暗になり雷がとどろいた。
そして、緋色の衣に冠をつけた広嗣の悪霊が現れた。

霊は玄昉に近づくと玄昉を掴み、そのまま空高くへと昇っていった。
悪霊は、空中で玄昉の身体を八つ裂きにしてバラバラにしてしまう。
心配していた弟子たちは空を眺めていると、弟子の近くにバラバラにされた玄昉の胴体や手足が落ちてきた。
弟子たちは恐怖に震えながらもかき集め、寺の近くに玄昉の遺体を葬るのであった。

また、空中に連れ去られた後に少し違いがある伝承もある。

空中に連れ去られた玄昉は、平城京に向かって投げ捨てられた。
興福寺近くに落とされた玄昉は、体はバラバラになり、頭部は現在の高畑町近くに吹き飛ばされた。

この時、その頭部を埋葬したと伝わるのが、高畑町に今も残る頭塔(ずとう)である。

このように、玄昉を祟り殺した話は都にも広がり、聖武天皇は恐怖に怯えた。

そこで玄昉とともに橘諸兄のブレインであった吉備真備に霊を鎮めるように命令し、真備を九州に向かわせるのである。
陰陽道に通じていたとされる真備は、広嗣の悪霊から身を守り、広嗣の霊を鎮めることに成功する。
そして、広嗣を鏡神社に祀った。

こうして藤原広嗣は悪霊から神となり、聖武天皇からは鏡大明神の称号が与えられた。

広嗣は今もなお、鏡神社の二ノ宮にて神として祀られている。

鏡神社については、別の記事で紹介したい。

参考 :
今昔物語集 現代語訳
大宰府観光協会
大宰府市文化ふれあい館

 

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草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子。
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