古代人は退屈だった?
現代人はスマホやタブレットに依存している。
どこに行ってもこれらのデバイスを手放せず、まるでそれがなければ生活できないかのようだ。しかし、スマホはここ数十年で登場したものであり、かつては存在しなかった。
今回ははるか昔に遡って、古代中国の人々はどのようにして暇な時間を過ごしていたのか探っていきたい。
結構遊んでいた古代人
私たちが想像するより、古代中国人はかなり遊びを楽しんでいたようだ。
決して退屈な日々を送っていたわけではない。以下に、いくつかの代表的な遊びを紹介する。
投壺(とうこ)
投壺(とうこ)は、春秋時代から清朝末期まで盛んに行われていた遊びで、初めは貴族の宴会の余興として始まったが、後には下級層の農民たちも遊んだという。
遊び方は、酒の壺を標的にして一定の距離から矢を投げるというもの。
順番に矢を投げて、的中しなかった者は罰として酒を飲まされるというルールだった。
植物の採取ゲーム
植物の採取ゲームは、5月の端午の節句から始まった遊びである。
5月を悪月、毒月と考え、薬草で解毒するという習慣があったことから、薬草や花などの植物を収集するゲームが誕生した。
このゲームは、珍しい植物を多く収集した者が勝利するというルールで、やがて主婦や子供たちの間でも広く楽しまれるようになった。
さらに興味深いことに、多くの男女がこの機会に相手を探すようになり、お見合いパーティのような場としても機能したという。
六博(りくはく)
六博(りくはく)は商朝から春秋時代、後漢時代にかけて広く遊ばれていたゲームである。
考古学者は2300年前の貴族の墓から六博のパーツを発見しており、その歴史の古さがうかがえる。
だが、この遊びはどういうわけか現代には伝わっておらず、そのルールはよくわかっていない。
墓の中からは、基盤と21の数字が書かれたコマ、そして14面のサイコロが見つかった。サイコロは動物の歯で作られており、各面には1から6の数字が2回ずつ彫られていた。残る2面は空白であった。
このゲームは一種の双六のようなもので、古代のテーブルゲームと考えられている。
彈棋(だんぎ)
彈棋(だんぎ)は、漢朝時期に文人たちが体力運動を嫌って考案したゲームだとされている。
棋盤の中央が盛り上がり、四周が平らになっている独特の形状を持つ。プレイヤーは自分の駒を使って相手の駒を撃ち落とし、勝利を目指す。
魏晋時期には6枚の駒で行われたが、唐朝時期には12枚に増えた。
曹丕はこのゲームの名手であり、多くの詩人が彈棋を題材に詩を作ったという。
葉子戲
葉子戲は古代の紙牌遊びで、現代のトランプの原型とも言われる。
最も古い記録を遡ると、唐の文学者・蘇鶚が書いた『杜陽雑編·同昌公主伝』に記載がある。
葉子戲はプレイヤーが順番に牌を引き、その数字の大きさを競うゲームだという。学者の中には、葉子戲が現代のポーカーの起源であると考える者もいる。
12世紀には、マルコ・ポーロが葉子戲を中国からヨーロッパに持ち込み、トランプの基礎を築いたと言われている。
最後に
これらの遊びやゲームは、古代中国人が豊かな遊び心を持ち、生活を楽しんでいたことを物語っている。
どの時代においても、息抜きやレクリエーションは不可欠なものであり、その必要性は現代においても変わらない。
古代の遊びを学ぶことで、私たちは文化や歴史に対する理解を深めることができるだろう。
参考 : 「古代中国の遊び」 EK21
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