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14歳前後のインカのミイラ【氷の乙女】 生贄として神に捧げられた少女たち

画像 : 『インカの失われた都』マチュ・ピチュの風景 wiki ©S23678

インカ帝国は、現在のペルー、ボリビアのチチカカ湖周辺、エクアドル辺りを中心に、15世紀半ばから16世紀半ばにかけて繁栄した古代の先住民国家だ。

アンデス文明の中では最も栄えた国家とされているが、インカ帝国の文明には文字が無く、情報の伝達は「キープ」という縄の結び目を使って行われていたという。

文字が無かったために当時の出来事を後世に伝える独自の文献が無く、頼りになるのはインカ帝国を侵略したスペインが残した記録ばかりだ。そのため、文化や歴史の多くが謎に包まれた神秘の古代国家として知られている。

1990年代、長い年月を経て火山が活発化したにより山々の氷が溶け始め、アンデス山脈の高山の山頂から極めて保存状態の良いミイラが複数体見つかり、インカ帝国の文化をありのままに伝えるその姿は、専門家だけでなく世界中の人々を驚かせた。

発見されたミイラはいずれも子供で、「インカ帝国の人々が山の神々への生贄として捧げた」と考えられている。

今回は、インカ帝国時代に生贄になった美しき子供たちのミイラについて紹介したい。

アンパトの氷の乙女「フアニータ」

古代インカの文化の片鱗を、その姿をもって現代に知らしめた少女のミイラ「フアニータ」が発見されたのは、1995年9月のことだった。

2023年10月には、最新の技術によって「フアニータ」の顔を再現した胸像も公開された。

アメリカの人類学者ヨハン・ラインハルトは、クルーと共に標高6,310mに及ぶペルーの霊峰アンパト山を調査中、山頂の火口付近で身長150cmほどのインカ人と思われる14歳前後の少女のミイラを発見した。

発見当時のそのミイラは凍結した状態で上質な布にくるまれており、指や爪、眼球までもが朽ちることなく綺麗に残っていて、銀製品やつぼなどの多数の副葬品と共に見つかったため、インカ帝国で行われていた「カパコチャ」という儀式で生贄として捧げられた人物だと考えられた。

それまで、生前の姿をほぼそのまま残すミイラはほとんど見つかった例がなく、少女のミイラは“天空の少女”を意味する「フアニータ」と名付けられ、世界中に知られることとなったのだ。

ユーヤイヤコの氷の乙女「ラ・ドンセーヤ」

画像 : Llullaillaco-in-1999 (Photo courtesy of J. Reinhard)

「フアニータ」の発見から4年後の1999年、「フアニータ」発見以降も複数のミイラをアンデス山脈内で発見していたラインハルトは、アルゼンチンの考古学者であるコンスタンサ・チェルティとチームを組み、遠征隊を率いて標高6,723mのユーヤイヤコ山の遺構調査を行っていた。

その結果、山頂付近から今度は3体の子供のミイラが見つかり、彼女らもまた生前の姿が容易に想像できる姿をしていた。

3体のミイラのうち、15歳ほどの少女のミイラが、“乙女”を意味する「ラ・ドンセーヤ」、死後数回雷に撃たれたと考えられる7歳ほどの女児のミイラが、“輝ける少女”を意味する「ラ・ニーニャ・デル・ラヨ」と名付けられた。

残りの1体は、7歳ほどの男児のミイラで、“少年”を意味する「エル・ニーニョ」と名付けられた。

3人の中でも「ラ・ドンセーヤ」は特に保存状態が良い上に、最も古い時代の生贄で、“太陽の処女”を意味する「アクヤ」という立場にあった少女であると考えられている。

茶色いドレスを着せられ、髪を細かく編まれ、羽飾りのついた髪飾りをつけた「ラ・ドンセーヤ」は、眠っている間に落命して氷漬けになったと考えられ、内臓にも損傷はなく心臓の中には血液が凍った状態で残っていた。

その状態の良さは「フアニータ」を上回っており、腕に至っては体毛の1本1本に至るまで完璧に保存されていたという。

氷の乙女たちが神に捧げられるまでの過程

画像 : 調査中のラ・ドンセーヤ ©All rights reserved by Harielle De La Marlière

アンデスの山々で見つかったミイラたちに対して科学調査が行われ、多くのことがわかった。

まず、生贄となった子供たちは死の1年~数ヶ月前から、コカインの原料となるコカの葉や、トウモロコシから造られるビールの1種であるチチャを大量に摂取させられていたことが、毛髪の分析により判明した。

生贄として選ばれた少女たちは「酩酊状態に陥りながら、死の恐怖を麻痺させられて高山の山頂に連れてこられた」と推測された。

それでも「フアニータ」の頭部にはこん棒状の物で殴られた痕跡があり、彼女の片手は恐怖からか、自分の衣服の端をしっかりと握った状態だったという。

男児のミイラ「エル・ニーニョ」は、服の一部に血混じりの吐しゃ物が付着しており、窒息死したものと考えられている。

また、生前に食べていた食事の内容も判明している。インカ帝国では野菜中心の食事が一般的であったが、彼女らは死の数年前から肉やトウモロコシなど、インカの上流階級の食事と同じ物を食べていた。

生贄に選ばれた子供たちはいずれも親元から離され、豪華な食事を与えられながら過ごした後、コカとチチャで酩酊状態にさせられて山に連れていかれ、インカ帝国の繁栄を祈るための犠牲となったと考えられている。

氷の乙女たちの現在

画像:サルタ高地考古学博物館正面 wiki c Aldo Fernández Villalba

現在、「ラ・ドンセーヤ」を始めとするユーヤイヤコの3体のミイラは、同時に発見された副葬品などと共に、アルゼンチン・サルタにある「サルタ高地考古学博物館」で永遠の眠りに就いている。

同博物館はユーヤイヤコで発見されたミイラの保護、研究、普及を目的として創設されたもので、3体のミイラが厳重に保存状態を保たれながら期間を分けて展示されており、観光客でも観覧可能だ。

アンパトで発見された「フアニータ」はペルーのアンデス聖地博物館で展示されており、彼女もまた観光客から注目を集める存在となっている。

アンデスのミイラたちは、自らの死に場所に向かって1000km以上にも及ぶ険しく長い道のりを歩き抜き、神々に捧げられた子供たちだ。生贄に選ばれることはこの上ない名誉であったと言われるが、その恐怖はどれほどのものだったのだろうか。

せめて今は彼女たちの魂が、苦しみのない場所で安らかに過ごしていることを祈るばかりだ。

参考 : ヨハン・ラインハルト (著), 畔上 司 (翻訳)『インカに眠る氷の少女

 

北森詩乃

北森詩乃

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娘に毎日振り回されながら在宅ライターをしている雑学好きのアラフォー主婦です。子育てが落ち着いたら趣味だった御朱印集めを再開したいと目論んでいます。目下の悩みの種はPTA。
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