自民党総裁選挙が、今月(9月)の27日に開催されます。
多くの候補者が乱立し、次の総理大臣は一体誰になるのかと多くの関心が集まる一方、裏金問題などで厳しい国民の目が注がれていることもまた事実です。
総裁選への立候補を表明している河野太郎氏は4日、SNSを通じて「年末調整を廃止して、すべての国民に確定申告をしていただきます」と投稿し、波紋を呼んでいます。
そこで今回の記事では、河野太郎氏の案を「民主主義」の観点から考えてみたいと思います。
河野氏の提案は税務手続きの話に留まらず、納税者としての自覚や民主主義にも関わる重要な議論だからです。
なお、今回の記事は自民党総裁選において、特定の候補者を支持したり批判したりする意図はなく、あくまでも確定申告(また年末調整)の観点から民主主義を考えるという、哲学的な議論を目的としています。
年末調整の功罪
先述の河野太郎氏による提案を受けて、多くの国民が「めんどくさい」と反応しているようです。
確かに年末調整は、企業が従業員に代わって所得税の精算を行う便利な制度かもしれません。しかし、この制度によって自ら税金を納める機会が減り、納税に対する実感を持つことが難しくなるという指摘もあります。
納税の実感が希薄化すると、税金の使い方や政治への関心も薄れがちになります。結果として政治は政治家や特権階級、官僚によって左右され、民主主義が機能しなくなる可能性があります。
確定申告の意義
河野氏が主張するように、確定申告を全員に義務付けることで「私たちがどれだけ税金を払っているのか」「税金がどのように計算されているのか」を直接理解できるようになります。納税に関する当事者意識は、民主主義の基本である「市民が自分たちの社会を支えている」という実感を深めるために重要です。
その結果として納税に対する意識が高まり、税金の使い道や公共サービスなどに関心を持ちやすくなるでしょう。社会への関心が高まることは、民主主義の健全な運営に欠かせません。
確定申告を通じて私たちが社会の一員としての役割を再認識し、積極的に社会へ関与する機会が生まれる可能性があります。
国民の「めんどくさい」という声
その一方で、多くの国民が「確定申告はめんどくさい」と感じています。
確定申告は収入や支出、控除などを自分で計算し、税務署に提出する手続きですが、複雑な書類作成や専門用語の理解、計算ミスへの不安などが「めんどくさい」という感情を生み出しているのでしょう。
初めて確定申告を行う人や、副業などで収入源が複数ある人にとって、その負担はより大きくなってしまいます。
現行の確定申告のままでは、国民はわずらわしさを感じてしまうのは当然です。もし全国民の確定申告を実現するならば、手続きの大幅な簡素化や、専門用語を使わない分かりやすい説明、さらには自動計算システムの導入など、抜本的な変化が必要となるでしょう。
権力は、わざとシステムを複雑にする
漫画『ドラゴン桜』は、ある弁護士が落ちこぼれ高校生を指導し、東大に合格させる物語です。
人気俳優・阿部寛氏の主演でテレビドラマにもなり、人気を集めました。
阿部寛が演じる主人公の桜木健二は、全校生徒が集まった会場で以下のように発言します。
社会にはルールがある。その上で生きていかなきゃならない。
だがな、そのルールってやつは全て頭の良いヤツがつくってる。
それはつまりどういうことか…。
そのルールは全て、頭のいいヤツに都合のいいようにつくられてるってことだ。
逆に、都合の悪いところはわからないように上手く隠している。
だが、ルールに従う者の中でも、賢いヤツは そのルールを上手く利用する。
たとえば、税金、年金、保険、医療制度、給与システム。
みんな、頭の良いヤツがわざとわかりにくくして、ろくに調べもしない頭の悪いヤツらから多く取ろうという仕組みにしている。
桜木はこのように主張し、高校生たちに勉強することの意味を説くのです。
社会保障の事務手続きなどをわざと複雑にし、国民にわずらわしさを感じさせるのは、権力の常套手段とも言えるでしょう。
社会への関心を低下させ、政治や行政を監視する意欲を弱める結果につながるからです。
納税と民主主義のバランス
確定申告を全員に義務付けることは、国民の納税意識を高め、民主社会の健全性を保つ手段になる可能性があります。
その一方、国民の事務的な負担が増えてしまうという、国民の不満も無視できません。
納税意識を高めるための取り組みと、市民の負担を軽減する工夫が、今後の課題となるでしょう。
文 / 村上俊樹
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