縄文時代

「縄文時代」は、なぜ1万年以上も続いたのか?

縄文時代は日本の先史時代の中で、特に長期間にわたり続いた時代として知られる。

始まりは諸説あり、1万6500~2000年前頃から紀元前4世紀頃まで続いたとされ、その期間はおよそ1万年に及ぶという。

このような長期にわたる文化的継続は、世界的にも異例である。

今回は、なぜ縄文時代がこれほど長く続いたのか、その理由について探っていきたい。

縄文時代の基本的な特徴

画像 : 青森県青森市にある山内丸山遺跡 photoAC はしぞうはしぞう

縄文時代は、主に狩猟・採集・漁労を中心とした生活が営まれていた。

縄文土器と呼ばれる独特の装飾を持つ土器が使用され、これが時代名の由来となっている。

考古学的に見れば、縄文土器の形状や装飾の変遷から、「草創期・早期・前期・中期・後期・晩期」の6つの時期に区分される。

これらの時期を通じて、基本的に狩猟採集を主体としながらも、一部の植物が栽培されていた可能性もあるという。

環境の安定と豊富な資源

縄文時代が長く続いた大きな要因として、氷期が終わり地球が温暖化に向かったことによる自然環境の安定と、豊富な自然資源があったことが考えられている。

約1万3000年前、日本列島は豊かな森林や海、河川に恵まれ、シカやイノシシなどの動物や、魚介類、貝類が多く生息していた。

こうした資源の豊富さにより、狩猟・採集・漁労を中心とした生活が成立し、農耕に頼らずとも十分な食料を得ることができたのだ。

画像 : 三内丸山遺跡 wiki c 663highland

また、青森県の三内丸山遺跡などでは、クリの栽培が行われていた痕跡が発見されており、農耕とは異なる形での持続可能な食料供給システムが確立されていた可能性が高いという。

このように、安定した自然環境と豊富な資源は、縄文社会の長期的な持続に大きく寄与したと考えられる。

技術の進歩の緩やかさ

縄文時代のもう一つの特徴として、「技術進歩の緩やかさ」が挙げられる。

土器や狩猟具の進化はあったものの、生活の基盤となる技術は基本的に大きな変化を見せず、これが安定をもたらした。
つまり、技術的革新による大規模な社会変動が起こりにくかったのだ。

また、集落内での家族や共同体の絆も強固であり、内部の対立や分裂が比較的少なかったとされている。

このような安定した社会構造も、縄文時代が長期間続いた一因と考えられている。

縄文人の精神文化

画像 : 青森県つがる市木造亀ヶ岡出土 遮光器土偶 public domain

縄文時代の文化を理解するには、「精神文化」も重要である。

土偶や石器といった遺物からは、自然や動物、そして祖先を崇拝する宗教的な精神性が見出されている。

ドイツの人類学者ネリー・ナウマンは、縄文文化のシンボリズムに注目し、特に土偶に「月」や「再生」の象徴が込められていると主張している。

月の満ち欠けや四季の移り変わりは「死と再生」の象徴とされ、これが縄文社会の精神的な柱となっていたと推測されている。

こうした「再生」の思想は、自然との調和や持続的な生活様式を重んじる価値観を生み出し、縄文社会の長期的な安定を支えた要因のひとつとされている。

稲作の伝来で終焉

縄文時代の終焉は、紀元前10世紀頃からの朝鮮半島や中国大陸からの稲作文化の伝来に起因する。

稲作の導入により、狩猟採集生活から農耕社会への移行が進み、人口の増加とともに社会はより複雑化していった。

弥生時代には鉄器や青銅器の使用も広がり、技術的な進化が社会変革の大きな要因となった。

これにより、縄文社会の生活様式は急激に変化し、新たな時代への移行が始まったのである。

おわりに

縄文時代が約1万年以上にわたって続いた理由は、「自然環境の安定」「技術進歩の緩やかさ」「再生思想に支えられた精神文化」が絡み合った結果と言えそうだ。

縄文時代の暮らし方や自然と共に生きる精神性は、現代社会において持続可能な社会を目指すためのヒントとして、改めて注目されている。

参考 :
『入門 縄文時代の考古学』著者:谷口康浩】
『縄文時代の古環境、三内丸山遺跡周辺の環境変遷 川幡穂高、山本尚史』
文 / 草の実堂編集部

 

アバター

草の実堂編集部

投稿者の記事一覧

草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子。
編集、校正、ライティングでは古代中国史専門。『史記』『戦国策』『正史三国志』『漢書』『資治通鑑』など古代中国の史料をもとに史実に沿った記事を執筆。

✅ 草の実堂の記事がデジタルボイスで聴けるようになりました!(随時更新中)

Audible で聴く
Youtube で聴く
Spotify で聴く
Amazon music で聴く

コメント

  1. アバター
    • 名無しさん
    • 2024年 11月 10日 12:17pm

    なにしろ敵が来なかったしねー。初期なんか日本全土で1万人しかいなかったし。
    せいぜいクマかイノシシに襲われるくらい。それもごく稀に。クマもイノシシもたべもんたくさんあったからわざわざヒトのいるとこにいく必要無かったし。

    1
    0
  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事

  1. 【形なき怪異たち】行動は知られているが、姿は不明の怪物伝承
  2. 『難攻不落の美女』女好きな皇帝ナポレオン3世が虜になった貴族令嬢…
  3. 『豊臣秀頼の呪い』波乱の人生を歩んだ千姫が怯えた「祟りの噂」とは…
  4. 『世界一寒い村の住人は世界一幸せだった?』最低気温「-71.2°…
  5. 世界が恐れ嫌悪した禁書『ソドム百二十日』とは ~サディズムの語源…
  6. 『織田信長の処刑場伝説』安土城の近くにある「呪われた土地?」シガ…
  7. 『毛利家存続の鍵を握った名将』小早川隆景の智略とは 〜秀吉からの…
  8. 女性二人が丸裸に!大晦日に内裏で起きた強盗事件の顛末 【光る君へ…

カテゴリー

新着記事

おすすめ記事

能の大成者・世阿弥の生涯に迫る

室町時代。一つの舞台芸術を大成した天才がいた。世阿弥元清(ぜあみもときよ)である。「秘すれば…

【光る君へ】まひろ(紫式部)と藤原宣孝が結婚するまでの道のりは?『紫式部集』より

NHK大河ドラマ「光る君へ」皆さんも楽しんでいますか?本作のヒロイン・まひろ(紫式部。吉高由…

マイルを貯めるにはどのクレジットカードが良いか?【オススメ5選】

いまや、クレジットカードは生活の必需品である。ネット決済が普及したことで、それまでクレッジトカードは…

身体に良い食べ合わせ悪い食べ合わせ について調べてみた

食べ合わせ とは私たちは、栄養を摂るためにさまざまなものを食べている。しかし身体に良い食…

【古代中国の宇宙人遺跡?】 三星堆遺跡で唯一発見された女性人骨 「第一村人」とは

三星堆遺跡最大の謎三星堆遺跡(さんせいたいいせき)とは、中国の四川省広漢市、三星堆の鴨子…

アーカイブ

PAGE TOP