『83万人の命を奪った明の大地震』 嘉靖大地震とは ~武則天の墓も崩れた?

近年の地震の発生率

画像 : 環太平洋火山帯(赤部分)青線は海溝 public domain

日本は、世界でも有数の地震多発国として知られている。

地震が多い理由は、日本列島が環太平洋火山帯という地震・火山活動が活発な地域に位置し、複数のプレートが交差する地殻構造を持つためである。特に南海トラフやフィリピン海プレートなどが関与する地域では、大規模な地震が発生しやすく、津波の危険性も高い。

こうした特徴から、日本では「南海トラフ地震」についての話題が近年注目を集めている。
報道やSNSなどでは憶測や不確かな情報が飛び交うこともあり、中には発生日付を具体的に予測するようなデマも見られる。

筆者が住む台湾もまた、地震が頻繁に発生する地域である。
特に東部地域はプレート境界に位置しており、活発な地震活動が記録されている。

古来より地震は、その地域の社会や文化、さらには歴史そのものにも大きな影響を及ぼしてきた。

今回は、明朝時代に起こった「嘉靖(かせい)大地震」に焦点を当ててみたい。

明代の大地震「嘉靖大地震」

画像 : 嘉靖大地震イメージ 草の実堂作成

1556年1月23日(嘉靖34年12月12日)、冬の冷え込みが人々を家の中へ閉じ込めていた夜明け前、突然の地鳴りが関中平原を震撼させた。

人々が最初に感じたのは足元の異変だった。床が震え、壁が微かに軋みを上げた。しかしそれは序章に過ぎなかった。
次の瞬間、轟音が辺りを包み、地面が波のようにうねり始めたのだ。

瓦が崩れ、柱が折れ、家々が人々の頭上に容赦なく崩れ落ちた。

深夜という時間帯が、この災害をさらに悲惨なものにした。多くの人が眠っている最中に家が倒壊し、逃げ出す暇もなく命を奪われたのだ。
中には家族全員が瓦礫の下敷きとなり、生き残った者が一人もいない村もあったという。

『明史』によると、死者数はなんと官民含めて83万人に及んだとされ、「嘉靖大地震」として知られている。

官吏、军民压死八十三万有奇。
意訳:官吏や軍民を含む83万人以上が圧死した。
引用 :『明史』《志第六 五行三》

83万人という数字は、当時の明の人口の1%以上である。※約50年前の明武宗正德元年(1506年)の記録で46,802,050人。

これは、現在の視点で考えても驚異的な規模であり、この地震の破壊力がいかに甚大だったかを物語る。

嘉靖地震の被害

嘉靖大地震は非常に大きく、広範囲にわたって破壊的な揺れを引き起こした。

画像 : 赤が陝西省。黄色がその他の被害を受けた地域 public domain

特に深刻な被害を受けたのは陝西省で、この地域特有の住居である「窰洞(ようどう)」が、より被害を拡大させたという。

窰洞とは、黄土の崖を掘って作られる横穴式の住居で、快適な住環境を提供していたが、地震には非常に脆弱だった。

突然の揺れで多くの窰洞が崩壊し、中にいた人々は瓦礫に埋もれて命を落とした。地震が深夜に発生したことも不運だった。住民が熟睡していたため、逃げる間もなく被害に巻き込まれたのである。

さらに、この地震は地形そのものにも大きな影響を与えた。山が崩れて河川がせき止められ、天然のダムが形成された場所もあったという。
その結果、洪水が発生し、さらに多くの命が奪われることとなった。また、地震の余波として、地滑りや液状化現象が広がり、地域の生活を根底から変えてしまったのである。

また地震後「黄河の水が一時的に澄み、その底が見えた」という不思議な現象も記録されている。
この現象は、地震による河川流路の変化や土砂の流入減少が原因とされているが、当時の人々には「天地の異変」として強い恐怖を与えた。

余震も深刻な問題だった。

地震直後から数年間、断続的に余震が続き、人々は揺れに見舞われるたびに恐怖に怯えた。
さらにこの余震によって復旧作業が妨げられ、水源や農地も大きく損壊したため、食糧不足や飲料水の確保が難しくなり、災害後の生活は非常に過酷なものとなった。

嘉靖地震で被害を受けたある人物の墓

このようにたくさんの命を奪った嘉靖大地震だが、その被害は意外なところにまで及んでいた。

画像:武則天 public domain

それは唐の女帝・武則天の墓である。

彼女と夫である唐高宗・李治が合葬された墓「乾陵(けんりょう)」は、被災地の陝西省にあった。

乾陵の前には、墓を守るための石像が61体配置されている。

しかし、これらの石像の多くには頭部がなく、体の一部も失われているものがある。

画像 : 乾陵墓前,六十一蕃臣 by赵文博 CC BY-SA 3.0

この奇妙な姿は、歴史上さまざまな議論を呼んできた。

中でも有力視されているのが、この「嘉靖大地震」によるものだ。
激しい揺れで石像が倒れ、その衝撃で頭部や体の一部が破壊されたと考えられている。この説は、考古学者の研究でも多く支持されている。

また、異なる説としては「武則天の政治が苛烈であったために、その後の時代の人々が意図的に石像を破壊した」というものもある。

終わりに

嘉靖地震は災害に留まらず、当時の社会や政治に深い影響を与えた。

古代中国では、大地震などの天災は「天命が変わる兆し」や「天罰」として解釈されることが多く、その責任は皇帝に帰せられた。
当時の嘉靖皇帝は、無能とされることが多く、大規模な災害に対処するだけの資金や物資を十分に供給できない状況にあった。

このため、災害後の復興は極めて困難を極めたと考えられる。

さらに、この大地震の余波は長く続き、なんと17年にわたり余震が記録されている。この長期にわたる地震活動は、復興作業をさらに遅らせ、被災地域の住民にとって絶え間ない恐怖を与えた。

嘉靖地震は、その規模と影響の広がりにおいて、単なる自然災害を超え、当時の社会と歴史に深い爪痕を残したのである。

参考 : 『明史』『資治通鑑』他
文 / 草の実堂編集部

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草の実堂編集部

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草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子。
編集、校正、ライティングでは古代中国史専門。『史記』『戦国策』『正史三国志』『漢書』『資治通鑑』など古代中国の史料をもとに史実に沿った記事を執筆。

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